七曜詩歌ラビリンス 8 冨田拓也

1月某日

昨年12月に刊行された関悦史句集『六十億本の回転する曲つた棒』(邑書林)が早くも増刷とのこと。

この句集は、どこかしら「個人という枠組」を越えた地点で成立しているような感のある1冊である。未読の方は是非ご一読を。

作品がそれこそ「塊」で構成されているような側面があるため、本書よりの抄出はあまり意味がないのであるが(ということで購入して読みましょう)、一応以下、集中より作品をいくつか。

宅配ピザのヘッドライトの中しぐれ
レモン水に氷巨艦のごと浮かす
鏡には映り阿部完市話す
オドラデクととほき戦火に聞き澄むや
読始白雲内の一室に
年越そばふとコロッケも乗りたがる
ひとだまの歯ごたへなまづの天ぷらは
来たるべきものの来てゐる春の空

1月某日

今年の「俳人協会賞」の各賞が決定したとのこと。

第51回俳人協会賞は、辻田克巳句集『春のこゑ』(角川書店)、山本洋子句集『夏木』(ふらんす堂)。第35回俳人協会新人賞は押野裕句集『雲の座』(ふらんす堂)。第26回俳人協会評論賞は岸本尚毅『高浜虚子 俳句の力』(三省堂)と中岡毅雄『壺中の天地』(角川学芸出版)。

あまりこういった賞の事はあまり詳しく知らず、今回の結果に対しても特にどうという感想もないのだが(一応順当か、とも)、個人的には何が受賞しなかったのかという点について割合気になるところがある。

何故ならこういった受賞作以外のところにも見るべき句集や評論などが存在する場合があるからである。また、このような賞とは無関係な(対象となっていない)刊行書籍にも優れた内容のものが少なくなかったりする。

結局のところ、こういった「賞」という枠を越えたところで、様々な句集や評論に対する価値や意義といったものをしっかりと見極めることができないといけないのだろうな、という当たり前のことをいまさらながら思った次第である。

2月某日

俳句関係の最近の刊行物をいくつか。

  • 矢羽勝幸『正岡子規 コレクション日本歌人選36』(笠間書院)
  • 櫂未知子『季語、いただきます』(講談社)
  • 宮坂静生『昭和を詠(うた)う』(NHK出版)
  • 『ふらんす堂通信131』(ふらんす堂)

2月某日

短歌関係の最近の刊行物をいくつか。

  • 篠弘『新版 現代の短歌 篠弘の選ぶ100人・3840首』(東京堂出版)
  • 大辻隆弘歌集『汀暮抄』(砂子屋書房)
  • 前田康子歌集『黄あやめの頃』(砂子屋書房)

2月某日

現代詩関係の最近の刊行物をいくつか。

  • 金時鐘・細見和之『ディアスポラを生きる詩人』(岩波書店)
  • 中田敬二詩集『転位論』(港の人)
  • 荒木時彦詩集『sketches 2』(書肆山田)
  • 原満三寿詩集『水の穴』(思潮社)
  • 現代詩手帖特集版『シモーヌ・ヴェイユ――詩をもつこと』(思潮社)
  • 水田宗子『モダニズムと〈戦後女性詩〉の展開』(思潮社)
  • 藤富保男『詩の窓』(思潮社)
  • 四元康祐『谷川俊太郎学 言葉vs沈黙』(思潮社)
  • 『現代詩手帖』2月号 特集「トーマス・トランストロンメルの世界/対話――中国語圏の“新しい詩人”たち」(思潮社)
  • 『びーぐる』14号 特集「今こそ岸田衿子」(澪標)

2月某日

今回は時期的な関係ゆえか、刊行の書籍の数がさほど多くなく、あまり自分が取り上げられそうな事柄が見当たらないように思われる(単に見落としているだけという可能性も高いが……。あと、『びーぐる』14号で詩人の「岸田衿子」が特集されているのが少々気になるが残念ながらまだ未読)。

ここでは、なるべく新刊を取り上げるように心掛けているのであるが、今回は仕方がないので、何か過去の作品集でも取り上げることにしたいと思う。

というわけで、部屋に幾重にも積み重なった書籍の「ビルディング」をあれこれと検分してみると、その中から山本紫黄句集『瓢箪池』(平成19年(2007))が目にとまった。数ヶ月程前に漸く入手することができた1冊なのであるが、手に入れた時点ですっかり安心しきってしまい現在までずっと頁を開かずに放置したままだったのである。これを読んでみることにしよう。

山本紫黄(やまもと・しこう 1921~2007)は、昭和24年(1949)に長谷川かな女の「水明」で句作開始。昭和31年(1956)に西東三鬼に師事。昭和41年(1966)「俳句評論」同人。第1句集に『早寝鳥』(水明発行所 昭和56年(1981))。そして、今回取り上げる『瓢箪池』(平成19年(2007))が第2句集ということになる。

このように見るとおよそ50年にも及ぶ長い俳歴の間に、たった2冊の句集しか上梓しなかったということになる。ほぼ25年に1冊の刊行であり、その厳格さに驚かされるところがある。

この『瓢箪池』の装丁は、宇野亞喜良。句集には昭和55年(1980)から平成19年(2007)の春までの作品が収録されており、その総数は合計402句となる。

見るからに苦き昆虫晩夏光
夕焼けて大河のごとし九段坂
白蝶や橋脚の数うろおぼえ
鳥糞一滴それも緑や野辺送り
眠る鷗に花火明りの及びけり
鷹汝の訪はずじまひの諸国かな
青あらし賽銭箱を正面より
颱風を迎ふかもめの優しき眼
電燈のくらき明るさ栗御飯
息白し汽罐車よりも生き延びて
船宿へ長き通話の十三夜
東京の僅かな燕それも去る

いずれの作品も注意深く読めば、言葉の錬成の度合いが尋常のものではないことが理解できるはずである。言葉を一語一語厳しく選びぬいた上で、徹底的に隙なく厳密に構成された句の数々。

作者は、ついこの間の平成19年(2007)まで健在であったのである。しかしながら、その生前に、この作者の名前を俳句の総合誌などで見たという記憶が殆どない。おそらくそれだけまともに取り上げられてこなかった俳人ということになるのであろう。このように優れた作者が存在しても、いまひとつ評価されないという事実。できることならば、なるべくこういった優れた成果というものを、簡単に見過ごしてしまわないようにしたいものである。

マンホールの蓋は男や秋の風
春眠や海鳥の来るわが団地
頑として饂飩は白し野分中
板チヨコを割るに力を冬深し
靴先を家鴨に突かれ春隣
はらからや視力を異に春の雪
啓蟄の邦土に老ゆる不発弾
父の日のラベルの麒麟ぬぐひけり
絶対に消えぬ落書秋しぐれ
立春の車輪が砂利を弾きけり
心臓を上に横臥や涅槃像
蝙蝠や輪郭うすれ雲と人
冬深き歯科の過敏な自動ドア
基督も釈迦も外人さくら餅

2月某日

今回、これといった事柄があまり見当たらないと書いたが、2月3日のこの「詩客」での外山一機氏の俳句時評で、長谷川櫂『震災句集』(中央公論新社)が刊行されたことを知った。

まさかこの間の『震災歌集』の第2弾が刊行されることになるとは思いもよらなかった。ここまでくるともはや呆れるというよりも、その並外れた心臓の強靭さに驚嘆してしまうというのが正直な感想である。

結局、長谷川櫂という人は、「憎まれることが愛されることでもある」という逆説をよく知悉しているのかもしれないな、という気のするところもある。多種多様な人々の心の綾を細部にいたるまで正確に読み分ける能力に長けているというか……。

「正義」と「悪」、「心の強さ」と「心の弱さ」といった両様の相の不明瞭さ不分明さといったものについて思いを巡らさざるを得ないこの頃である……。

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