日めくり詩歌 俳句 柴田千晶(2012/10/22) « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

日めくり詩歌 俳句 柴田千晶(2012/10/22)

黒い十人の女(四)

未婚一生洗ひし足袋が合掌す   寺田京子

前回の三好潤子と同様、寺田京子も宿痾と闘う俳人であった。生涯独身という境遇も似ている。

京子は少女期から胸を患い、二十代に入ったころには胸部疾患の重篤患者として療養生活を送っている。

少女期より病みし顔映え冬の匙   『冬の匙』

京子の詳しい年譜はなく、現在のところ「寺田京子句碑建立記念誌」(寺田京子句碑建立発起人会)と栗林浩著の『続々俳人探訪』(文学の森)の「寺田京子探訪——白いベレーの俳人」がもっとも詳しい資料と言えそうだ。残念ながら前者は未読。

第一句集『冬の匙』(札幌ペンクラブ)は、34歳の刊行。郷土出身の作家、青木たまが序文を、師である加藤楸邨が跋文を書いている。「あとがき」によると句集の構成は、年代と季節にこだわらず、心の流れに従ったとある。シナリオライターでもあった京子は、意識的な構成で自身の年譜を作ったとも言える。その流れに沿って京子の半生を読んでゆくと、厳しい日常が見えてくる。

死なさじと肩つかまるゝ氷の下

この句の自注に、病気に倦きて多量の睡眠薬を呑み自殺を図ったとある。死なさじと肩を摑んだのは母だ。氷のような死の床から浮上すれば娘を死なせてなるものかという必死の形相の母の顔がある。原句は「氷かな」であったのを楸邨が「寒雷」に掲載する際に「氷の下」に訂正したとある。「氷の下」の方が確かに荒涼とした精神を鋭く表現している。

黙し食みをれば鰯は涙の色

この句には、<父他人に欺かれ棲家を失ふ。暫くを縁者の家に寄れば日々耐え難きこと多し>という前書きがある。親戚の家に一家で身を寄せ、肩身の狭い思いをしていたのだろう。

霧の夜へ一顔あげて血喀くなり
かくれ喀きし血のいきいきと秋の水

病を詠んだ句。<一顔あげて><かくれ喀きし>がなんとも痛ましい。
病床の京子を長きに渡って看取っていた母もまた病に倒れ、今度は病人である京子が母を看取るという状況に陥る。

荒野に銃鳴るや病母の糞とれば(母 脳内出血にて倒る 熱の身に看取れば)
母看取る何処に坐すも雪嶺見ゆ(母 ふたたび病ひに倒る)
冬畳とりすがる死の無造作なり(癒え近き日、母心臓麻痺にて逝く)
五体夕焼亡母の他は頼られず

心から頼りにしていた母も亡くなり、京子は深い喪失感に襲われる。しかし京子は主情的にはならず母の死を<無造作なり>と突き放すように詠んでいる。そこに却って京子の深い悲しみを感じる。
後に遺されたのは、京子と兄と二人の妹、そして父。

父が寝し闇より生れて髭ふる虫
父に縁談四方あまさず雪がふる

京子には恋の句や不倫を匂わせるような句もあるのだが、前回の三好潤子の句に漂う生身の男の存在が感じられない。男の存在が希薄なのだ。男よりも生々しく詠まれているのは父の存在。
一句目、父の閨から生まれてくる<髭ふる虫>は官能的だ。髭をふるわせながら京子に近付いてくる。
二句目、妻を亡くしたばかりの父に持ち上がった縁談話に、京子は父への嫌悪と自分だけが取り残される不安を感じている。

嫁がんと冬髪洗ふうしろ通る(母代りとなりて、妹栄子を嫁がす)
嫁ぐ微笑嫁きて枯空底がなし

年頃になった妹を病身の京子が母親に代わって嫁がせる。
一句目、婚礼の身支度をする妹の後ろを京子は複雑な思いで通り過ぎたはずだ。
二句目、幸福の絶頂にある妹を見送る京子の頭上には枯れた空がある。嘘がつけない京子は<底がなし>とまで言ってしまう。

顔入れて押入さみし朝の蝉
末枯やねむりの中に生理くる

一句目、押入れに顔を入れてみたらふいにさみしさが込み上げてきた。押入れは京子の空っぽの子宮だ。
二句目、おそらく一生妊ることのない軀に、ひっそりとまた生理はやってくる。<ねむりの中に>がもの悲しい。

以上が第一句集『冬の匙』から見た京子34歳までの年譜である。
前置きが長くなったが、このような背景の中で冒頭の句は生まれた。

未婚一生洗ひし足袋が合掌す

洗った足袋を仕舞う時に、何気なく合掌するように足裏を合わせて畳に置いてみた。京子に向かって足袋が合掌している。
<未婚一生>と<合掌>、実にシニカルな句である。
この句について、二人の男性俳人が鑑賞している。その内容がとても興味深かった。

上野一孝の鑑賞。

作者にとって第一句集『冬の匙』は「私の花嫁姿」だと、その「あとがき」で述べているが、それは病身であるがゆえ、「花嫁姿」にはなれないという覚悟から発せられた比喩であろう。(後略)

足袋を洗濯して干そうとして吊したら、それぞれの裏側が「合掌」しているように合わさってしまったと言うのだ。「合掌」している「足袋」は、作者と未知の夫を象徴するようである。(中略)「足袋」であるところに、いささかのおかしみがあり、「未婚一生」の重たさを救っているのである。(『鑑賞 女性俳句の世界』第4巻「意思のちから」より)

栗林浩の鑑賞。

一生未婚で過ごすのだと決めつつ、洗った足袋を仕舞っている。足袋の底と底を合わせて畳んでいるとき、ふと生まれた句であろうか。この合掌には「もしかして」という幸せを希う気持が見えて、しかも京子には珍しく徘徊味のある句である。(『続々俳人探訪』「寺田京子探訪——白いベレーの俳人」より)

どちらも<洗ひし足袋が合掌す>に救いを見ている。
しかし私はこの<合掌>におかしみをまったく感じない。これは厳しい句であると思う。<合掌>は祈りの形。未来の幸福を願う形とお二人はとったのだろうが、私にはこの<合掌>が弔いの形に見える。<未婚一生>ときっぱりと言い切り、自分を突き放す。

それではあまりに自虐的ではないかと思うかもしれないが、私はそこにこの作家の潔癖さと、凄みのある美しさを感じる。

わが身に合掌し、京子は自らを葬ったのだ。

神泉駅……ローソン……フェンシング練習場……ホテルペリカン……道玄坂地蔵……道玄坂地蔵……。
円山町のホテル街の中心の四つ辻に道玄坂地蔵は立っていた。唇に紅を指したお地蔵さまはどこか艶めかしい。
15年前、毎日この地蔵の前に立ち続けた39歳の女性が神泉駅近くの古びたアパートの空室で何ものかに絞殺された。
1997年3月に起きた俗に「東電OL殺人事件」と呼ばれた事件である。
被害者は、昼間は東京電力に勤務する会社員、夜は円山町のホテル街で客を取る売春婦という二つの顔を持っていた。慶応大学卒業後、東電初の女性総合職となった未婚のキャリアウーマンと「売春」というダークな行為との落差に世間は衝撃を受けた。

彼女はほぼ十年間毎日、仕事帰りに円山町へ通い売春行為をしていた。東電のある新橋から銀座線で渋谷に出て、109のトイレで腰まであるロングのカツラを付け、青いアイシャドーを太く塗って売春婦の顔になり、道玄坂を上がる、そして円山町に消えてゆく。
ホテル街の四つ辻にある道玄坂地蔵の前で彼女は客を引いていた。一日に4人の客をとるというノルマまで課して。

事件後、マスコミによって暴かれていく彼女の数々の奇行。コンビニでおでんを買う際には必ず一つのカップに一つの具を入れ、汁をたっぷり入れたカップを五つくらい提げて帰ったとか、どこかで拾ってきたビール瓶を酒屋に持ち込んで換金を要求し、十円を百円玉に、百円を千円札に逆両替していたとか……佐野眞一著の『東電OL殺人事件』にはもっと凄絶な姿が描かれている。
その存在の生々しさに圧倒された。

当時、多くの女性たちがこの事件に共感し、巡礼のように円山町を訪れ、道玄坂地蔵に詣でるという現象が起こった。
私も当時、彼女の足跡を辿るように円山町のまるで書き割りのような路地を歩いてみた。
道玄坂地蔵はホテル街の中心にあるはずなのだが、同じ場所をぐるぐる回るだけで、どうしても目的の場所には辿り着けなかった。
諦めかけたその時、ふっと振り向くとそこに道玄坂地蔵はあった。
私はその後も何度か現場に足を運び、この事件をモチーフに『空室』(ミッドナイト・プレス)という詩集を書き上げた。
3年ほど前にも再びあの路地を歩いてみたのだが、なぜかまたぐるぐると迷い、人に尋ねてようやく辿り着くことができた。
あの書き割りのような路地の風情は変わってしまっていたが、道玄坂地蔵は変わらずにそこに在った。

「東電OL」と呼ばれた女性がこの路地をさ迷う姿を思い浮かべると、凄まじく荒涼とした風景が見えてきて慄然とする。
彼女もまたわが身を合掌し、この路地に自らを葬ったのだ。

ばら剪つてわれの死場所ベッド見ゆる   『冬の匙』

東電OLはラブホテルのベッドに、京子は病室のベッドに、自分の死場所を見た。

生きているうちに自分の死場所をじっと見つめる。ここできっと自分は死ぬのだと。諦念などというきれいな言葉では片付けられない。京子はもっと強い意志を持ってベッドを見つめている。ここが私の死場所なのだと。薔薇は自分への手向けだ。

加藤楸邨は『冬の匙』の跋文で、自分自身をも突き放した京子の視線について、

絶対にありきたりの女らしさなどといふ甘えたものに負けてはゐられないという目だ。かういう目を持つ人は、場合によつては俳句的な俳句を拒否する。あくまで自分の生きていることを証拠だてないと安心しない。弱気の句、受身の句ではなく、掘鑿の句だ。

と述べている。
楸邨のこの言葉は、東電OLにもそのまま当てはまるのではないか。
彼女は自分の生きていることを証拠だてるために、毎日、円山町に通い続け、あの道玄坂地蔵の前に立ったのだ。

足袋履くやつひに男に幸を見ず   『冬の匙』

どちらの女も普通の結婚に幸福を見ることができなかった。

日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ   『日の鷹』

しかし骨片となるまで、どちらの女も激しく生き抜いたと言えるのではないか。
1976年(昭和51年)6月、京子は生前三冊の句集を世に遺し、54歳の短い生涯を閉じた。

樹氷林男追うには呼吸足りぬ
待つのみの生涯冬菜はげしきいろ   以上『日の鷹』

彼女たちは何を追いかけ、何を待っていたのだろうか……。

ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ   『日の鷹』

京子はふたたび女に生まれてくることを願った。
東電OLもまた女に生まれることを願っただろうか……。

のぼりつめて師走満月葱もて指す   『日の鷹』

道玄坂をのぼりつめた東電OLも師走の満月を見上げただろうか。
古びたバーバリーのコートを着て、たった独りで挑むように。
「絶対にありきたりの女らしさなどといふ甘えたものに負けてはゐられない」と——。

10月29日、この事件の元受刑者であるネパール国籍の男性の再審第1回公判が開かれる。真犯人は未だに不明のままである。

  • 参考文献

寺田京子『冬の匙』 札幌ペンクラブ
寺田京子『日の鷹』 雪櫟書房
寺田京子『雛の晴』 寺田京子句碑建立委員会
『女流俳句集成』 宇多喜代子・黒田桃子編 立風書房
『女性俳句の世界』第4巻 角川学芸出版
栗林浩『続々俳人探訪』 文学の森)
佐野眞一『東電OL殺人事件』 新潮社
佐野眞一『東電OL症候群』 新潮社
など。

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