プラクシノスコープ(その断片) 堀金義久
聞いてほしい話があるんだ
僕はずっと喋ってるから
もう本当にずっとずっと喋ってるから
それは祈りみたいなものなんだけど
もう楽しくてしょうがない
話すことが楽しくて仕方がない
これは変化する世界の話
変化する自分自身と世界の話
革命じゃないよ
宗教でもない
おふざけとか
茶番でもない
こうやって話してる瞬間にも
世界は
自分は
変わり続けてる
そういう話
それを嘘だと思うだろうか
今だって
ほら
変わってるよ
変化し続けてる
(中略)
それでさ
歩こうよ
何処までって訳じゃないけど
僕はね
歩くのが好きなんだ
話しながら歩くのなんて凄く好きだ
そういえばさっき転んだんだ
話すのに夢中になりすぎて
踏み外したんだ
それで鼻を打った
ほら
ここら辺が赤くなってる
それでね
鼻を打つといつも小学生の頃の感覚を思い出すって話なんだ
そういう経験ないかな
血の匂いが鼻の中いっぱいに広がって
急にスッと入ってくるんだ
小学生の僕が
別に誰かと喧嘩した時って訳じゃなくて
フラッシュバックみたいなものだと思うんだけど
違うかな
君はどう思う
次は君の話をきかせてよ
(澪標『別冊・詩の発見』第11号所収、2012年3月)
『別冊・詩の発見』は、大阪芸術大学の学生の詩や書評が掲載されている一方で、キャリアのある書き手の力作も同じ誌面上に並ぶユニークな詩誌です。
先日、私たちは『別冊・詩の発見』11号に掲載された53作品を、学生の詩もそうでない詩も混在させて、トーナメント形式で「強い」詩を決める会を催しました。
「プラクシノスコープ(その断片)」は、その際にたいへん話題になった作品です。
「僕はずっと喋ってるから/もう本当にずっとずっと喋ってるから」という冒頭の宣言の通り、他愛ないおしゃべりのような詩行が続きます。
そこで述べられている内容の大半はとてもナイーブで書き手はほとんど何も考えていないのではないかとすら思えます。
とりわけ《変化し続ける世界と自分》についてくどくどと語りつづけるくだりにはうんざりさせられます。
私たちの誰もがこの詩はとてつもなくダメな詩なのではないかとまずは思いました。
けれども延々と続く退屈なおしゃべりはその過剰さによって不思議と私たちの関心を引き、後半には私たちの予想を裏切る突拍子もない展開を見せます。
私が驚き、魅了されたのは次の部分です。
「僕はね/歩くのが好きなんだ/話しながら歩くのなんて凄く好きだ/そういえばさっき転んだんだ/話すのに夢中になりすぎて/踏み外したんだ/それで鼻を打った/ほら/ここら辺が赤くなってる」
《変化》についての観念的で中身のないおしゃべりから、転んで打った鼻の赤さへ。
空中に向かってしゃべり続けているかのような透明な身体が鼻の赤みを指す語りによっていきなり肉体性を帯びる。
この転換は非常に爽快です。
そしてとりとめのないおしゃべりの最後に置かれた「君はどう思う/次は君の話をきかせてよ」は、私たちに何かを語り出したい気持ちへと誘います。
そのようなわけで、私たちはこの詩をなかなか「強い」詩であると認定しました。