自由詩時評 第56回 小峰慎也

投稿など。それから田村隆一、吉本隆明、嵯峨信之。

2012年3月30日
「現代詩手帖」4月号の表3上段に「しいか」の広告が載っていて、興味を惹かれた。「左記の詩人からお好きな方をお一人お選びいただき、詩をWEBでご投稿(一回原稿用紙一枚分で三〇〇円)いただければ、五〇点満点で採点してお返事します。四月一日から投稿サービス開始です。」とあって、暁方ミセイ、小野絵里華、北川透、久谷雉、河野聡子、佐藤雄一、野村喜和夫、藤原安紀子、文月悠光、間宮緑、山田亮太、吉田アミ…などと書いてある(短歌もあるが略)。これ面白そうだなと思った。点数制がいいし、こちらから評者を選べるというのがいい。この文面だけからすると、返事が必ず来るみたいだし、それも魅力的だ。採用されたされないというところだけでない、「投稿のかたち」がみえる。

即座にこの人にこういう詩をぶつけてみたらどうかなどと、「積極的な想像」が浮かんだ。「しいか.COM」のサイトのほうで確認すると、その先があって、高得点の人は、好きな声優に「こえサイファー」で読んでもらえるという。サイファーでかかるというのに重点があるのかな。「「希望声優なし」を選択して投稿だけすることもできます。」とあるけど。大谷能生なんかも入っているし、ふだん自分の詩を読みそうもない人に読んでもらう、また読んでくれていても「ほんとうのところ」をきいてみたい気がする。ただ評者の写真がずらっとならんでいるのだけど、ちゃんと「いい写真」でのっている人と、「まずい写真」が混在しているのが気になる。別にわるいことではないのだが。

4月1日
早速投稿してみた(投稿第1号)。4篇の詩を4人にそれぞれ投稿しようと考えていたのだが、長さに制限があるんだ。

4月4日
評価が返ってきた(昨晩)。50点満点で20点の低得点をマーク(やっぱりぼくの詩はだめなのだ)。コメントはなしなのか。コメントももらえるのかとかんちがいしていたのだが、残念。

率直な感想だけど、ちょっとサイトがわかりづらい。説明が不親切というか、仕様もわかりづらい。それから、「こえサイファー」の方向と、好きな評者に評価してもらうという方向が分裂しているように思う。

4月25日
「en-taxi」35号(2012年春号)に橋口幸子「こんこん狐に誘われて――田村隆一さんのこと」が載っている。回想ものとしては、かゆいところに手が届かない、ぼんやりした感じを持った(もう少し固有名詞や、背景の出来事を具体的に書いてほしい)。田村隆一の肖像としてもものたりない。何かの手がかりになるかもしれないのだが。

「ラストワルツスペシャル」(追悼特集)の、亀和田武「それは僕にもわからんのです――吉本隆明」がとてもよかった。1969年6月、亀和田の入学した学園で講演をした吉本隆明に、聴衆の一人が、「ビートルズのことはどう思うか」という質問をした(この質問は亀和田にとっても、とても重要な意味を持つ。『1963年のルイジアナ・ママ』など)。それに答えて吉本は「ビートルズはね、わからんのです。僕も人に勧められて聴きました。いままでの流行歌みたいなもんとはレベルが違うってことまでは、なんとかわかった。何十万と売れてる本や流行歌とは違う。じゃ、どこが違うのか。一体これは本物なのか。それは僕の現在の知識じゃ、理解できていないんです」と答えたという。吉本隆明という人物、その著作が当時どういう人に読まれたのか、そして亀和田武自身も浮かび上がらせる、すばらしい短文だった。亀和田の文では、吉本隆明がなくなる直前、直後に「マガジンの虎」(「週刊朝日」連載)に書かれたものもよかった。

5月6日
「現代詩手帖」2012年5月号の「追悼総頁特集 吉本隆明」の、表紙写真にちょっと意表をつかれた。吉本隆明の「いい顔」でもないし、吉本隆明の、どのようなイメージも与していない写真だと思った。吉田純撮影とのことだが、いつだろう。「思潮社創立30周年記念公演会」のときの写真だろうか(ほかのページで同じ撮影者のそのときの写真があるので)。

5月16日
『嵯峨信之全詩集』(思潮社、2012・4・18)。詩集はもちろん、詩集未収録作品、未発表作品も収める。

年譜では、青土社版『嵯峨信之詩集』(1985・5・25)に載っていた「自己「半年譜」次第」再録に加えて、1946年から1998年の告別式までが、「無辺の会」によって書かれている。「自己「半年譜」次第」では、幼いころの鮮やかな記憶、文学への目覚め(大正期の文学青年だったのだ。先行する文学者たちのなかへ。朔太郎、高橋元吉、武者小路実篤)、「文藝春秋」編集者時代(菊池寛の給料の渡し方。迎える二・二六事件)が描かれ、有志によってつくられた戦後部分は、その後の「ゆうとぴあ」(「詩学」の前身)とのかかわり、「詩学」編集者時代などが中心になっている。

しかし、「無辺の会」有志のつくった後半部は、出来事の記述に乏しく、嵯峨による「詩学」編集後記からの引用が主な内容になっている。これはちょっと「年譜」とは違うんじゃないかなという気がした。

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