自由詩時評 第76回 岡野絵里子

希望の在り処

 以前、仕事をしていた時に、上司にあたる人に「なんでそんなに希望にあふれた瞳をするの?」と不審がられたことがあった。ミスをして、注意された後なのに、私がへらへらしながら、ビル街の彼方に視線を飛ばしていたからである。普通の人なら神妙にするはずの場面だ。だが私は、指摘されたことで一つ覚えたし、怒られようが笑われようが、自分が成長していけるのが嬉しかったのである。この程度を「希望にあふれる」とは言えないと思ったが、上司の、この受苦的世界に希望はあり得ぬと言わんばかりの態度にも賛成しかねた。説明するのは癪なので、「いえ、あの、反省してる目なんです」と答えたところ、「そうか、反省してるのか」と上司は下を向いて笑いをこらえた。よく晴れた日だった。

 まあそれだけのことなのだが、「希望」という言葉にひっかかって、記憶が鮮やかである。希望。少なくとも現代詩においては、古いランプのように、使われることがなくなっていたが、震災後、思い出したように取り出され、火を灯されるようになった、と言ったら言い過ぎだろうか。

 今月、詩集を刊行したばかりの詩人たちに、希望の在り処を教えられたような気がしている。

 中村不二夫「H ouse」(土曜美術社出版販売)には、希望という言葉が点在して光を放っている。それは70年代初頭には、空高く掲げて降ろされた旗(「希望ヶ丘」)であったが、今も子どもたちに贈るもの(「希望の家」)であり、家庭に灯るもの(「光の家」)である。世界は小さな者たちの生命で出来ていることを、詩人は忘れない。だがそんなまなざしは、多くに気づき、多くの痛みを自らにもたらしてしまう。

車内 無造作に読み捨てられた新聞紙 
次々に無数の靴が世界の悲しみを踏み潰す 
(希望は床に凍りついてしまっている 
だれもそれを剥がそうとはしない) 
 
知らぬ間 神が乗ってくることだってあるのに 
この国では みんな半分眠っているようだ 

(「アビイ・ロード」)

「神」が同じ車両に乗っていても、気づかない人々。無関心ゆえに他者の痛みを踏みつける時、世界の希望も踏みにじられているのだ。詩人は「待つ」ことに一つの解決を見出す。

人は待つことに厭きてしまってはいけない 
待つことで この家の骨格は作られていったのだ

(「光の家」)

 この詩集のタイトルはH ouse、家である。人には帰る場所が必要なのだ。世界が暖かく憩える家になる日をめざして、詩人がまた歩き出す気配がする。

 清岳こう「春 みちのく」(思潮社)。前詩集「マグニチュード9・0」は大震災後の1ヶ月間に書かれたが、この詩集は1年後にまとめられた。1年後の新たな問題のひとつはPT SDである。授業中、幻の地鳴りや揺れに怯え、立ち上がる生徒。一日中体の震えが止まらない生徒。詩人自身も精神的疲労で過呼吸に陥る。

それでも それでもと ハンドルを持つ手が汗ばむ 
 
生徒たちは私の魔法の呪文を待っている 青春ハイスクールに「来」るならば 
自転車こいで「こきくくるくれこよ」 学校にはすてきなイケメンも「おは 
します」勉強しまう恋しまう「せしすするすれせよ」 どんな苦しいこ 
とがあっても辛くても「死にそ」「往にそ」「なにぬぬるぬれね」 心に 
太陽「あり」「居り」「はべり」「いまそかり」「らりりるれれ」 あれ 
は嘘っぱちだったのか お遊びだったのか 愛らしい瞳を見開いて声を合わせ 
ていた生徒たちをほっぽらかすのか まだまだ繊細華麗な推重の助動詞「べし」 
は身についていない 勇猛果敢な願望の終助詞「もがな」には出会っていない 
 
右折に左折 まして逆走など許さない 私の弱っちい精神を蹴ちらし 車はひ 
た走る 制御不能のままひた走る 何が何でも辞めたい 何が何でも家に帰る 
は ぶっ飛んでいく ぶっ飛んでいく 

(「朝」)

 「ただ差し出されたものを読めばよく、作品はもはや感想など不要にした位置にある」との評もある(瀬崎祐「風都市」)。確かに渾身のレポートであり、体験談であり、作者が詩人だからそれは詩になったのである。引用した「朝」は長めの散文詩。車で出勤する詩人が辞職への強い衝動と戦いながら、勤務先の高校に近づいていく。おそらく毎日の戦いなのだろう。だが半壊の校舎に、困難な状況をくぐり抜けて登校して来ている生徒のこと、担当している古文の授業のことを思った時、見えない力が車を校舎へ連れていく。そして辞職したいという衝動は見事にぶっ飛ばされる。

 詩人は状況を生き抜くために書く。全力を尽くしている時、見えない力がやって来る。言葉は見えない力を引き出すために必要なものなのである。

 江口節「オルガン」(編集工房ノア)は令息の鎮魂詩集である。B型肝炎の治療中、うつ病を併発して自死。うつ病はインターフェロン治療にあり得る副作用の一つなのだそうだ。まさに「涙壺の底を抜けるまま」に読者もなってしまう。だが深く悲しみながらも、作者の理知は輪郭を崩さず、北風に耐える花の強さ美しさを思わせる。

死が わたしのうちに居場所を得て 
夢のかたちを生きる 
 
そうかもしれない と思うのである 
北の海辺で 
大津波を生き延びた人のつぶやきを読むと 
 
だから 
あなたの中で 
まだ 子どもは死んでいない 
もうひとりのあなたの中でも 
まだ 両親も祖母も姉も死んでいない 
 
死が死になるために 
砂時計の砂はある 
海は たえず持ち去ろうとするけれども

(「夢の中にも」)

 詩人はまだ癒えない悲しみのうちにある。再会を望めば、望みに内側から噛まれることになる。望みはそうした残酷な牙を持っているから。遺族が早く癒されて、平らかな心になられることを祈りたい。「もうひとりのあなた」とは、大震災で大事な家族を失った人々のことだろう。離れて見える島々も、同じ悲しみの海水に浸されているのだ。心の深みへ下りていった詩人には、それがわかる。あとがきの神戸と東北の被災者に宛てた一行「それでも、生きて。これからも。逝った人とともに。生きる、ために。」は心を揺さぶられる祈りだ。家族にとって、令息は亡くなっていない。ともにいるのである。ともにいるために生きる、それがすべてを通り抜けて掴んだ光だったのだろう。それは希望と呼んでもいいように思う。

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