日めくり詩歌 自由詩 岡野絵里子(2012/10/23)

生まれでる小さな詩   植木信子

洗われたようなあおく開いていく空の 
退いていくなごりの夜に薄い黄が飛沫をかけている 
女たちは紙袋を取りだし 
菓子パンやビスケットを囓りはじめる 
バスは灰に埋もれていた死者の街に向かう 
太陽は高く地面をジリジリ焼く刻 
土埃の舞う石畳やレンガの家や街角や中庭の茂みの死者たちの街に着く 
ポンペイの大通りをアンフォラにワインを詰めた荷車がガラガラゆき 
馬が駆けてゆく 
物売りのけたたましい呼び声がする 
路地を入った売春宿の階段をのぼっていく足音 
飲み屋から酔って騒ぐ大声 
公衆浴場の中庭では体操に余念がなく 
女たちの歌謡も聞こえてくる 
壁に描かれている絵がリアルになまめかしい 
豊かな商家の邸宅では密議の最中で 
裸の少年が衣の透ける女がくるくるテュルソスと回る壁画のなかだ 
街のあちこちで声が飛び交い埃っぽい土に吸い込まれていく 
ビシビシ オリーブの木の枝の音がして列の男が前の人を打ちだした 
ゆったりした中年の男が取り押さえ連れていった 
太陽がジリジリ焼き陽炎が立ち喉が渇く 
昼に一杯のワインを飲む 
労働を終えた者が一息つくようにバッコス祭の酩酊に加わるが 
大地母神が足裏の土を蠢き踏ませ引き離していく 
死者たちの視線は鋭く差してくるが交わることはなく 
カラッと明るい墓地をめぐっているのだったが 
本当は何処を歩きまわっていたのだろう 
丘ではきづたや野花で髪を飾った女たちが歌い 踊り さざめいている 
(悪戯 意地悪 神秘に思えた遊び) 
初めて短い詩を口ずさんだ喜び 
サクサク陽炎のなかを立ち去る者が二千年九百数年の時間と空間の土を踏んでいく 
陽が翳ったのだ 死者たちだけの時間へ 
 
影を落とす糸杉が黒く 
バスのなかで眠る女たちは小さな詩のなかだ 
闇深く 
宇宙の何処にいたのだろう

*ポンペイ イタリア南部に栄えた都市、紀元七九年にヴェスヴィオス火山の噴火で 埋没
*テュルソス バッコスの持ち物、主に木の枝など

 イタリア南部、ナポリ湾に近い街の光景。バスがポンペイの遺跡に人々を運んで来る。日本から来た女性観光客たちも乗っている。それぞれの職業と役割を脱ぎ捨てて、今は自由だ。少し日に焼けて、生きる女になっている。
 路地裏の売春宿、飲み屋。ここは歓楽の匂いのする街である。何よりうるさい。物売りのけたたましい呼び声、騒ぐ酔客、音をたてて通る荷車。だが、空は洗われたように青くひらく。人間の欲に汚されない領域なのだ。

 バスを降りた観光客たちは壁画に見入る。絵の中にも女たちがいる。そこも現世から離れた美しい領域だ。土埃の舞う喧騒のなかに、風のように清新な回想が挟まる。

「はじめて短い詩を口ずさんだ喜び」

 子ども時代の悪戯や意地悪、遊びに神秘を感じたことなどをたどっているうちに、特別な時間を思い出したのだろう。その時の喜ばしい体験が、汚れない空のようにいつまでも体の中にあって、後の彼女を詩人にしたのかもしれない。

 詩は喜びだ、イタリア映画「イル・ポスティーノ」で、詩人ネルーダに手紙を届ける郵便配達人マリオを思い出す。憧れの詩人に隠喩というものを教えてもらい、詩の言葉を知るマリオ。人生に詩が入ってきて、彼の毎日は一変してしまった・・・・
 ポンペイが夜になる。生きている者は愉悦と休息のために立ち去り、死者たちが深い静寂に再び沈む時間だ。

「バスのなかで眠る女たちは小さな詩のなかだ」

 今日一日はまさに一篇の詩だったのだ。美も汚れも、歴史も生死もあらゆるものが詰まっていた。満足し、疲れて眠る女たちを、見えない何かが繭のように包む。「闇深く / 宇宙の何処にいたのだろう」。遺跡の墓地を歩きながら、女たちは宇宙を渡っていたのか。明りを灯して走るバスが、遠ざかって小さな点になる。漆黒の宇宙の中に、イタリアも地球も小さな点になっていく。
 作者は湧き起こる感情に忠実に、言葉を重ねていく。時に40字に近いこれらの長い詩行を読んでいくと、一見未整理に見える言葉が、優しい光を集める梯子となって、雲に届いているのがわかる。他者の思惑を排して純粋な、この境地は何にも替えがたく思う。幸福を求めて偽りのない詩語に思える。

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