日めくり詩歌 自由詩 森川雅美 (2012/04/12)

他人の空   飯島耕一

鳥たちが帰って来た。 
地の黒い割れ目をついばんだ。 
見慣れない屋根の上を 
上ったり下ったりした。 
それは途方に暮れているように見えた。 
空は石を食ったように頭をかかえている。 
物思いにふけっている。 
もう流れ出すこともなかったので、 
血は空に 
他人のようにめぐっている。

 時代を象徴する詩集の題名がある。例えば、荒川洋治の『水駅』や、より最近では、文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』などは、そのような詩集といえるう。飯島耕一の『他人の空』も、前前回に紹介した『二十億光年の孤独』と同様に、戦後詩の方向を大きく変えたのとともに、その時代を象徴する題を冠した詩集といえる。

 刊行されたのは1953年で、『二十億光年の孤独』の1年後だ。生まれも30年で谷川より1歳年上なだけだで、まさに同時代といえる。10代の多感な時期に敗戦をむかえ、軍国主義から民主主義へと、まったく価値観の異なる時代に投げ出された世代だ。「他人の空」というのは、そのような世代の心情を良く表している。空に所有があるわけはなく、それでも「私の空」だったら、空に心情を託したような、ウエットな演歌とでもいえそうな、平凡なイメージだろう。しかし、「他人の空」というと、「私」が世界から追放されたような、あるいは、あらゆる存在が遠いような、ある種離人症的なイメージが湧く。

 詩は日常的な一行からはじまり、二行目で不穏なイメージが現れ、突きつけられた刃物のように冷たい、最後の三行まで読むものを一気に運んでいく。直喩がこれだけ見事に決まっている詩は、めったにない。リズムは七五調でほぼ進み、五、六行目と長い行が続いた後、最後の数行のイメージへと凝縮していく。散文のような句読点の使い方も、イメージにぶれを与えて面白い。

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