をのこ子の小さきあぐら年新た
句集「地霊」所収。
この句について、千空は自ら次のように語っている。
「当時の田舎の正月は旧正月で、新暦では二月に入ってからですから、立春も近く、新しい年は即ち春、という気分がありました。戦後の乏しい食生活でも、正月だけは膳にあふれるほどの食べものがつくられて、祝いました。濁り酒も豊かで、有難く楽しい一日でした。(中略)戦後のすこやかな情景です。親類の男の幼な子が囲炉裏の横座にすわって、あぐらをかいていました。いかにもたのしくめでたく、新しい年を迎える焦点となりました。」(「俳句は歓びの文学」(角川学芸出版)より)
終戦後間もない時期の、津軽の旧正月の光景が、余すところなく描かれている。雪深い青森の農村生活はただでさえ厳しく、加えて戦後の混乱がまだ収まりきらない時分である。日常はギリギリの暮らしを余儀なくされていた筈だ。しかし(旧)正月は特別である。文字通りハレの祭事を寿ぐ気分が横溢している。集った親類縁者たちの明るい笑い声が聞こえてくるようである。余談になるが、「濁り酒も豊か」と書いたところは、いかにも酒を好んだ千空らしいと思い、微笑を禁じえなかった(ちなみに青森では自家用に濁り酒、即ちどぶろくを作ることが盛んに行われた)。
話が脇道に逸れた。掲出句に戻ろう。句の対象は親類の幼児である。その子のあどけなさと大人びた仕草の胡坐座りというギャップが千空の目を引いたのである。上記において千空はそこに旧正月の一層のめでたさを感得したと述べているが、それだけではなく、その子が生き抜いていくであろう未来、或いは少しずつ確かなものになりつつあった戦後復興への期待もその背景にあるように思えてならない。だからこそ、正月のめでたさもひとしおなのである。