日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2012/03/27)

ちいさな群への挨拶   吉本隆明

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ 
冬は背中からぼくをこごえさせるから 
冬の真むこうへでてゆくために 
ぼくはちいさな微温をたちきる 
おわりのない鎖 
そのなかのひとつひとつの貌をわすれる 
ぼくが街路へほうりだされたために 
地球の脳髄は弛緩してしまう 
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために 
冬は女たちを遠ざける 
ぼくは何処までゆこうとも 
第四級の風てん病院をでられない 
ちいさなやさしい群よ 
昨日までかなしかった 
昨日までうれしかったひとびとよ 
冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる 
そうしてまだ生れないぼくたちの子供を 
けっして生れないようにする 
こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ 
フロストの皮膜のしたで睡れ 
そのあいだにぼくは立去ろう 
ぼくたちの味方は破れ 
戦火が乾いた風にのってやってきそうだから 
ちいさなやさしい群よ 
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき 
ぼくは何をしたろう 
ぼくの脳髄はおもたく 
ぼくの肩は疲れているから 
記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない 
みんなのやさしさといっしよに 
 
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ 
ひとりっきりで耐えられないから 
たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから 
ひとりっきりで抗争できないから 
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから 
ぼくはでてゆく 
すべての時刻がむこうがわに加担しても 
ぼくたちがしはらったものを 
ずっと以前のぶんまでとりかえすために 
すでにいらなくなったものは 
それを思いしらせるために 
ちいさなやさしい群よ 
みんなは思い出のひとつひとつだ 
ぼくはでてゆく 
嫌悪のひとつひとつに出遇うために 
ぼくはでてゆく 
無数の敵のどまん中へ 
ぼくは疲れているが 
ぼくの瞋りは無尽蔵だ 
 
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる 
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる 
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる 
もたれあうことをきらった反抗がたおれる 
ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を 
湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている 
ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす 
 
だから ちいさなやさしい群よ 
みんなのひとつひとつの貌よ 
さようなら

 ずっと戦後詩の代表選手の詩を取りあげてきたが、重要な詩人を忘れていた。先日亡くなった吉本隆明である。吉本は1924(大正13)年に生まれ、敗戦時は21歳、まさに戦中戦後を生きた、昭和(特に戦後)の象徴ともいえる、思想家であることはいうまでもない。52年『固有時との対話』、53年『転移のための十篇』を刊行し、54年には「荒地新人賞」を受賞し、「荒地」に参加しその詩の思想の継承者といえる。ただ、鮎川など「荒地」の他の詩人の多くが、戦前のモダニズム詩の影響下にあったのに比べて、吉本は青少年期に四季派の影響を強く受けたため、その作風は大きく異なる。事物を喩として描くのではなく、自らの思考の流れそのものを、喩とした詩は「荒地」だけでなく、戦後詩全体から見ても特異だろう。

 掲出の作品は、『転移のための十篇』に収録されているが、その特長がよく現れている。まず目に付くのは「ぼく」という言葉の多用だ。「荒地」の詩が多く「ぼくたち」を使うの対して、あくまで「ぼく」で通しているのも特長だ。しかも、半端ではない数が記されている。「冬は背中からぼくをこごえさせるから」と、最初は感覚が喩になっている。「ぼくはちいさな微温をたちきる」と、小さな決意につながる。「ぼく」という言葉が頭韻のような、リズムを取りながら、言葉は疑問を呈し、思考は深まって行く。思考の深まりに伴って、「ぼく」の数も増えていき、時代の共感ではなく、孤独な個人としての突き詰められたの共感が、顕になってくる。「ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる」という言葉は、まさに存在のギリギリの共感だ。

 リズムとしては、やや破綻があるものの七五調に近いもの、七五調には収まらないもの、七とも五ともどちらで区切っても読めるもの、などか編み物のように重なる。行の長短も織り交ざられ、波のたゆたいのように揺れるリズムが、上質の抒情と思考を伝える。みずみずしい抒情は、戦後詩を代表する青春の詩のひとつと、いっても良いだろう。

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