日めくり詩歌 俳句 竹岡一郎(2012/10/04)

月とペンそして一羽の鸚鵡あれば   髙柳克弘

(詩客2011年9月9日号)

本当は、月とペンだけでも良いのだろう。月はその時々の月であって良い。満月なら殊に良いが、半月でも三日月でも、それはそれで良し。新月だって構わない、この手にペンさえあれば。さて、誰も踏みしめたことのない言葉で十七音を綴ってみせよう。ただ願わくば、一羽の鸚鵡が傍にいて欲しい。

句中の「そして」は若者の逡巡である。内省といっても良い。さらに深読みをするなら、その鸚鵡は作者が慢したとき、あるいは窮したときに、「遠山に日の当たりたる枯野かな」とか「この道や行く人なしに秋の暮」とか、時には「うすらひは深山へかへる花の如」とか叫ぶのだろう。若者は、はっと身を正し、ペンを取り直す。この句は、作者の自画像といって良いだろう。

句中のペンは創作に使われるだけのものではなく、先人の句をえんえんと書き写したり、あるいは論考を綴るのにも良く用いられるであろうことは、彼が第一句集『未踏』に先立つこと一年前に著した『芭蕉の一句』を読めば、たやすく想像できる。

彼の『芭蕉の一句』が出たときに、よくこれだけ研究したものだと感心した。芭蕉の研究書は、おそらく雨後の竹の子のように出ているだろうから、その上にさらに何事か付け加えようとするには、努めるもさることながら、先ず気概が必要であろう。笑われても貶されても良いから、世に俳聖と仰がれる芭蕉に何かしら肉薄すべしという覚悟である。何よりも、その意気や良し、と思うのだ。

『俳諧雅楽集』を用い、季語の本意を解説するそのテキストに従って芭蕉を読み解こうとした、彼の『芭蕉の一句』の後書きには、こう記されている。

『俳諧雅楽集』は、従来の芭蕉の発句鑑賞では、ほとんど取り上げられてこなかった。芭蕉の句を読み解くにあたって、本書が『俳諧雅楽集』に書かれた本意を用いたのは、芭蕉が季語の新しい有様を描き出そうと果敢に挑戦していたことをあきらかにし、“詩情の開拓者”たる芭蕉の姿を浮き彫りにするためである。

勿論、彼もまた芭蕉に倣って季語の新しい有様を描きたいと思うのだろう。それは季語に寄り添い、季語の気持ちになろうと努めなければ難しい。彼の句において、その試みが成功しているのは、例えば次の句だ。

牽かれつつ打たれつつ馬肥ゆるなり   『未踏』

「馬肥ゆ」というのは、「天高し」と並んで用いられ、「豊年」にも通じる季語であって、明るくめでたい印象があるが、作者は馬の気持ちになって、この季語を改めて探ったのだ。人間のめでたさが、必ずしも馬のめでたさとなるわけではない。馬にとっては労働などせず、自由に野を駆け回るのが本意である。

そこに気付いたのは、彼の、文明の末期に生きる若者の優しさである。何百年も当然の如く肯定されてきた「人間社会の発展」というものを、一歩外れて観ている眼である。それは遠く、芭蕉の風狂の眼につながっている。そして、彼は馬という生き物が実は好きなのかも知れない。

馬と眠る旅をしたしよ沙羅の花   「鷹」平成24年8月号

という、実にロマンティックな句があるからだ。沙羅の花という、無常と涅槃を同時に思わせる花を取り合わせたことで、時空を超えたところに憧れる、旅のはるけさが偲ばれる。

季語の新しい有様を歌おうとした句は、例えば次の句群にも見て取れる。

みづ揺れてあきかぜ色となりにけり   『未踏』
かよふものなき一対の冬木かな   同
港あり寒林よりもしづかにて   同
初山河すなはち羽虫湧き立ちぬ   同

一句目は飯田蛇笏の高名な「秋立つや川瀬にまじる風の音」に迫ろうとしたのだろう。蛇笏の句が、藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」を踏まえて新たに川瀬の音を打ち出したように、作者は蛇笏の句を踏まえて、さらに風の音を消し、代わりに水から風の色を引き出した(あるいは風の色を水に映し還したともいえよう)、即ち、音を嘆ずることから色を嘆ずることへと方向を変えたのである。うっすらと冷ややかさを含み始めた水が、あたかも秋風の母胎であって、その水から秋風が生じる直前を詠ったようにも取れる。

二句目は、冬木になってみたのである。「一対の」に対して「かよふものなき」と踏み込んだところが、季が廻ればやがて通うものもあろうに、という冬木の感情を引き出している。

三句目は、寒林の「しづか」という本質だけを寒林から大胆に抜き出して、港に移したのである。冬の港に沢山の船が停留し、林立する帆柱が音もなく波に揺られている、そのさまに寒林を見たのである。

四句目は、めでたい初山河に人間の嫌がる羽虫を湧き立たせることによって、人間にとって嫌でも自然にとってはめでたい生命の横溢を見たのである。先に挙げた「馬肥ゆる」の句の逆を行ったのだ。

作者はその著書「芭蕉の一句」において、時間の意識について述べている。芭蕉の句、「しばらくは花の上なる月夜かな『初蝉』」についての解説を引用する。

イギリスに俳句を紹介したことで知られる英文学者R・H・ブライスは「俳句的瞬間」を強調したが、思い違いしてはいけないのは、俳句的瞬間とはスナップショットのようなものではなく、あくまで時間の流れを背後に感じさせるような一瞬のことなのである。その点、この句は「しばらくは」で時間の流れを暗示させつつ、桜の上の月光の刹那の景を捉えている点で、まさに「俳句的瞬間」の好例といえる。刹那的であるからこそ、いま眼前にしている景の美しさが、この世ならぬものとして立ち上がってくるのである。

ここで、時間に対する作者の危惧を、端的に述べた句を挙げよう。

くろあげは時計は時の意のまゝに   『未踏』

蝶が良く魂を象徴すること、黒揚羽がその影を思わせる色から、魂は魂でも、或る暗がり、例えば滅びや死に傾いた魂を思わせることは、中七下五の措辞と合わせ読むことで、静かな皮肉を想起させる。中七下五は一見ごく当たり前のことを詠っているようだが、私はここに、近代以降から現代にかけて徐々に狂ってきた時間への意識に対する、批判を観ずる。

即ち、現代の我々の意識は、「時は時計の意のままに」である。決して「時計は時の意のままに」ではない。それはあの「時は金なり」という、厭らしさもここに極まれりの観がある格言を引くまでもなく、産業革命以来、何百年もかけて積もり積もった金銭至上主義の結果である。

人間にとって、時間とは人生であり、どれだけこの世に生きていられるか、ということだ。金銭と等価に並べること自体、すでに噴飯ものだが、我々の生活は、その「時は金なり」なるナンセンスに全く支配されているといって良い。でなければ、設置された時計、人間が身に着けている時計も含めて、例えば、都市の一定の空間になぜ、あれだけ膨大な量の時計があるのか。

今よりも寿命が短い筈の平安時代に、逢瀬に二時間待つくらいは当たり前だったという。平安当時、あるいは芭蕉の時代の「瞬間」と、今の時代の「瞬間」とは、自ずから厚みが違ってくる。一秒、あるいは零コンマ何秒という、一定の区切られた時間が「瞬間」なのではなく、人間の、或る心の昂揚が、本来、「瞬間」と呼びうるものであったかもしれぬ。それが一秒と、あるいは十二時間と計測されようとも、そのような数値とは全く無縁のところで、かつて「瞬間」という概念があったように思う。

揚羽追ふこころ揚羽と行つたきり   『未踏』

この句など、作者の心の昂揚が、芭蕉の時代の「瞬間」へと行ってしまったような観を受ける。実景では、作者の体が揚羽を追いかけているのではなく、眼で追っているのだろう。その眼差しにいつか作者の心が乗り、揚羽が野を目指せば野へ、天を目指せば遙かな高みへと、作者の心は戻らぬのである。作者の心の形状は、揚羽を出すことによって、現実の揚羽と睦み舞う、もう一匹の揚羽として、読者に想像されるのだ。

さて、「俳句は瞬間を詠うもの」とは、初学の際、耳にタコが出来るほど聞かされたものだが、この格言による最大の陥穽は、一句を成すことへの覚悟と忍耐がないと、句が薄くなることである。

感性だけで、一寸気の利いたことを、上手いこと言っただけの句が、どれほどの生命を保てるか。地道に時間というものを愛おしみ、永遠というものを思惟するしか(それが「待つ」という行為の美しさである)、長く鑑賞に耐え得る句を得る手段はないのかも知れぬ。

日々とほく見てゐし冬木けふ倚りぬ   『未踏』
枯山や刻かけずして星そろふ   同
枯るる中ことりと積木完成す   同
羽音もう聞こえぬ高み風邪心地   同

これらの句に流れる、時間の経過の静謐さは素晴らしい。「けふ倚りぬ」「そろふ」「完成す」「もう聞こえぬ」と、いずれの句も、事物の動きは最後に、或る終結を見るのだが、その終結に至るまでの経過があまりに静かなので、結果として事物の動きは、或る(ささやかな)永遠性を獲得する。それは事物の動き方ゆえではなく、その動きを観る作者の眼差しによる。

凝視、というのではない。何かを見抜いてやろう、と逸(はや)る眼ではなく、黙って見守っている眼である。軽やかな忍耐の眼、といっても良い。軽やかさと忍耐とは相反するように思えるが、作者にとって、二つは両立するのだ。そのように軽やかに地道に学を積み重ねてきたのだろうと偲ばれる。

木は鳥をながくとどめて暮春かな   『未踏』

この句に至ると、木と鳥の関係は、もはや始まりもなく終わりもない。「暮春」という季語は、儚さがその儚さのまま永遠に続くような、そんな錯覚を蔵している季語で、その二律背反性、一瞬にすぎぬような永遠、とでもいうべき観が、俳人に愛されるゆえんだと思うのだが、この句では、木と鳥の関係に、暮春の蔵する優しい錯覚が良く表わされている。

そんな作者が、いざ瞬間を詠うと、次のような句となる。

浴衣着て思ひがけない風が吹く   『未踏』
星充ちて夜の絶頂きんぽうげ 同
heureka(ヘウレーカ)木の実に頭打たれけり 同

ここに見えるのは、作者の、瞬間に対する感謝である。瞬間の驚きを手放しに受け取っている、その驚きに身を任せている観がある。

一句目は、風に対する感謝である。浴衣にふさわしい涼風を一つの賜物のように感じている心が「思いがけない」という措辞に現われている。

二句目は星空に身を任せる感覚である。金鳳華という小さな黄色い花は、むしろ「きんぽうげ」という軽やかな輝きを持つ音感によって、星々に身を任せる作者の昂揚を慎ましく表わしている。中村汀女に「だんだんに己かがやき金鳳華」という、実に慎ましい歓喜を詠った句がある。掲句においては、作者は自身を、数多充ちる星々の静かな一つであるように思ったのかもしれぬ。

三句目が「われ発見せり」という意味の有名なギリシャ語を用いながらも、決して機知に堕していないのは、作者自身の発見が「木の実に頭を打たれる」という、これ以上何でもない事などあるだろうかという程の、慎ましい体験だからである。或いは幼子なら、その体験に、はっと驚き、次いで微笑むだろう。

この瞬間が永遠であれ、と思う、最も一般的な例は、恋愛である、と言い切ろう。ロミオとジュリエットは一週間しか付き合わなかったから、永遠の恋愛だったのだ、などという輩は、恋愛を知らぬに等しい。そんな恋は今や高校生、いや、中学生しかしない、それが現代の定説であろうが、一旦恋すれば、まるで中学生のような、相手を見ているだけでも嬉しい恋愛をしたことのない者とは、永遠を語ることが出来ぬ。

暴論は、重々承知。しかし、求道者とは、つまるところ、神に恋しているのである。例えば、泥という肉欲から、恋という蓮華が抜きん出るからといって、蓮華が所詮、泥であると言い得る者は居まい。

長々と恋愛についてぶち上げたのは、作者の恋句が、あまりに明るく直截で、私などは読んでいて困るからである。

木犀や同棲二年目の畳   『未踏』
どの樹にも告げずきさらぎ婚約す   同
雛飾るくるぶしわれのおもひびと   同
婚約のゆるしのやうに黄落す   同

これらの恋句のひめやかな清潔感はどうだろう。甘いといえば甘いが、しかし甘さこそが恋愛の王道である。ごく当たり前の、静かな恋愛を詠った句は意外と少ない。激情を強調したり、あるいは後ろめたさやドロドロしたものを出せば、とりあえず文学的な恰好はつくので、みんなそれをやりたがる。だが、掲句のように詠うには、忍耐が要る。静かに見守る眼が要る。それはそのまま、作者が恋人に向けている眼であろう。

「未踏」以降の、作者の恋句は、また別の穏やかさを見せている。

雪山も父となる日もはるかなる   「鷹」平成23年2月号
ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間   同
もう去らぬ女となりて葱刻む   「鷹」平成24年3月号

家庭になりかかっている関係とでもいおうか。まだ不安定さを残しつつも、恋愛の「恋」の要素よりも「愛」の要素が勝ち始めている印象を受ける。

さて、俳句においても、物事への恋よりも愛の方が、その姿は安定するものだ。写生とは、おそらく、焦がれる心ではなく、黙って見守る心であろう。言葉が、やがて眼前の事物に落ち着く、事物の中に言葉が沈潜してゆくのをただ見守ってゆくのが、写生の心であると思う。

秋冷や猫のあくびに牙さやか   『未踏』
洋梨とタイプライター日が昇る   同
短日や模型の都市の清らなる   「鷹」平成22年5月号
藻を踏みて蝦のあゆめる秋日かな   「鷹」平成24年1月号

いずれもただ事物が置かれているだけである。事物は生き物だったり、果実だったり、無機物だったりするが、いずれも事物を取り巻く環境とよく調和して、無音を感じさせるほどだ。書き留めようとする欲があまり感じられないのに、それぞれの事物の本質さえ浮かび上がるような気がする。

猫の無音のあくびを見れば、その牙の細さを思い、秋の冷ややかな空気を思うだろう。夜明けのタイプライターには、黄色いおどけた形の洋梨が良く似合うと思うだろう。白い清潔な模型都市には儚い冬の日差しを思うだろう。つまり、取り合わせの妙なのか。

いや、それは結果としてそうなっただけであって、作者が選んだわけではない。これらの取り合わせは作者の見守っている眼に応えて、事物と環境が自ずから組み合わせを選んだのだという気がしてくる。事物を表わす言葉と環境を表わす言葉が、それぞれ磁力線を発して結びつくまで、ただ見ている眼。

それが極まっているように思えるのが、四句目である。実に何でもない句だ。水底を蝦が歩いているだけである。暗喩も象徴も、そんな文学的要素は何も見当たらない。そして言葉に隙がない。

「藻」は、「苔」でも「砂」でも、いけない。柔らかなふわふわした、全体に空白を抱えつつ、一定の厚みのあるものでなければならない。「踏みて」は、「踏んで」でも「踏みゐて」でも、いけない。「蝦のあゆめる」は、「蝦あゆみゐる」でも「小蝦あゆめる」でも、いけない。今、列挙した語の、どこを変えても、蝦のゆっくりした動作は、消えてしまう。

水は川底まで澄んでいて、少し冷たいくらいでなければならない。空はよく晴れていて、少し寂しげでなければならない。つまり、「秋日」以外の季語はない。句の印象は、最後に茫漠と広がらなくてはならない。つまり、「かな」以外はあり得ない。

この句には、隙がない。虚子の「五百句」を思わせる。もう一つ、虚子を思わせる句を挙げよう。

風ほそく吹きゐる蛇の卵かな   「鷹」平成21年11月号

ここに幽かに香る「生命の根源的な不安」とでもいうべきもの。その源は一句のどのあたりから発するのか。一見「蛇」という語から発するように見えて、実はそうではない。「ほそく」という、風の描写から発するのだと思い当たって、ああ、良い句を読んだと思う。もしかすると、作者は虚子をかなり読み込んだのだろうか。

虚子の句には、読む者に、その隙のなさを伝染させる力がある。この「隙のなさ」とは、言葉の構成のことではない。上手く言えぬが、仮に喩えをもって試みるなら、まずは、刃を交える直前、斬り込めないような。良く練られた武人の刀捌きのようなものか。今走らんとする刀に徹り、その柄を支える、瞬かぬもの。だが、武人の心というだけではなく、将の心というだけでもない。武人は眼前の斬り合いに隙なく、将は眼前の布陣に隙がないが、そういう隙のなさではない。合戦を鳥瞰し、その果てたのちを、見抜こうとする意もないまま見通してしまうような「隙のなさ」。

虚子の句は、その深いところで実は、美学も公序良俗も良心も全部無視しているようなところがある。善悪の彼方にどかりと胡坐を組んでいる気がする。近現代の俳壇が、虚子から始まり虚子を中核としているのは公然の事実だが、それは虚子のいわば、王の素質(善悪の彼方に居るというのは、王にしか持ち得ない素質であろう)の、ごく自然に吼えた結果であって、虚子が細心にそれを図ったかどうかは、甚だ疑問に思う。

虚子が望むと望まざるとに拘らず、彼の圧倒的な存在感(魂の発する強さと言い換えても良い)ゆえに、勝手にそうなってしまったのではあるまいか。(ここで付け加えるなら、如何なる王といえども、転輪聖王(てんりんじょうおう)でない限り、最後の感慨は「春の山屍をうめて空しかり」なのである。)

虚子の句からは、その存在感を学ぶしか手がないように思う。そして、虚子の存在感を学ぶのに実践すべきは、その茫漠とした「隙のなさ」を思惟し、自らに重ねてゆくより他ないように思われるのだ。

作者には蝶の句が多い。作者の愛読する「俳諧雅楽集」によれば、蝶の本意は「戯る心」。だが、作者の描く蝶は、戯れがやがて本気になってゆく印象を受ける。

ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり『未踏』
蝶の昼読み了へし本死にゐたり   同

この辺りはまだ穏やかに勉学に思惟に戯れる心であろうが、

在ることのあやふさ蝶の生まれけり   『未踏』
蝶ふれしところよりわれくづるるか   同

こう詠われると、蝶のひらひらとした形状と動きは、存在の不安定さを象徴するものとなってゆく。戯れるとは、不安定に住しようとして、または本来は無いものを有ると思い込もうとして足掻く動きなのか。

死に至るやまひの蝶の乱舞かな   『未踏』

「死に至る病」といえば、キェルケゴールの「死に至る病とは絶望のことである」を思う。しかしながら、キェルケゴールの著作「死に至る病」に照らし合わせるなら、ここで乱舞する蝶は、自ら思惟し道を求めることを放棄した人々、圧倒多数の価値観(キェルケゴールが著した当時に則するなら、キリスト教社会における権威付けであろうが、何によって権威付けするかは、その時々の社会によって変わる)に従属し、遂には一生を浪費する人々、自己と永遠との一対一の対峙を怠った人々と読めるのである。これが現代における「蝶」の本意であると、作者は見ているのだろうか。

それは、まだ若い内に、あの9.11テロをリアルタイムの映像で見た世代の、絶望に似た感慨とも言えよう。栄華が崩れるのは一瞬であると、まざまざと見せつけられた後もなお、世界は黙示録へ向かって転がり落ちるのを止めない。

亡びゆくあかるさを蟹走りけり   『未踏』

これは太宰治へ捧げるオマージュであろう。太宰治の「右大臣実朝」中の、実朝のあまりに有名な台詞、「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」を踏まえ、そこに蟹を走らせている。石川啄木が泣きぬれて戯れるのも、金子兜太が原爆投下後の瓦礫に歩ませるのも蟹であって、蟹とは近代以降の、孤り立つ詩人の象徴と読めよう。また、太宰の作品を念頭に置けば、歌人である実朝を表わしているとも取れる。

さらに言うなら、太宰が「右大臣実朝」を書いたのは、先の大戦中である昭和17年から18年にかけてであり、その作中で、実朝の甥である公暁禅師は、蟹を叩きつけて甲羅を潰し、焚火で焼いて食ってしまう。後に、公暁は実朝を斬るのである。深読みをすれば、この句中に走る「詩人としての蟹」は、誰も止められない世相のうねりの中、やがて叩き潰され、食われてしまうのだ。

掲句は、「太宰忌」も「実朝忌」も使うことなく、太宰の姿、太宰を通した実朝の姿を描く。「死に至る病」の蔓延する只中で、眼を閉じず、立ち止まらぬ詩人の姿である。

作者にはもっと直截な心情を詠った句もある。

水洟や詩人は滅び世は進み   『未踏』

詩人が滅ぶような世の進み方が自由に向かっているわけはない。大戦中の太宰の心情ともつながってゆくのは、また歴史が繰り返され始めているのだろうか。

寒き街つくる木を伐り石を切り   「鷹」平成24年5月号

街を作っているのに、建設的な明日を感じさせない。取り敢えず寒さをしのぐために、急ごしらえの家々を作っているような印象さえ受ける。シベリア抑留も連想させる。

高屋窓秋に「木の家のさて木枯らしを聞きませう」「石の家にぼろんとごつんと冬がきて」の句がある。いずれも昭和23年、まだまだ大戦の傷が癒えぬ街の景だ。大戦のはるか後に生まれた作者のような若い者が、見たこともない終戦後の寂しさに通じてゆくのは、あの大震災を見たからか。

年逝くや天に星屑地に瓦礫   「鷹」平成23年3月号

これもまた、終戦直後の日本を思わせる。天に星屑が充ちているなら、それに呼応するように、地には瓦礫が、星屑の数ほども満ちていると読めるからだ。1月に投句され3月号に載ったこの句が、奇しくもその年三月の大震災の描写にもなってしまったのは、偶然の皮肉か。(実は、世に偶然というものは無いのであるが。)

上五の季語は、ただ年が逝くだけではない。一つの幸福な時代が逝ってしまったのだ。七十年前に一つの幸福な時代が徐々に逝ってしまったように。

未来より届くものなき噴水よ   「鷹」平成22年9月号

この末尾の「よ」は「かな」に近い働きをすると読んだ。即ち、上五中七と、下五の季語及び「かな」を取り合わせることにより、上五中七と下五は形としてはつながっているが意味としては切れているという、古式の技法を、「よ」によって試みたのである。

水原秋櫻子の「金色の佛ぞおはす蕨かな」の醸す効果と同じであろう。秋櫻子の句において、上五中七の慨嘆が下五の眼前の季語に集約されるように、掲句においても、「未来より届くものなき」という作者の慨嘆が、眼前の噴水に託されて集約するのである。

多分、何か酷いことが起こる、今までも世界各地で十分に酷いことが起こってきた、いつ日本で起こっても不思議ではない。そんな感じは、あの大震災のはるか以前から、若い人々には共通の感覚だった筈だ。明るい未来などというものは、もう無いのではなかろうか。右肩上がりの文明など、とっくに幻想ではなかろうか。それはエントロピー増加の法則を知っている者なら、一寸考えればわかる筈だ。知らなくったって、若い敏感な肌で感じている筈だ。一国の問題でも一つの大陸の問題でもない、全人類に関わる問題だ。あまりにも発展しすぎた我々はこの辺りが頭打ちで、この先は人間の心の在り方が劇的に変わりでもしない限り、先ずやっていけない。そして、大多数の人間が心を変化させることなど、先ず有り得ない。感性の鋭い者達は、何かが弧を描いて戻ってくることを無意識にわかっている。力尽きるまで昇り切った噴水の水が、弧を描いて水盤に戻るように、収支は必ず合うものだ。

新生も死もなき雪の1DK   『未踏』
抒情なき絶壁に雪降りやまず   「鷹」平成22年5月号
眠られぬこどもの数よ春の星   「鷹」平成22年7月号

希望もなくカタルシスもなく、長過ぎる猶予期間がえんえんと続いてゆく現代の感覚が、ここに詠われる。二句目は山口優夢の評論「抒情なき世代」を受けての句だろうが、我々の世代は、積もる場もない絶壁に降る雪のようなものだと作者は自嘲しているのだ。さらに下の世代である子供たちは、眠ることも出来ぬまま、それでも否応なく大人達にとっての希望の星と見なされつつ、空の星々を見上げるのである。

大いなる鉄扉の向かう囀れる   「鷹」平成22年7月号

ただ述べているだけの情景を鑑賞しても、鉄の頑丈な扉を貫いて響く囀りの明るさ、広がりは堪能できる。「大いなる」は鉄扉の修飾であるが、同時に意味として、囀りにもかかってくるだろう。だが、やはり深読みをしたい衝動に駆られるのは、次のような句も作者にはあるからだ。

名乗らぬ者扉を叩く炎暑かな   「鷹」平成22年9月号

ここで扉を叩く音が、不安を呼び覚ますのは、扉の向こうにいるものが誰なのかわからないからである。多分、扉のこちら側にいる限り、向こうは永遠に名乗らぬだろう。扉を開けて初めて、その正体は知れる筈だが、容赦ない夏の日差しの下、紛れなく現わされるその正体が、こちらにとって吉であるか、そうでないか、扉のこちら側ではわからぬ。先の囀りの句と合わせ読むとき、私には、この扉が今の時代の次に通ずるものとして聳えてくるのだ。その向こうに広がる、囀りのような希望と、不安と。

まつしろに花のごとくに蛆湧ける『未踏』
神曲や柘榴は落ちて蟻の贄   同
道一つ野分の墓につきあたる   同
祖の骨出るわでるわと野老掘   同
どの星の死や枯蘆の告げゐるは   同

あの大震災の前、第一句集の段階で、作者が既にこんな情景を詠うことが出来たのは、作家として幸いである。作者の見守る眼はただ優しいだけではない。目を背けず、少し黒いユーモアさえ孕ませて、見るべきものは見る。だから、五句目の「どの星の死や」という問い掛けに対し、「この星の死」と、読み手は微笑を含んで答えることも出来る。

冬あをぞら花壇を荒らさないでください   『未踏』

二十世紀の初め、シュルレアリストのマルセル・デュシャンが作った「レディ・メイド」と呼ばれる一連の作品を思い出す。彼は、僅かに加工しただけの既製品を、芸術作品として提示した。最も有名なのは、男性用小便器に「R.Mutt」と署名をして、「泉」と題を付けたものだ。(「泉」はデュシャンの当該作品に対する日本での一般的な呼び名であって、原題は「fountain」、泉のほかに水源、噴水の意がある。仮に噴水の意であれば、その噴水は何か、という説が可笑しい。)

「泉」について、デュシャン自身はこう述べている。「そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ。」

掲句であるが、中七下五は公園でよく見かける標語に過ぎず、上五は季語に過ぎない。だが、その二つが出会ったときに現われる、酷く鮮鋭な批判。花壇とは、我々文明人が気楽に花を享受できるよう、人工的に自然を捻じ曲げて作ったものと言えよう。我々が目を楽しませるために整備したものだから「荒らさないでください」。

しかし、上五に「冬あをぞら」と置くと、あたかも空に向かってそう告げているように見える。これほどのナンセンスはあるまい。風でも雲でも雪でもない、いつかは止んでしまうものではない、見ていると永遠のように思われる青空である。

この季語が動かないのは、青空をどうにかできる者など地上にはいないからだ。殊に、たとえ空に感情があったとしても、人間の言うことなど露ほども聞きそうにない、冬の厳しい透き通った、その上、我々が一生懸命オゾン層に穴を開け、放射能やら化学物質やらで汚した空である。ふゆあおぞら、という間延びしたリズムが、逆に皮肉を掻き立てる。

作者が空を仰いで「花壇を荒らさないでください」と呟くとき、彼は人類代表として懇願しているのだ。寂しく滑稽で、しかし、そんな風に一句に仕立て上げる作者自身は、実にふてぶてしく冷静だ。

『未踏』の序文において、小川軽舟は、こう書いている。

幸い髙柳君は絶望に甘える人ではない。将来を楽観することで自らを励ます人である。そして穏やかな風貌に似合わず、その精神には俳句に一生を賭ける無頼の血が流れている。

この序文を読んだとき、「なるほど、絶望に甘えることもあるのだな」と思ったのを覚えている。人は希望に甘えるのと同じく、絶望にも甘えるものだ。それに反して、無頼とも見えるほどの楽観が、確かに作者にあると思えたのは、次の句を読んだ時だった。

すみれ野を馳せよ黙示録の喇叭   「鷹」平成23年8月号

デューラーの銅版画「黙示録の四騎士」がすぐに思い浮かぶ。それぞれ、支配、戦争、飢饉、死をもたらす四人の騎士が地上を駆け抜ける。その後、天使が順々に喇叭を吹き鳴らすたび、地は悲惨さで満ちてゆく。この句で、すみれ野を馳せるのは喇叭の音でもあり、喇叭以前に現われる四人の騎士でもある。

しかし、世界終末を司る騎士たちや喇叭の馳せるのが、よりによって、春うららかな、伸びやかな菫野とは。あの大震災の後、文明の終末を見据えながらの、この楽観性は天晴なほど、ふてぶてしい。

案外、世の終りのすみれ野をなお馳せるのは、作者自身かも知れぬ。菫の花びらを舞い上げて馳せながら、人も騎士も喇叭も、何もかも馳せよ、と高らかに呼ばわっているのかも知れぬ。その自画像は、見事にしたたかで無頼だ。朗らかな覚悟、と私はこの句を評してみて、ああ、朗らかとは、こんな風に使うと生きるなあ、と思う。

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