自由詩時評 第64回 小峰慎也

帷子耀そのた

2012年5月31日

「現代詩手帖」6月号「特集・現代詩手帖の詩人たち」に、帷子耀(かたびらあき)のインタビューが載っている(「まがいものとして――帷子耀という時間」)。

 1968年から73年にかけて活動し、その後、姿を消してしまった「伝説の詩人」が、本名の大久保正博としてインタビューに答えたものだ。

 なぜ帷子耀だけが「伝説」なのか。ちょっと活動して消える書き手はいっぱいいる。一つは年齢の若さかもしれない。活動していたのが13歳後半から19歳ということだから(1954年生まれだろうか)。

 一読して、何かここの場所だけ、時間が止まってしまっているのではないかと思った。意識の持ち方が高すぎるのだ。「帷子耀」という名前についても、サ行がないこと、ア音とイ音だけでできていること、その他、理屈が長い。現代詩手帖賞へのかかわり方に関しても、枚数制限を設けろと編集部に電話をしたり、賞の廃止、「投稿券」の廃止、名前の上に都道府県を書くことをやめさせるなどを具体的に訴えていく(「ユリイカ」の投稿欄は、いまでも都道府県名がついている)。この意識の持ち方からは、ルールに不都合があったら、自分からそれに訴えかけて変えていくことができるという信念を感じた。ぼくの勝手な思い込み、感じにすぎないかもしれないが、当時はたしかにそういう人が多かったかもしれないが、いまそれと同じような意識の持ち方を保っている人はどれだけいるのだろうと思った。当時を生きていた人も、生きていなかった人も、いまは何かを経てしまっている感をただよわせている。もののいいかたが、ここでの大久保正博のいいかたとは違っている、(何かを経てしまった人には)どこかに配慮があるのだ。わからないが、新鮮だった(大久保正博以外の誰が、自店のパチンコ屋の店頭でお客さんの出迎えをしているということを、 「これもある種、詩から受けたものをかたちにしているつもりです。」といえるだろうか)。

 そして、「――詩を書くのをやめたのは高校を卒業してからですか。」という質問に対する答えとして、おそらく一度答えたものを墨塗りして消してあり、そこに白抜きで「本当は続けたかった。」とある表記に、やはり古さと同時にやはり生きた感じを受けた。一人の書き手が「本当は続けたかった。」ということ以上の、「表現」である。

2012年6月29日

「現代詩手帖」7月号。今回から、投稿欄の選者は、稲川方人と藤原安紀子。

 稲川方人は、新人作品評「「署名」と「形式」」のなかで、「倒錯した「自己主張」に過ぎない筆名が多すぎる」とした上で、投稿者の筆名に、一つ一つ、文句をつけている(逆にその詩をほめる)。その嫌悪感のあらわしかたは目を引くが、ぼくが思ったのはこんなこと。「紙水ゼンメツ」「菱川翠」「浪玲遥明」といったペンネームを使う意識と、その作品を書く意識は、実はつりあっているのかもしれないということ。これらのペンネームを「よし」と思う意識と、この作品を書いている意識は、ほとんど同じなのだ。

 あと、もう一人の選者・藤原安紀子と、選んでいる作品がほとんどかぶってないことも面白かった。

2012年7月18日

「群像」2012年8月号で特集「個人的な詩集」というのが組まれている。5人の選者(伊藤比呂美、堀江敏幸、町田康、松浦寿輝、三浦雅士)が、それぞれ「個人的な」アンソロジーを編んで、解説をつける、という特集。その選択が面白い。

 伊藤比呂美はアレン・ギンズバーグ「聖歌」、越谷吾山「物類称呼」、古事記歌謡、「敵の心をなごますための呪文」ほか、「「まじない」から「語り」まで」という題で選んでいる。堀江敏幸は、佐川ちか「雪線」、田畑あきら子、中野鈴子「なんと美しい夕焼けだろう」ほか、これも普通の詩のアンソロジーからすると虚をついてくる選だ。町田康。井伏鱒二「春宵」、日和聡子「嘘山」、中島悦子「終」、オシリペンペンズ「女の裸」など、このような名前が並ぶ、それだけでひらけてくる気がする。

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