自由詩時評 第40回 小峰慎也

問題なはない

新年なので、というわけではないけど、自分にとって基本的なことをちょっと確認しておきたい気になってきた。

ぼくのなかで、詩って、「人間がことばを使う活動」とほとんどイコールで結ばれている。「人間がことばを使う活動」のなかの、書くことと読むことを持って、ぼくはそのゲームに参加する。参加者として気になるのは、そのゲームがフェアに行なわれているかという点です。参加者がそれぞれ自由に書き、相手の自由を認め、自由に読むことができているか、それが気になる。もし、そのルールが保てない状況になりそうになったら警戒する、ちょっと怖くなる。そういう前提がぼくのなかにありそうだということが最近わかってきた。

こういうことを踏まえると、二つのことに気づく(気がする)。まず、「どんな詩が書かれてもいい」ということ。そしてそれに対して、「どういうふうに読んでもいい」ということ。

「どんな詩が書かれてもいい」ということは、どんな詩が書かれても、それが「いい」ということを意味しているわけではないということに注意したい。「書く―読む」のゲームなわけだから、書かれたものは、みんなに諮られて、いいとか悪いとかつまらないとか面白いとか面白くないけど画期的だとか、すばらしいとか、わけがわからないとかそのたそのたで読まれていく。書いた人はそこで、自分の価値を賭けているといってもいい。

(同様に、「どういうふうに読んでもいい」というのは、ほしいままに読んでいいということを意味しているのではない。その読み方そのものが、やはりみんなで諮られるわけです)

詩のことを、こういうふうに思っている人が、存外少ないのか、自分が考えている「詩」というもの、自分が好む「詩」というもの以外いっさい認めないという「参加者」がかなり多いように思える。もちろん、そうした「参加者」の自由も確保していくのがルールなのだが、「詩のゲーム」の「参加者」の大半が、そうした「参加者」で満たされたとき、「ゲーム」は硬直してとたんにつまらなくなる。ひどくなれば、「ゲーム」自体がなりたたなくなる。

なんだか、先鋭的なものを書いていると思っている人は、先鋭的なものだけを認め、素朴なものをよしとしている人は素朴なものだけを認め、「孤絶」していたい人は、「講和」しているものすべてを「詩」でないといいはり、などなど、ルールが分割されて「部分」だけでやっている気がしてどうしようもない。「対立」も自由だが、「陣営」を決めてやられたんじゃ、そこで賭けているのって自分の価値じゃなくて「陣営」の価値じゃないのかな(こうして書くと、また「孤絶」派の人たち(この書き方がすでに揶揄だが)に対する難色のように思えると思うけど、より強く念頭にあるのは、むしろ「現代詩」ぎらいの人たちかな?)。

ぼく自身は、昨年、鈴木志郎康の『結局、極私的ラディカリズムなんだ――鈴木志郎康表現論エッセイ集』(書肆山田、2011・11・10)に収録されているエッセイ「詩の実質――極私的詩ノート」(初出は『るしおる』58号、2003年6月)を読んで(その前に鈴木志郎康の映画「草の影を刈る」をみたということもあって)、そうだよなあ、いまぼくがいってほしいことがここにあった、って思った。

このエッセイは、詩を読めなくなっていた鈴木志郎康が、詩を初めて書いてみる人たちと講座を持ったことをきっかけに、「詩を「作品」として書くと言うより自分の内面を伝えるコミュニケーションの媒体として書いて、互いにどう読めるかを話し合う場を持ったとき、そこに言葉の詩的発想の原形を見たように思えて、楽しくなった。つまり、詩をメディアに投じて受け止めるというのではなく、詩を人と話をする中核に置いて、語り合う関係を作る機会を作るものとしたとき、読む理由がはっきりしてきた」ということを記したものだ。

さて、ここだけ読むと、誤解を招くのではないかと、ぼくは恐れている。ぼくは、このエッセイおよび鈴木氏の発言によって、自分なりの理解を触発され、感銘を受けた。

鈴木志郎康は、このエッセイの中で、自身が詩人として名が知られるようになって、他の詩の選者などをやるようになって、次第に、詩を、いいとか悪いとか、残るかどうかとか、「選ぶ視線」で読むようになっていったと述べている。そしてそのことが苦しくなってきたと。そこから、「詩を書こうとして脳を働かせ、書く行動を起こしているところに目を据える」ところに目を転じるとどうなるか。詩を書く人の気持を、「書こうと思ったときに期待した喜びは先ず書き上げるということであり、次には自分が詩を書くために頭を働かせたことを受け止めて貰い、更に自分の存在が理解されることではないだろうか」と推測できる。そして、読み手としての鈴木志郎康は、「「選ばれない詩」「残らない詩」であっても、その存在の受容と理解を期待するところは同じだと思うのです。こう考えると、わたしは、選ぶというシステムに身を置くことより、一人一人の詩人が書いた一つ一つの詩をしっかりと受け止めて、理解していくことが、自分が詩を読めなくなったことを克服していくのに必要なことと思えてくる」ということになる。

ここで、鈴木志郎康は、いいとか悪いとか「選ぶ視線」から、どんな詩でも拾える視点を手に入れている。これがまずポイントだと思う。その上で、ぼくがあわせて思いいたったのは、鈴木志郎康が常日頃から自分の詩や映画に関して、「誰にもわからなくってもいい」って発言していることだ。そして実際、「わからない」ものをつくる。そうなのだ。(ここからはぼくの勝手な連想なのだが)「その存在の受容と理解を期待する」ということと「わからない」ものをつくるということは、同時にみたされるのだということ、要するに何を思ったかというと、「わからない」ものを書くということは、理解の拒絶をめがけて、書き手が優位に立つために行なわれているわけではなくて(そのように誤解している人が多い)、「わからない」もののあらわれは、その人の「極私的」な個人的な何かであり、それは詩としては、理解の拒絶を示しているように見えて、書き手の存在としては「理解を期待」している、ということなのだ。そして、同時に(これが重要だと思うのだが)、「わかる」詩、「選ばれない詩」「残らない詩」も同じ基準で考えることができる、ということなのだ。そしてそれは、「わからない」詩や「わかる」詩、「選ばれない詩」「選ばれる詩」「残らない詩」「残る詩」「現代詩」などなどが、あらかじめある価値基準ではかられて、書かれた瞬間に序列が決まってしまうという視点を捨てて、どんな詩でも「その存在の受容と理解を期待する」という目のもとでは、拾うことができるのだ、ということを意味している。

(2012年1月3日)

2011年5月30日より開始されて、現在継続中の企画「トルタバトン」(すみません。いま説明は省きます)のひとこまとして行なわれた、橘上の24時間Ustream中継(2012年1月14日19時から15日19時過ぎまで)。

最初、24時間Ustream中継やるってきいて、24時間カメラ回して、何か気が向いたときにでも何か「上演」し、あとは何かだらだらしている、というようなものなのかな?と思っていたが、さにあらず。なんと24時間(ぼくがみていたのは、3時間くらいだけど。途中少し寝たらしい)、ずっと、視聴者の質問に答えつづけ、視聴者の出した1行に続けて即興朗読、視聴者からの反応が静まれば、自ら大喜利よろしくお題を出す、そして寄せられた回答にコメント。それらがすべて「橘上のおもしろいコメント」になっているのだから頭が下がる。リズムをつかんでいるのだ。そうとしか思えない。

(2012年1月16日)

辺見庸『眼の海』(毎日新聞社、2011年11月30日)が、高見順賞を受賞したというので、読んでみた(2012年1月18日)。前半の、「文學界」に発表された「Ⅰ 眼の海」については、以前この欄で触れたので、後半の「Ⅱ フィズィマリウラ」を中心に読んだ。だけど、すぐに反応できなかった。一読、印象に残っているのは、「アラビア海から流れついたウサーマ・ビン・ラーディン(引用者注・カッコ内アラビア文字表記が入るが、表示できないので略します)ことウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン(同前)の美しい顔」「行方」であった。それでもう一度読んでみることにして、何日もすぎた。まあそれで、読んでみたのだが、ところが、全部おもしろいのだ。もちろん、それを読んだ記憶はあるのに、いったい何を読んでいたのか。

全体に、「このたびの震災」を思い起こさせる語彙が多く含まれるが、実際は、「この震災」に限ったことではなく、もっと大きな目のなかで「海」や「人間」や「なゐ」が捉えられている。そしてその目は、それらいっさいが、飲み込みやすい「おはなし」になることを、拒んでいる。いや、こんなふうに要約できる「計画」だったら、誰でも思いつくかもしれない。

そして、弱点もある(ように思える)。「電動こけし」「盲者」「啞者」「なゐ」などの語が、似たようなコードで変換された結果のように見えるのだ。「変換」が、いっさいのものを大きな混沌のなかに迷わすことを成し遂げているのだ、としたら、その「変換」のコードが「一つ」では、混沌の色が決まってしまうのではないか、と思ったが、それは、無理のある想定のような気がしてきた。

注目しているところが悪いのかもしれない。詩「電動こけし」を頭のなかで考えすぎた。瓦礫の中に一本立って、動いている電動こけしを書いたこの作品は、実はこの詩集にあっては、わかりやすい方向で理解できてしまうところがある作品だった。「ナヰと大波にもまけず」とか「高い線量のために/あんなにも木賊(とくさ)色になった」とか、震災に負けない生命力、というような読み方ができてしまう作品である。もちろん、ここにも、その生命力を担っているのが、そもそも立派なものと思われている類のものじゃなく、エッチな楽しみのために使うおもちゃであること、それでさらにその電動こけしの、「ピラピラとこきざみに動くべき/さきっぽの小さな舌は/大波で切れて/沖にながされ/鮟鱇にくわれた」という部分には、やっぱり生命の連鎖みたいなものを読み取られてしまうかもしれないが、そんな小さな部分が大波で切れるのか?とか突っ込みを入れたくなるし、どうも状況が馬鹿馬鹿しい、ということで、面目を躍如している。震災に負けない生命力というところからはみ出している部分がある。

だけど、本当は、次のような詩をみたいのだ。

「ある日、乳色の半透明膜に世界がうすれて」
 
 
アメリカンチェリーを食べていた
きみの眼が変だった。
盲いたのか。
と、悲しんだとたんに、眼はまえにもどった。
どうしたのか問うた。
「瞬膜ができたらしいの…」
言いつつ、きみがまばたきした。
乳色の半透明膜がそのときも、
きみの目玉を掩った。
鮫のように。
蛇のように。
「一瞬だけだから、支障はないのよ」
きみは寂しく微笑んだ。
三日後、おれにも瞬膜ができた。
母の眼にもやがて瞬膜ができた。
白内障の自治会長にも瞬膜ができた。
結膜のひだで、とくに問題はない、
と目医者は言った。
その医者にも鶏みたいな瞬膜ができていた。
まばたきのたびに
世界は乳色にうすれた。
とくに問題はなかった。

この詩も、もしかしたら、こういう意味なんだよ、といいかえられる人がいるかもしれない。それでいいし、それは欠点にはならない。こういう意味なんだよ、ということが一方でひっぱっていてくれるから、この詩は緊張している。だが、ここに書かれていることばが、その意味に勝っている、そのことがもう一方の、そしてこの詩をほかのどの詩でもないものしている。「瞬膜」ってなんだよ(ホラー小説か何かでありそうな気もするが)。このことば、この発見だけで、読者の目はもう、戻れない。そしてそのアイディアだけだったら、もしかしたらこの詩はただのことばに終わったかもしれないところを、「アメリカンチェリーを食べていた」のはじまりと、「とくに問題はなかった。」の終わりかたが、「瞬膜」という「事実」に、どうやって入っていって、どうやってとどまったらいいかを、教えているのだ。

(2011年2月5日)

「現代詩手帖」2012年2月号から連載がはじまった、廿楽順治(詩)・宇田川新聞(版画)「鉄塔王国の恐怖」をみた瞬間、ぎょっとなる。「現代詩手帖」を不法占拠しているかのような異様な迫力だ。

(2012年1月31日)

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