日めくり詩歌  自由詩  岡野絵里子(2012/07/13)

あけがたにくる人よ   永瀬清子

あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている
 
その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった
 
その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
 
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向こうで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった
 
もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ

「あけがたにくる人よ」思潮社   1987年

あけがたの夢をモチーフに書かれる詩は多い。この「あけがたにくる人よ」は作者80歳頃の明け方である。

 高齢になって思うのは、若かった時代のこと、あの家出の日のこと。「私」がまだ少女で、家出しようとしていた時、約束していたのに、あるいは呼び出したのに、「あなた」は来てくれなかった。今、明け方に目を覚ましていると、「あなた」が訪れてくる。あの時の償いをするかのように。切なさに「私」は涙を流す。一生が苦労のうちに過ぎてしまったこと、もう時間は取り戻せないことに。それでも今、しずかに「あなた」が来てくれたことに。

井坂洋子氏の「永瀬清子」(五柳書院 2000年)によれば、来てくれなかった「あなた」は恋人ではないとする説もあるそうだ。「若かった日の自分の姿」(清水哲男)、「詩神(ミューズ)への恋と恨みのドラマととることも可能」(井奥行彦)。そして永瀬清子自身は次のように書いている。「私があの詩を書いた時は詩の〆切の直前でたまたま上京していて、以前はその近くに住んでいた従姉の家にその一夜とまっていた。(中略)東京の郊外のその家で朝早く目がさめ、割に静かで山鳩の声がしきりにきこえていた。忙しい家事から切り離され、しばらくぶりに落ちついた時間だったので、自分の書きたいこともいつになく意外にはっきり頭に浮かんだのだ。私はそれを辿りながら、昔この近くでくらしていたなあともなつかしく思いうかんできた。/ 朝のうちは従姉としばらくぶりの時を過し、昼近く一人バスで新宿へ出て、とりあえず喫茶店に入って(それは「白十字」だったか)サンドイッチと紅茶を貰い隅の机で一気にあの詩を書いた。」(「女人随筆」64号1991年)。「『あけがた』に誰かがくると云えばこの「詩」が来てくれた事が一番あたっていると云えよう。何の誰それと云ってももうそれは何十年も年月がすぎて昔の事情とはちがっている。でもこの「詩」が来たのは嘘いつわりではないのだ。それは本当に「来た(、、)」のだ」(同じく「女人随筆」)。

女人随筆という誌名が時代を感じさせるが、この文章から推察されるのは、この作品のかなりの部分がフィクションであるということだ。正直なところ、私はそれを知って落胆したが、それでもなお、読む者の心を打つ力を失わないこの詩にひれ伏さないわけにはいかない。

実体験に基いた作品は読者に強く訴える。書き手は記憶を再現するだけでよい。描写は細部に至るまでリアリティがあるだろうし、肉体を通した言葉が出てくるだろう。体験して初めて湧く感情を伝えることもできる。誰もがそれぞれ背負っている「現実」という共通語で語れば、常識人にはよく通じる。ただしこの時、常識人である読者は詩に感心しているというより、作者が経てきた苦労に感心しているのだという点は、よく肝に銘じておかなければならない。

この詩でも、少女のひたむきさや老女の心情が詩行からあふれ出て、心を揺すぶる。「あけがたに誰かがくると云えばこの詩が来てくれた事が一番あたっている」なんて、当時の関係者に迷惑をかけることを恐れての答弁じゃないのと思うくらいである。ためしに詩行の中の「人」と「あなた」を「詩」に変換してみれば、よくわかる。

しかし、弁も巧みに逃れながら、詩人は〆切間際に「詩」が訪れたことを強調している。霊のように詩が降臨し、作品が書き上がること。そこに詩人である彼女は人生を賭けたのだ。それに比べれば、彼氏なんかどうでもいいのである。よき作品を生み出すための材料になってくれれば、それで充分。

80歳の人の気持は、私にはよくわからないが、メイ・ランバートン・ベッカーは「私たちが老いる時、より良くもより悪くも老いることはない。より私たち自身のように老いるだけだ」と言った。永瀬清子は、より詩人のように老いたのだと思う。

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