日めくり詩歌 自由詩 岡野絵里子(2012/10/5)

13  屋根屋 福井桂子

魂の籠や桶を 
つくっているのだろうか 
あの水晶小屋では 
屋根に 百合のはなが咲いている 
いつもしんとしているから 
草と雨のにおいがして 
かなかな蝉がないて 
ときおりは 
胴の長すぎる縞しまの猫が 
のっそりと出てきたりはするけれど 
またときおりは 
荒織りのレースのカーテンをしっかり掴みながら 
くるったような女のひとが 
出てきたりはするけれど 
空を 青く真四かくに 
切りとってこれるように 
どんな風吹きの日も窓をあけている。

「浦へ」 1992年  れんが書房新社

 2012年2月号の「群像」に「K」という小説が発表された。女性詩人Kの孤独な魂とその日々を夫の眼で描いた物語だ。彼女の生い立ちが落とす影、人を払いのけるような暮らし方が切なく、鮮やかに彫琢されているのは、作者が詩人でもある三木卓氏であったからだろう。彼女のわずかな言葉やふるまいから多くを読み取る夫、三木氏の感性の緻密さ、理解の深さに驚かされる。心の底には愛情を持っていても、二人が物理的には離れて暮らしたのは、鋭敏な感受性が時に自分自身の重荷となる詩人たちの宿命というものだろうか。

 「浦へ」はKすなわち福井桂子の第5詩集である。詩集はⅣ部で構成され、「屋根屋」はⅡ部の13番目の作品となっている。

 幻の小道を歩いていくと、やがて前方に小屋が浮かび上がる。看板はないけれど、屋根直しをする職人の家だということがわかっている。ここが幻の世界で、生み出したのが自分の寂しい心だということもわかっている。だから、籠や桶もただの木製の道具ではなく、魂を入れる器なのである。

 作者は生後まもなく、乳母(がっか)の家に里子に出され、学齢期になるまで愛されて育った。そこでの父(ちゃん)は大工であり、乳兄弟としていっしょに育った男の子も大工になった。屋根作りは、作者にとってはなつかしい人々の仕事なのだ。だが、もう帰れない。6歳の時、作者は半ば強制的に生家に戻されてしまったからである。そして大所帯の生家にも、家を切り回す生母とも生涯なじむことはなかった。2軒に家のどちらにも居場所のない悲しみが、彼女の詩の中で、北風のように吹き渡っている。

 小屋から出てくるのは「くるったような女のひと」。本当に狂ってはいないが、求め続け、失望し続けた不幸のあまり、行動が逸脱してしまったような人だ。福井桂子氏の詩に特徴的に登場する人物に、風変わりで不幸な女性たちがいる。第3詩集「少年伝令」での(月が落ちてゆくように / とても つらいことがある)らしいアイロンかけの女。第6詩集「荒屋敷」での(松林の果ての蜃気楼ほどにも / 青ざめている)リネン洗い店の風変わりな女。彼女たちは日々の労働をおろそかにはしない。地上に結び付けられているのである。だが、手に入らない魂とやすらぎを求めて苦しむその姿は地上を離れて清らかに見える。

 水晶小屋の水晶は、どこか宮沢賢治の世界を思い起こさせるが、屋根に咲く百合の花とともに清らかな心象イメージに感じられる。最後の詩集「風攫いと月」には、「水晶小屋、枯草小屋」という行が冒頭と結びに置かれ、その言葉に宿った霊力で、世界を開閉しようとしているような作品もある。ここでの水晶小屋は、世界を明ける呪文でもあり、幻の中に建てられた作者の避難所の一つなのではないだろうか。

 そこでは、いつも窓が開けられている。空を入れるために。その空はおそらく現実の作者の故郷に続いているのだろう。空は、どこからでも眺めることができ、どこへでも行くことができる。

 「K」は2012年5月に単行本として刊行された、表紙にはKの横顔が眠っている。眠りの中でやすらいでいるように見える。

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