日めくり詩歌  自由詩  岡野絵里子(2012/06/27)

鳴るものへ傾く   蜂飼耳

かつぎ上げると
石は 疑惑を漏らして
かつぎ上げたその肩に
消えない、かもしれない、
染みをひろげていく
 
ひろげては、軽くなる、ふりをする
染みは底を探って深くなり
計られることのない距離を得て
触角を不意に
そよがせるものたちと横たわる
鋭い歯をもつものたちぼんやり口を開け
(そのそばで水の草ゆれて)
腐りやすいやさしさに
はじまりを刻印するとき
指の股から見ていた
(水草ゆれて)
あらゆるものに待たれているあらゆるものの
はじまりを あたまの裏側に描いていた
 
どこから来たか知れない文字が
輝く虫を かたどり 飛んで
つかのまの安寧を積もらせる
埋もれかけ 警報を聞く
人の眉間はにわかに奥まり
息 遺跡 緑 深まる
警報を聞く
(みどりふかまる)
そこへさまよう

K ototoi v ol.002 菊谷文庫  2012年

 K ototoi v ol. 002 より。たずね、問いかけてくる(言問い)瀟洒な和綴じの文芸誌である。読者は問われながら、読むわけです。さて。

遺跡をめぐる詩のようだ。発掘、あるいは調査の場面なのかもしれない。蜂飼氏の詩は、完璧な構造を持った文学作品でありながら、永遠にビッグバンし続ける宇宙でもあって、安易な解釈を許さないところがある。ある時めぐり会い、応えるように一つの解釈をしても、時の推移がそれを空しくする。しばらく会わないうちに、親戚の子どもが大きくなっちゃって、「まあ、もう高校生?驚いた、私たちも年取るはずだわあ」という、あれである。つまり生きものなのだ。

冒頭、石との面白い関係が登場する。石をかついだら、肩に染みができた。石が疑惑を漏らしたからだという。無機物の石がかつぐ人間に不信感を抱いて、染みをつけたのである。そして漏らした分だけ、質量が軽くなったふりをする。

この染みも意志を持った生き物のようで面白い。どこまで染み込むことができるか、底を探ったりするのだ。

実際のところ、疑惑を持ったのは人である。罪悪感が染みたのも人である。だが、擬人法だとか、投影だとか説明すると、途端につまらなくなる。生きものが死んでしまうのだ。

 この石と染みは「計られることのない距離を得て」から、姿を消す。叙述の途中で、溶けたように消えてしまう。そして、「触角を不意に」の一行が、生え出たように光景を一転させる、新しい顔ぶれは触角のある虫と共生する小動物、水草、ナラティヴな位置にいる作者らしい声。これらが叙述を分け合う。

更に三連では、作品世界の外側から「文字」が飛び込んでくる。「どこから来たか知れない文字が / 輝く虫を かたどり 飛んで / つかのまの安寧を積もらせる」。虫の形を真似たり、一緒に飛んだりする文字の背後に、溶け崩れた世界の境界跡を、私たちは見つけてしまう。

あらゆるものが意志を持ち、溶けたり、現れたり、境界なく交じり合う世界。無機物も動物も、言葉や作者さえもそこでは差異がない。それは未来のフォークロアなのだろうか。私たちのあたりまえの世界認識は何度も壊され、宇宙が蠢く生命体であることを思い知らされる。だが、これらが全て言葉が呼び出したもの、紙上で創造された異世界なのだと気づく時、私たちが感じるのは、恐れのようなものだ。

 並べられた言葉が、蠢く生きものになる瞬間。そして成長し、変貌し続けること。この歓喜と恐怖は、詩を読まない人にはなかなか理解してもらえない。踏み込まない方がよい領域を察知している賢明で幸福な人たちである。

 

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