日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/8/22)

この朝もきて坐る椅子老いしわが奴隷のあぶらしみてにおうを 金井秋彦

『捲毛の雲』(一九八七年刊)

 横須賀の商工会議所に勤めていた作者の仕事の歌である。 

「この朝もきて坐る椅子」と二句で切れ、「老いしわが」で小休止。五・七調の歌である。
分かち書きすると、

この朝もきて坐る椅子。
老いしわが、奴隷の膏
しみてにおうを

というような感じだろうか。一首の中で言葉が幾度も屈折して、微妙なリズムを生み出している。それが同時に、現実の作者の内面の屈託の表出として感じられるところに短歌のおもしろさがある。人は、生活のために仕事にしばられて生きている。自分の椅子には、自分の体臭がしみついている。それを「奴隷の膏」だという。どこか悲劇的で、現代の明るいオフィスの雰囲気にはそぐわない歌かもしれないが、どんな時代になったって、サラリーマンの仕事には、「奴隷の膏」と言いたくなるような要素が、必ずあるはずだ。暑い夏などには、冷房のない時代の事務仕事は、きつかっただろうなあ。

日常のことにて今朝も置かれあり経営苦調書癌死亡証明書など
夕べ帰りきて身を休めまた出でてゆく商人ら争う街へ

 これを見ると、作者の仕事がどんなものだったかは、だいたいわかるだろう。短歌の場合、小説などとちがって事実的な事柄は、このぐらいに示されていれば、それで良い。作者には、事務所にやって来る商人たちの生活の内容がよくわかっていて、時には商売の生殺与奪にかかわる案件も目の前に出で来るのかもしれない。
わざわざこういう歌を拾って書き抜いてみたが、作者の本領は、別にここにあるわけではない。掲出した机の上の書類の歌のすぐ隣にこんな歌がある。

苦悶の梨という比喩に頷きいるときに別れ告げあう声の優しも

字余りと破調の目立つ歌で、仮に分かち書きすると、一二句が、
句またがりなために、

くもんのな
しというひゆに うなずきいる
ときに わかれつげ
あう こえのやさしも

というような、五七五七七に合わせようとする読みの意識と、散文的に読み下そうとする意識がぶつかって、独特の屈曲した抑圧的なリズムを感じさせるのである。しかし、これでは本当にわかりにくいので、

苦悶の梨 という比喩に 頷きいるときに
別れ告げあう
声の優しも

とでも書くほかはないだろうか。いずれにせよ仕事の退け時に「苦悶の梨」なんていうことを考えながら、誰かの絵、もしくは詩作品のことを考えている作者が、ここにはいて、そういう対象化された事物によって心の屈託を形象化しようと思うほどに仕事の中身は、苦悶を呼び起こすような、現実の厳しい姿をあらわすものだったということなのだ。
 金井秋彦は、広い意味での芸術家としての魂を持ち続けた人だった。歌人という規定のされ方のなかだけで生きるのではなくて、詩人であろうとした。また画家としての素養があり、私は実物を見たことがないのだが、油絵などもかいたらしい。とりわけ自然の諸相を心象として表現することにこだわりを持っていた。基本はリアリズムだけれども、この人の方法は、表現主義的なリアリズムというようなものだった。人間関係的にも、前衛短歌を領導した吉田漱や岡井隆のすぐ隣にいたから、わかりにくいけれども、前衛短歌の影響と言うよりも、金井秋彦の方法は、「アララギ」リアリズムの表現主義的発展形とでも言うべき、内在的なものだった。自己の内側で熟成させて、自ずから変化して出て来たものである。

焼木坂の樹樹ゆれ今日は寒くなるその先触れの繭状の雲
おのずから鎧わぬものに柊の老いし樹に棘の失せていること
斜陽のなか木立を出でてゆく影がふいにかがやきて向うへ跳びぬ

 金井秋彦は、大文字の「文学」が、光輝を持っていた時代の人である。「聖書」とかリルケの詩とか、ゴッホやセザンヌの絵とか、そういうものに接することが自分の生の在りようと何かしらかかわりを持っていると思って精神的な生活を営もうとした。内面の生、というものを持続しようとした。そういう精神生活の横に短歌が随伴していた。いま、そういう生き方をしている人は、ごく少ないのではないか。徹頭徹尾内向して、自分の穴を掘っているような、そういうマイナー・ポエットとしてのあり方を、過ぎ去った時代の一典型として慕わしく思い起こしながら、何か華やかな話題性のようなものに引っ張られて、言葉と体を空転させている才人たちに気後れを覚えるようなタイプの人に、そっと金井秋彦の歌をおすすめしたいと私は思うのだが。

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