日めくり詩歌 俳句 竹岡一郎(2012/09/05)

いはれなくてもあれはおほかみの匂ひ   青山茂根

匂い以外は何も出てこない。何の形状も音もない。昼か夜かさえもわからない。それでも、作者は、狼の匂いに確信を持っているのだ。狼の匂いを現実に嗅ぎ分けられるとは思えないから、この「おほかみ」は象徴である。狼に象徴される、或る精神の匂いである。自由で気高く、大神おおかみと称せられるほど怖れを知らぬが故に、常に絶滅危惧種とならざるを得ない精神の匂いである。「いわれなくても」と言い得るのは、その匂いが作者に親しいから、もっと言うなら、作者自身が狼と同族であるからだ。

この句を収録する『BABYLON』は、作者の第一句集である。第一句集はこうでなくてはと思わせるほど、跳躍力を感じさせる。

流氷はいななきをもて迎ふべし
鈴つけしものらに虹をあけわたす
草笛を拾へばあらはれる回廊
歓喜また氷柱を鳴らす者のあり

この句群の凛とした清浄さ。これらの静かな喜びは、作者の自覚に裏打ちされている。自分は知っているのだという自覚。世界の秘密を知っているのだという誇り、世界が十分に美しいことを、その訳を肌で知っているという誇りだ。

この句集には、かなり海外詠が入っていて、旅好きであることを窺わせるが、奇妙なことに海外での句の方が、日本で作った句よりも寛いでいて余裕がある。

インドネシア

楽園を捨てて夜学へ通ひけり

マレーシア

百獣の闇をはるかに夜食せり

パリ

凍てつかぬための回転木馬だと

モロッコ・タンジール

踊子の先に砂上の都市あらむ

マレーシア・クアラルンプール

秋冷と思ふターバンを外すとき

海外なのに、親しげな匂いすら漂うのは、どういうわけか。あるいは、自分にとって完全に異郷だと割り切れる心が、余裕を生むのか。それに反して、次の句の妙な寄る辺なさは、何だろう。

最果ての地にも蒲団の干されけり

蒲団が出て来るのだから、日本国内の最果てだろう。根拠はないが、北海道の最北端辺りのようにも思う。蒲団が冬の季語であるせいか。「最果ての地には」ではなく、「にも」。この「にも」に、此処にも人が住んでいるのだ、という安心感よりも、此処にも蒲団という日常がぶら下がってしまっている、という一種の失望を嗅いでしまうのは、私だけか。先にあげた海外詠とは逆に、蒲団という日本独特の日常が出て来ることによって、醸される寄る辺なさ。

もしかしたら、作者にとって、この現代日本の、共同体での日常は一寸苦しい。ぬるま湯のように繰り返されてきた昨日、繰り返されるだろう明日に盲目的に甘んじることは、時に作者には耐え難いのではないか。

箱庭にもがきし跡のありにけり
もがき続けて縮む風船のなか
ふらここをくびきの重さとも知らず
灼かれたる身には尻尾のあらざりき

これは皆、作者の自嘲の心情に見える。自分には見えている道、あるいは方向、あるいは憧れ、それが周りの者達には見えないという苛立たしさ。

箱庭、風船、即ち閉じている空間。ぶらんこ、即ち自由に見えて実はごく狭い範囲を行き来するしかない、乗り物でさえない遊具。どこまで行っても人間という社会的動物でしかない、尻尾のないこの身。

周囲では、この世の、今生きている狭い共同体のことにしか頭の及ばない者達が、一寸気の利いたことを精々繰り返している。死ぬまでそれを繰り返し、灰になることを疑問に思わぬ。

ががんぼに嘆きの壁を与へけり

ががんぼが何度も壁にぶつかり、壁に沿ってうろつきまわる様を、作者はじっと見ている。やがて、その壁は「嘆きの壁」、イスラエルの失われた王国の名残ではないかと気づき出す。ユダヤの民は嘆きの壁に頭をつけて祈り、新しいエルサレムを希求するが、それは本来なら、この世には無い王国、この世の全てが滅びた後に、天そのもののように降り来たる王国だろう。

薬喰せむ剝落の都にて
沈みゆく街とも知らず踊りけり
みほとりにあかりをもたぬゆゑ遍路

王国が無いから、この剥げかけた芝居の書割のような都で、いたずらに薬喰でもして偽りの精をつけねばならぬ。この繁栄の代償として、やがては沈む街とは知らぬ振りをして、踊らねばならぬ。光と思われるものが無いから、この身を遍路のように歩ませねばならぬ。行ってしまいたいな、と思う。どこへ。此処ではないどこか。これは詩人の、普遍的な願望だ。此処ではない何処かへ。

船着くと日盛をまた立ち上がる
どれほどの船を見てきし小鳥かな

此処ではない何処かへの、手放しの、無防備な憧憬。なんと素直な心情を詠うのだろう。まるで行ったことのない故郷へ向けて呟くような。行きたいのではなく、帰りたいのか。

ひよめきの閉ぢて梟帰れざる

智慧の象徴の梟がわが頭蓋に帰れないのは、顋門ひよめき、幼児期には開いている頭蓋の継ぎ目が閉じているからだ、というのは、ヨーガでいうところの「蓮華の車輪サハスララ・チャクラ」、真実の智慧を得るという、人体の頭頂部に隠された部位への憧れなのか。

いや、そんな小難しい解釈をせずとも、「閉じて」で、句は一旦切れていると読んだ方が良いか。瞑想するように眼を閉じた幼子と、森と、さまよう梟を描けば、まるでレメディオス・バロの絵のように、魔術的憧れに満たされている。

綿虫飛んで優しきふるさとの終り

ここに「優しき」とつけたのは、まだ「ふるさと」というものを信じている人々への気遣いか、それとも「幼年期」という、一般には黄金郷とされているらしい、酷く無力な時期への追悼か。

鍵失ひて空蝉へ帰れざる

飯島晴子は「襖しめて空蝉を吹きくらすかな」と詠ったが、吹いて吹かれるところの空蝉へと帰る鍵が無いという嘆き、穏やかに空っぽに引き籠れる隠れ家に帰れないという嘆き。

いや、そんなものはみんな嘘だ、と知らない作者ではあるまい。本当は失われたものなど何ひとつ無い。最初から無かったものばかりだ。精神の黄金郷も、現実のふるさとも、引き籠れる優しい隠れ家も。ただ、あると思えば、この世をやり過ごすのに何かと都合が良いだけ。

いずれにせよ、それは綿虫のように儚いもので、その儚さを偲ぶくらいなら、むしろ

銀河系くらゐのまくなぎと出会ふ

と、壮大に茶化した方が良い。その方が本当の現実だからだ。先のふるさとの句の末尾で「終り」と言い切るからこそ、数多の星雲の揺れ動く様をまくなぎと観ずる眼が生じるのだ。

ビル街を砕氷船の往ける幅

と詠うとき、作者の眼には、街の欺瞞を破壊するものとして、峻厳に進みゆく砕氷船が見えている筈だ。

塔あらば千の虫籠吊るしたし

と詠うときは、作者の胸中には既に、天を指差す塔と、夜空を響き渡る千の詩人の魂がひしめいている筈だ。

アフリカの泥の重さの髪洗ふ

と言い切るときには、眼を閉じた闇、己が両手に、かつて暗黒大陸といわれたアフリカの、生き生きとしたうねりを受け止めている筈だ。そのうねりはそのまま、己が魂の重みであるとわかっている筈だ。

それでも、我慢してみる。今、ここに、今ひとたびは静かに穏やかに美しく我慢しよう。そんな句が沢山ある。

ゆるしあふものらは冬眠の穴へ
くちびるはつぶやきつづけゑぶみかな
座礁せしまま緑蔭の木椅子かな
蝉牢と言はむ流謫とも言はむ
いつか訪ねむ滝壺の奥の戸を
閉ぢてばかりの瞼焼けてゐる夏

今ひとたびは、許し合ってこの世の狭い穴へ眠ろう。唇は信条を忘れぬままに、憧憬を踏もう。今ひとたびは、自由を座礁して緑の木陰に憩おう。流罪を得た如く、牢のような蝉時雨にも坐そう。いつか、神体である瀧に閉ざされた、その向こうの地を訪れよう。だが、耐えるために閉ざし続ける瞼は、じりじりと焼けている。外からか、それとも己が内側からか、憧れに焼け焦げているのだ。

そんな風に耐えていると、ふっと日本の本質のような句が出来るときもある。

切株の増ゆるは雁の別れかな

この句の不可思議さは、どうも説明し難い。素晴らしく良い句だとしかわからない。どこがどう良いかを解析することが出来ないのだ。「日月山水図」のような、室町や桃山の抽象表現に通ずるところもある。私は高野素十を思い、また摂津幸彦を思った。この二人は、意外に近いものがあるのではないかと常々思っているのだが。

(大いに道を外れるが、私は、素十の「甘草の芽のとびとびのひとならび」が長い間わからなかった。あるとき、摂津幸彦の「前衛に甘草の目のひとならび」を読んだとき、はっとした。素十、幸彦、ともに天才だと思った。なぜそう思うのか、未だ良く解らぬ。素十は、実は前衛の極致かも知れぬ。摂津幸彦は、そう観じていたのかも知れぬ。閑話休題あだしごとはさておき。)

風紋のみづみづしきを雁供養

この句にも、やはり大胆な省略を観ずる。「を」とは一種のぼかしであるが、この句の場合、この「を」こそが画龍点睛であろう。下五「雁供養」の後に続く、隠された動詞を様々に思わせる。匂い立つ意としては、作者の立つ浜が、日本の風土が、雁を悼むのである。

活版をくづして雪の降りにけり

この句も実に日本の美しさがある。石田波郷を思わせる、しっかりとした悲しみの形がある。しかし作者の本分ではあるまい。こういう句を、あるいは俳壇は期待するかも知れぬし、こういう句を作り続ける実力は十二分にある作者だと思うが。

毛虫には焔の羽根を与へむか

作者にしては珍しい、死を思わせる句だ。毛虫を焼くときに、その死が或る飛翔のように思われる、というのは毛虫に自らを重ねているからだろう。焼かれる毛虫の死を、強引な羽化のように思ってしまう作者が、どんなに日常に悴もうとも、衆の安穏に留まっていられるものか。

かじかむを羽化のはじまる心地とも

縮みゆくように悴んでゆくその心地を、これは羽化の前触れだと信じる意志の力。その意志の力が、即ち羽化する力なのだ。

拾ひつづけて銀漢へ分け入らむ
西へ西へと向日葵を倒しつつ
泳ぎつづけむ花束をうち捨てて

日常を振り捨てて、ひたすらに進んで行く意志。それで良いのだ、と思う。花束なんか、進みゆくためには邪魔なだけだ。

さういへば武器を持たざる焚火かな

こんな一見とぼけた句にも、それで良いのだ、と思う。徒手空拳で征け、と思う。その方が思わぬ動きで戦える。機銃を備えぬ戦闘機のような航行。人間相手ではなく、渦巻く気流や、罠のように魅入る星座たちとの戦い。時に、自らを沙漠の隊商のように、

絨緞をまるめ国境越えゆけり

と感じることもある。波打つ星々を海面のように錯覚し、

いつせいに星を廻せる鯨かな

と、海を渦巻かせる大きな力を感じることもあるだろう。あるいは、星たちさえも慕う真理の渦巻きを確かに見たように思って、

螺髪らほつへと流星還りくるころか

とも詠う。沙漠の果てに聳えるヒマラヤの、この世ならざる輝きを鳥瞰したように思って。星座の間を行くことは、時に困難を極め、

蹴爪にて露の深さをはかるべし

という、奇妙な道具を用いる精緻な錬金術のように、細心の注意が必要とされることもあろう。露の深さとは神秘の深さだからだ。

自分は世界の秘密を知っているのだ、と作者は誇らしく思う。鳥も及ばぬ高みから世界を、海と沙漠と星々を見下ろしているのだと思う。それはこの精神、狼の匂いを放つ、この意志の力の故だ。

バビロンへ行かう風信子ヒヤシンス咲いたなら

句集を締めくくる句であり、句集の題名にもなっている句であるから、作者にとって重要な句であろう。この句を読み解こうとして、私は実に悩んだ。解けたとは思わぬが、次に読解を試みる。

ギリシャ神話でアポロンの友人ヒュアキントスが死に際に流した血がヒヤシンスと化したというが、この句においてその逸話がそれほど意味を持つとも思われない。風信子という当て字は明治になってから付けられたそうで、香りが風に乗って運ばれる様を示しているらしい。しかし、それならもっと強い香りの花でも良いわけで、ここに風信子を配するわけは、一つに「風の便り」を思わせる漢字、もう一つはその青空のような色にあるのではないかと思う。ヒヤシンスに白や赤がないわけではないが、一般には青が多い。

ヴィオランという鉱物を思い出す。別名ブルーダイオプサイトといい、ダイオプサイト(透輝石)に微量のマンガンが入って青い色になる。ダイオプサイト自体は別に珍しい鉱物ではないが、ヴィオランはロシアの或る限られた地層でしか採れないとのことで、珍重されていた。磨き石に昔触れたことがある。質感は大理石に似て、その青の色が春隣の淡い空のようで、懐かしい穏やかさを感じさせた。

青いヒヤシンスは、丁度そのヴィオランの色を思わせる。はるかな古代の色だ。

私が疑問なのは、なぜバビロンという、人によっては堕落と悪徳と絶対権力の象徴と捉えられかねない名(黙示録のバビロンの大娼婦が真っ先に思い浮かぶであろう)を、いつか志す地として作者が詠い、ヒヤシンスの、永遠の空のような青を配したのかということだ。

バビロンが聖書中で悪と頽廃の象徴のように描かれるのは、バビロン捕囚の故という。通説では紀元前586年、ユダ王国の首都エルサレムが新バビロニア王国に破壊され、古代イスラエル人の大半はバビロンに連れ去られた。ユダヤ教の神、現在の旧約・新約聖書に描かれる唯一神が絶対的、排他的な性格を帯びるのは、バビロン捕囚より始まるといわれる。

一方、バビロニアの民にとってのバビロンは、アッカド語で「神の門」を意味し、その都市神であるマルドゥクは、本来は農耕神と考えられている。様々な神の性格を取り込み、後にはバビロニアの最高神となったが、多神教の一柱である。

バビロンとは古代イスラエル人にとっては巨悪であるが、古代バビロニアの民にとっては正義であろう。古代アテネや古代ローマが、そこに囚われた奴隷達にとっては悪であり、アテネ市民やローマ市民にとっては善であったように。

この句のバビロンは、悪徳の都でも神に逆らうバベルの塔でもなく、悪とみなされる以前の、古代バビロニアの首都と見たい。世界の各地方にそれぞれ強大な土着の神々がいて、それぞれの信仰がそれぞれの正義を保証していた時代の、肥沃な平原の都である。

作者はなぜバビロンへ行きたいのだろう。バビロン捕囚が期せずして、唯一神への排他的信仰を強める起因となったこと、そしてバビロンという栄華を誇った都市が、ペルシャ王国、アレクサンドロス大王と、その支配者を変え、遂にはメソポタミア平原の砂漠化と共に滅び埋もれたことを考えると、この句には或る皮肉があるのだろうか。

例えば、今も昔もバビロンでないところなど何処にもないという風な。片方から見れば善であり、もう片方から見れば悪であるような、排他の連鎖を繰り返すような繁栄しか、この地上には在り得ず、その繁栄はやがて確実に滅びるという、作者の奥底の絶望なのだろうか。

先にヒュアキントスの逸話が、この句においてそれほど重要とは思われないと記したが、或いは、とも考える。先のギリシャ神話の逸話から導き出されるヒヤシンスの花言葉は「悲しみを超えた愛」、いや、まさか。そうなると、バビロンに象徴される諸々をも裁かないで抱くような、いわば人間の心を救おうとする試み、ということになってしまう。そこに作者は、己を地上に結びつける「世界の結び目」を見出すのだろうか。

この二元対立の世界は、例えば、善と悪の概念で仕切られる。善とは(それを強行するときには正義と呼ばれるのだが)、正確には、己の立ち位置を正当だと思いたい衝動である。

生者にとっての正義とは、自らの正当性を主張するために用いられる概念であって、永遠に固定されたものではない。なぜなら、生きるというのは揺れ動くことだから。

人間が戦うのは、現実的利益のためのように見えて、実際はそうではない。正義のため、言い換えるなら、自身の正当性を主張するためである。(その正当性を更に「誇り」と言い換えられるかどうかは、戦う者の高潔さによる。)

大は戦争から小は机上の論争に至るまで、戦いは人間の本能である。それは避けられない。だったら、せめて敵を選びたい。気高く偉大なる敵であって欲しい。敵が十二分に素晴らしければ、勝ち負けを気にせずとも良いかも知れぬ。ただ戦いの潔さだけに気を配っていれば良い。

月光にはるかなる敵探しをり

とは、そんな祈りであろうか。「はるかなる」という、時空の広大さを形容する語に籠められた、敵への祈りである。気高く誇り高く、月光を踏みしめる狼の如くあって欲しいという願い。

そのように在る敵ならば、戦いつつも愛することが出来る。尊敬を以って戦うことが出来る。無論、理想主義である。だが、戦いの最前衛とは、意外に理想主義なものだ。

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