天の河
右岸
左岸も
暝いなあ 岩片仁次
岩片仁次は昭和6年生。「俳句評論」「騎」同人を経て、現在個人誌「夢幻航海」を発行している。句集は『死者の書』(昭和48年刊)等13冊を数えるのだが、最高でも65部という超限定出版のため、彼の句集を入手することはひじょうに困難と思われる。
彼の名前が一部俳壇で知られているのは、彼が編纂した『高柳重信散文集成』(平成14年)によってであろう。全17巻中に高柳のほぼすべての散文が収録されており、これによって高柳は、最も完璧なテキストを持つ俳人となった。しかしこれも、発行数がわずか27部という点が惜しまれる。
筆者が岩片の仕事で密かに好きなのは、訳書『サージン列伝集』(2007年刊)である。19世紀末のフランスに存在していた、ブラン・ド・サージンの著作5冊を、岩片が発掘・翻訳・出版(49部)したものなのだが、著者サージンは稀代の博覧で、古今東西の森羅万象に精通している。
どうやら今泉康弘も同書を好むらしく、今泉は神保町七丁目の古書肆で、ル・トルデアック教授が友人サージンに向けた文章を見つけ出し、その欠損を補い、全文を岩片の「夢幻航海」第65号に寄稿しているのだが、その中の今泉自身の文章を紹介しておく。
架空の人物に托して自らの幻想を語ること。そして、それを訳者という立場として発表すること。そのような手の込んだ趣向こそ、極めつきの遊びである。それは近代主義への批判の矢である。
『サージン列伝集』第五之書「放蕩列伝」に、桃の精の話が出てくる。ある男が天の河の源流を求め、河をさかのぼっていると、上流の果実林で若い娘たちと出会う。男はその中の一人と愛し合うのだが、娘は実は桃の精で、男は半分人間ではなくなってしまう。そして男も娘も、天の河の右岸と左岸へと別々に追放される。密通の罰として彼等が共に鞭打たれた、桃の小枝を襟にさして。
掲句はこの悲恋の後日談であろう。この話の最後は以下のように結ばれている。
二人のどちらかが桃の枝を地に挿して大樹に育て、それを橋にして天の川を渡り、共に幸せに暮らす事になったという物語が、何処かにあるかも知れないが、私は知らない。もしそうなり、二人が更に其処に桃の樹林を育てたとしたら、その桃の実は流れ星のように下界に落ちてきて、それを拾った男女の恋物語を生れさせる事になったかも知れない。
しかし現実はそう美しい話ではなかったことを、岩片は句で示している。「暝」は「死んで永眠すること」という意味がある(注1)。男は半分人間のままであり、桃の精であった娘は半分人間になり、どちらも天の河の上流をさまよい歩く途中でのたれ死んだのだろう。悲恋は美しい思い出のまま、時のまにまに留め置く方がよいのだ。
掲句が収録されている『戦火想望集』(平成17年刊)は、岩片の俳句に対する姿勢を明確に示す句集である。あとがきに、彼はこう記す。
往年、新興俳句運動の晩期に悪名高き〈戦火想望俳句〉なるものがあったが、思えば、敗戦直後から始まった私の俳句遍歴に底流には、常に此の〈戦火想望〉の思いが漂っていたようである。(中略)願わくば、戦没怨霊諸氏の益々の跳梁跋扈あらんことを。
*
夕焼けや
みな殺されて
歩きだす
この岩片の句に対し、倉阪鬼一郎は
夕焼けに大量殺戮の光景を幻視することまではたやすいかも知れませんが、一行の空白の重みはどうでしょう。(中略)読み手が空白に描き出す絵は人によって異なるはずです。
と述べている(注2)。空白の一行に、さまざまな戦没怨霊諸氏の姿が浮かんでは消えてゆく。殺された人間が多ければ多いほど、怨霊諸氏の行き所のない無念さや、この世への未練、彼等一人一人の生前の生き様までが強く示現されるのだ。
岩片は初期から現在まで「戦火想望俳句」を志向し、実践してきた希有な存在である。彼の志向の一貫性、俳句に対する深い誠意を、筆者は畏敬している。
彈痕のある精蟲をそそぐかな
*
男根を
灯す行進
シベリアにて
*
子を埋めて
馥郁たりき
すいじょうき
*
提燈が
原爆となる
地平かな
- (注1)『漢字源』学習研究社
- (注2)『怖い俳句』倉阪鬼一郎 幻冬舎新書