自由詩時評 第20回 森川雅美

自由の中の定型 森川雅美

 去る9月9日から11日までの3日間、御茶ノ水の明治大学で、「第2回東京ポエトリーフェスティバル」があった。9日は前夜祭なので、正確には2日間というべきだろう。今回は「世界俳句協会大会」とリンクしていて、他の二詩型と比べて、俳句の比重が大きいのは否めなかったが、15(内モンゴルを除けば正確には14)国、44名が参加し、日本では稀有な国際的な詩のフェスティバルだった。参加国も、アメリカや中国、韓国はもちろんのこと、モンゴルやリトアニア、フィンランドやハンガリー、スルヴェニアなど、ほとんど翻訳されておらず、普段は触れることのない、様ざまな国の詩や言葉に触れることができた。さらに日本からの参加は、歌人6名、俳人7名、詩人7名と、偏りなく三詩型から選ばれているのが、フェスティバルの奥行きをより深くしていた。

 詩はそれぞれの国の言葉の歴史を、更新するものだと、私は思っている。もちろん、ただ盲従的に更新するのではなく、核の部分に否定を孕みながら、それぞれの国の言葉に新しい地平を開いていく、言語の行為だ。「詩と神話―神話へ、その彼方へ」というショートスピーチで、イスラエルのモルデカイ・ゲルトマンは、以下のように語っている。

詩人であるには孤独でなければならない
たとえ人生に愛を見出したばかりだとしても
遅かれ早かれ
地獄と砂漠が現れるのだから

 このような言説は端的に、詩が言語の未開の可能性を切り開く、孤独な営為であることを語っている。またゲルトマンはこのようにもいっている。

良い夢や悪い夢がそうであるように
神話は詩の心を育んでくれるから
心に映る津波は黙示的な詩を生み出す
或いはその主題の中へ逃避させてくれる

 少し分かりにくい部分だ。その前に、「神話は私たちを支配している/私たちは津波の間に住んでいるのだから/ナチスという津波は私たちを故郷に連れ戻し/そして今は、私たちを海に押し流そうとする/イスラム教という津波におびえている/神話は私たちを守ってくれている」という言葉がある。いうまでもなく、神話は国の創世に関係する。それはまた、ひとつの国言葉の始まり、あるいは反転していうなら、ひとつの言葉が他の言葉を収奪し統一していく、過程であるといってもいい。ゲルトマンは、苦難の歴史を生きた民族の視点から、神話を核に捉えた詩の本質を語っている。「神話」は支配し守るという両義性。そして、その「神話」が詩の心を育み、「津波(受難)」が詩を生むという、さらなる矛盾。まさに詩とはこのようなものだろう。

 同じショートスピーチでリトアニアのコルネリユス・プラテリスは以下のように語っている。

 検閲制度のあった時代、神話は引用は禁じられた思想が検閲をすり抜けるための簡単な手段であり、多くの詩人がこの方法を常に使っていました。検閲を受けなくなった今でも私は隠喩や神話的状況を使っています。もし適切な方法でこれを使えたなら、神話は詩に更なる厚みを加え、普遍文化という厚みを与えてくれるでしょう。

 リトアニアは旧ソ連時代、厳しい検閲があった国である。そのような苦しい実体験から、詩の基底にある、喩としての神話について語っている。「神話」は「普遍文化」につながり、個別の権力の批判ともなる。国家を語る言語のはじめであるの共に、それを越えたより根源的な言語の運動も孕んでいるというのだ。そしてそのような言葉の運動こそを、詩と呼んでもよいだろう。国家の起源を孕みながら、突き抜けてより根源的で普遍的な、存在の原初に届く言葉の動きこそが詩なのだと、二人のショートスピーチは語っている。

 そうであるなら詩はそのリズムの内に、表面に現れた意味としてのことばのリズムの他に、もうひとつ別のリズムが流れている。実際それぞれの国の朗読には、フィンランドの詩には雪の降る音が、中国の漢詩には大河の響が、モンゴルの高らかな声の広がりには、草原を渡る風の音が孕まれていた。それはそれぞれの原風景の音ともいえるだろう。残念ながらその音までは伝えることはできないが、モンゴルのハダー・センドーの詩は、翻訳された意味からもそのような音が聞こえてくるので、引用する。

おれは諸尊を捜し求めた
でも存在すらしない極楽を見つけた
おれは祖国を捜し求めた
 
でも流離(さすら)いの身となった
おれは記憶の窓を捜し求めた
でも錆びた扉を見つけた
 
おれはまっすぐな道を捜し求めた
おれは少年時代を捜し求めた
慟哭のみがそこにあった
(「矛盾」(富川力動訳)部分)

 もちろん、実際に声に出されたものとは比べものにならない。しかし、このように翻訳された言葉の中にも、その言葉のつながりや思考の流れに、かすかな風の音が聞こえてくる。このようにすぐれた詩は、どこにあって長い歴史を孕んだ時間を、連れてくるものである。

 一方、日本の詩はどうか。日本の詩の長い歴史を背負ったものというと、確かに短歌や俳句の短詩系だ。しかし、それらのリズムはあまりにも短く、聞こえてくるとしてもせいぜい水のしたたりくらいだ。あるいは、この「ないこと」、空こそが日本の原風景といえるかもしれない。しかし、日本にも多くの長い詩もあった。長歌、旋頭歌、催馬楽など、今は消えてしまった様ざまな形と、音の響きもあったはずだ。では、現在の日本の長い詩である、自由詩はどうか。悪戦苦闘しているとしかいえないだろう。そのことは誌面の関係で記さないか、明治から戦時下をを経てきた、日本の詩の言葉のは敗北の時間が背景にある。それでも詩は書かれる。財部鳥子の詩から引用する。

水を飲むとき海を思ったりしないです
わたしは台所に立って
汚れた碧い換気扇を見上げるだけです
 
河口や入り江 遠くの怒濤を
心にも背にも 感じたりしないです

(「水とモンゴル」部分)

この詩は「ですます」調を多用することで、語りかけ(語りではない)の、ことばのリズムを創っている。自由詩は定型がない以上そのたびごとに、規則を決め形を創らなければならない。それがゆえに即現在的な、語りかけの口調が目立つのも無理はない。多くの自由詩はそれゆえに、定型よりいまの語りかけの部分が強く現れる。短歌や俳句を引用し比較してみると、そのことがよく分かる。

国家つて怖いと思ふ かくれがの敵をステルスで撃って沈める
元旦金魚ブクブク去年のあぶく

 岡井隆と中塚唯人。比較的語りかけに近い短歌と俳句を引用した。確かに双方とも、語りかける口調を強く有している。とはいえ、定型の型に言葉を揃えるのは、明らかに作為であり、言葉の流れは寸断される。ここに現れる言葉のリズムは、語りかけというより、今はやりの呟きに近く、誰かに伝えるというよりも、口を付いて出た言葉という、イメージが強い。もちろん自由詩も、特定の誰かに伝える言葉ではない。それでも、特定の誰かが仮定されて、語りかける言葉の動きはある。そうでない自由詩も当然あるが、いかにも描写に徹している詩でも、やはり重要なところで語りかけがある。

 極端にいえば、自由詩は定型以前に遡る、他者に言葉を語りかけようとする、最も原始的な言葉の欲望と、言い換えてもいいのかも知れない。しかし、私たちは定型のあとに書いているのも事実で、先に引用して財部の詩でも、基調は五七のリズムだ。多くの自由詩は、定型の言葉の動きに近づいたり遠ざかったりという、言葉の運動を繰り返している。もちろん定型のリズムは、戦時下の詩が露呈したように、音だけが残され意味が欠落し、大きな制度の声に巻き込まれる危険はある。だが、モンゴルの詩のように、原型の音と志向のリズムを共鳴させることによって、より深い意識に降りていくことも可能なのではないだろうか。自由の中にいかに定型の冨を見出すかが、これからの詩に必要だと、多くの国の詩の言葉を聞きながら考えた。

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