日めくり詩歌  俳句  後藤貴子(2012/08/28)

それとなく霞む練習してゐたり   糸 大八

【霞む】動詞
1 霞がかかる。また、物がぼやけて見えなくなる。
2 他の、より目立つものに負けて存在感がうすくなる。(注1)

インターネット社会になってから、人々の自己表現欲求が高まったように感じるのは筆者だけだろうか。職業柄、生徒達の「前略プロフ」をチェックせざるを得ないことがあるのだが、彼らがあまりに無防備に、自分の行動や気持ちを吐露していることにいつも驚かされる。どこかで自分の本音が言いたい、誰かに聞いてもらいたい、人と繋がりたいという心の現れなのだろうか。

現代社会は良きにつけ悪しきにつけ、自己PRが求められるケースが多い。自分がどんな人間で、どんな社会的スキルを身につけているか、外部にうまく表出できなければ、就職がしにくい等の不利益を被る場合もあるだろうから。また、自己表現をしようと思えば、例えばインターネット上などでいくらでも場が与えられる、という実情もある。

しかし反面、「出る杭は打たれる」の言葉通り、私たちは社会的存在として、無難に日常生活を送るために、あるいは不利益を被らないために、わざと目立たないように行動せざるをえない場合も多い。また、生まれつき目立つことが嫌いな性格の持ち主もいるだろう。

掲句の場合、「霞む」は2の意味だろうが、「練習」の連体修飾語となっており、周囲の状況ではなく、自分の意思で自分の存在感を消している、しかも、いざというときにうまくやるために、「さりげなく」その行為を繰り返している、ということが読み取れる。

ところで「存在感を消す」ということが「死」に繋がることはないだろうか。「あらゆる生あるものの目指すところは死である」というフロイトの言葉通り、人間は必ず死に向かう。最期は存在が消滅するわけである。

霞(名詞)の句といえば、正岡子規の「行く人の霞になつてしまひけり」が思い浮かぶ。遠ざかっていった人が、春霞の中に消えてしまったということであるが、この「霞になつてしまひけり」は、死の暗喩であると考えられないか。(映画等で死者はよく、霞がかかったようなぼんやりした姿を見せる)。

そこから考えると掲句は、よりよい死を迎えるために、日々密かに鍛錬している、と読めないこともない。

ところで、作者の「霞」(名詞)の句には、次のようなものがある。

産湯より死水までの霞かな   大八

こちらの句の「霞」は、先が見えない五里霧中の日々を象徴しているように感じる。

作者の糸大八は昭和12年(1937)生。平成24年(2012)3月没。「握手」「円錐」同人。俳句研究新社主催第11回50句競作入選者。掲句は彼の最後の句集となった『白桃』に収められている。他の句集に『青鱗集』『蛮朱』がある。

作者、糸をひとことで言えば、俳句の手練れ、名手である。

原生林斧ふる者を祖父とせり   『青鱗集』
法悦の蠅より蛆のこぼれけり
木枯しのたかが一ト壜ではないか
頭より生まれ椿をまのあたり   『蛮朱』 
永き日の睡魔にまさる朋ありや
有頂天なれば雲雀のこゑばかり
野水仙同性愛まであとすこし   『白桃』
水の澄むそんな贅沢してゐたり
遠泳のふぐり寂しと思ひけり

糸の句の優れた特徴は、定型の徹底的な遵守を背景にした、練熟した二物衝撃の技能、特に日常語(あるいは季語)の取り合わせの絶妙さにある。

黒豆に皺なく神の加護もなく   『白桃』

黒豆の「皺」と「神の加護」を「なく」という語を用いることで取り合わせ、俳諧味を醸し出している。これほどの言葉の妙技を見せる作家はそういない。彼自身、自身の俳句について「僕がいつも自分に言い聞かせているのは、『内容よりも形だよ』ということです。」(注2)「俳句というのは、本来二つの言葉がぶつかって、言葉の意味とはちがう別の世界を顕ちあがらせることなのです」(注3)と述べているが、自身の俳句に対する理念に沿って修練していった結果が、珠玉とも言える糸の作品群なのだろう。

糸が病に倒れたのは2008年。それから2年後、「円錐」同人を中心に、「糸大八句集刊行会」が立ち上がり、広く協賛金を集めて、それを元手に『白桃』は刊行された。その前後、「円錐」では何度も、誌上で糸の作品の小特集が組まれた。彼の回復を心から願い、彼の俳句をいとおしむ人々が多かったことの表れであろう。

澤好摩をはじめとする周囲の人々の苦心が実り、昨年8月『白桃』は誕生したが、作者である糸は、今年3月、惜しまれつつ鬼籍に入った。

「円錐」は近々、彼の追悼号を出すという。心から糸大八のご冥福を祈る。


(注1)「大辞林」(三省堂)

(注2)「握手」2001年10月号 「俳句の骨法」

(注3)「握手」2003年1月号 「俳句の明日を拓く 二物衝撃について」

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