季語・季題をめぐる緊急集中連載⑩           24節気アンケート意見(2)/筑紫磐井

(「二十四節気についてのお考えを自由にお書き下さい」の設問に対しての意見)

①気象協会の言い分もわかりますが、それならそもそも、別な概念の言葉を冠すべきであって、あえて節気を持ち出す必要はないと思います。

むしろ、従来の季感と大幅にずれている地域など、縁辺部の充実を図るような活動をなさったらいいのではないでしょうか。そもそもが公的機関なんだから余計な似非美しい日本プロジェクトなど行う必要はないと思います。これを提案したからと言って自然災害に備えがいくわけでなし。

②立春・立秋が厳寒・猛暑期にあるというのは考え方の違いに過ぎません。「峠」の考え方をしてみるといいのです。寒さの峠、暑さの峠をこえるのがちょうど立春・立秋の頃です。日本における「二十四節気千三百年の歴史」をわれわれの時代に変更するというのは、日本の暮らし・文化への冒涜です。

それより急務なのは、明治初期に導入された欧州文化のシーズンと、極東文化の季節の混同を正すことです。晩夏・初秋にサマーバケーションを直訳で入れた、など。

日本気象協会には、天気予報での「『暦の上では』秋」という言い方を改めて頂きたいと思います。「立秋です。暑さのピーク・峠を越えます。早朝散歩に出てみて下さい。秋の象徴である露がおりていますよ」とでも呼び掛けて頂きたいと思います。

(別件)一番の問題は立冬なのです。これは温暖化問題。日本文学で重要な「紅葉」が今や初冬の景色と化しています。

磐井さん、当日発言したいなー。牙城

③古来、中国より伝わり日本の風土に適合されてきたもの。季語の世界だけでなく、農業(水稲作)をする上でも、重要な季節区分であり、これからも文化として残すべき

④現在の季語に満足しているし、特に不便も感じていないので、個人的には問題はないが、新しい季語が出来れば、それはそれで良いし、使ってみると思う。

⑤このアンケートに関してですが、問い7を必須にするのは、おかしいとおもいます。

「〝新しい季節の言葉〟をつくる必要がない」と上でこたえた人の意思を無視した質問だとおもいます。

⑥大切な宝です。

⑦素晴らしい伝統であり軽々しく改変すべきではない。

⑧言葉を変えることも必要かもしれませんが、今使っている言葉を少しは残しつつ、それを大衆に広く伝える努力も必要だと思います。例えば、僕は「啓蟄」の言葉の響きを強く愛しています。なくなってしまっても、そのままこの季語を使って作り続ける俳人は多いのではないでしょうか。

また、この議論とは別に思うのですが、二十四節気は俳人や詩人だけの問題ではなく、そうでない人にこれらの言葉を知っていただく機会を作るほうがより重要かとも思います。

⑨とても面白く、美しい言葉ですが中国伝来のものが多く、一般的にはなじみがなくわかりにくいと思う。中国への反感もあると思う。しかし、俳句を楽しんでいる我々にはなくなって欲しくないものです。一般の人には存在すらご存じないと思う。面白さをアピールしていかなければ、現代と合ってませんと言われれば、では、いらないとなるでしょう。また、気象庁は勝手に決めるのではなく、問題提起をして話し合いの場を持つべきです。日本の役所は、なんでも、国民抜きで決めてしまい、腹がたちます。

⑩高校ぐらいまでは歳時記は知識の宝庫であった。今も季節感は好きであるが、自分の詩にはあまり用いなくなった。

復古の好きな人は解説・力説すればよいし、うるさい人は使わなければ良い。季節に関する語に限らず、新しい・欲しい言葉は、浮かべばどんどん書けばよい。そしてすべて自然に淘汰されれば良い。

言葉は作家よりも優れた言語感覚を持った人(人々)が作る。

⑪古人の営みに触れることができる貴重な財産だと思います。

全て漢字二文字できりっと揃っているところも大好きです。

⑫かつて24節気はアジア全体のグローバルスタンダードでした。日本の歳時記、中国の歳時記、朝鮮の歳時記、台湾の歳時記をみると少しづつずれながらもアジアに共有された文化が、これらの世界をつなげていたことが分かります。なぜグローバルスタンダードというと、英米圏や、英語圏を連想するようになったのか不思議です。アジアがひとつとは言いませんが、アジアの思想を共有する言葉が残っていることは必要だと思います。

⑬二十四節気は中国伝来の古くから使われてきた季節の呼び名。現状と合わないと言って置き換えられるものではない。節気はそのままにして新しい解釈や新しい切り口を発見することが現代の詩人の役割。

⑭短歌をつくっています。
短歌に使うことがあります。
言葉は流動的なもので
仮に現状の気象に即した言葉をあてられても
また『現状』の気象は早いサイクルで変化するものと感じます。
むしろ古い文化として
あえて古いサイクルの言葉を用いて作歌することも
古い形式の詩をつくるたのしみのようにも感じています。
勝手を申しました。
場をつくっていただいて
ありがとうございました。

⑮新しい二十四節気がそう簡単に定着するとも思えませんが、季節感のズレのような問題もそう簡単に割り切れるものでもないと思います。

⑯今の太陽暦とは、やはりずれがありますから、ずれを調整しならがら詠んでいる時があります。新季語が自然に生まれているように、節目や移り変わりに敏感でありながら、注釈なしで読み取れるようなそんな呼び方が生まれても良いと思います。

⑰二十四節季は昔から今へと綿々とつながる日本文化を象徴するものの一つだと思います。これを廃止し、新しいものに置き換えることは文化の断絶をもたらすことになり、避けるべきことと思います。

⑱季節の言葉は大切にすべきだと思います。
二十四節気は美しい名称が多く、失いたくありません。
現状の気象変化に節気を当てはめるのではなく、その節気の言葉を感じたとき、出会ったときに詠みたいものです。
季感はグラデーション、流れです。四季にこだわらず沖縄歳時記にあるように月ごとにまとめた歳時記でよいのではないかと思っています。
これは夏の季語、いや秋だというやり取りはおかしいのではないかと思うのです。

気象変化は地球規模でこれからも変わってきます。四季ごとに四角四面に編集する従来の歳時記を考え直すことを提案します。
季語と現状のギャップは旧暦に基づいていることが問題のひとつではないかと思っています。

⑲私は二十四節気の廃止には絶対に反対です。私は俳句に関わる以前から二十四節気について心に留めて生活をしていました。日本料理やお茶席、芝居・寄席演芸、着付け・・・等々、筋目筋目に季節を早取りして感じる日本の文化では、中国から借り受けた二十四節気は大切な役割を担っているのです。そもそも二十四節気というものは、俳壇における狭義の「季語」である以前に、私たち東洋の生活の背景となっている様式美であることを忘れてはいけません。一年のライフサイクルの中での、いわば「韻律」となっているものなのです。俳壇の枠に捉われず、二十四節気を大切にしている人々と手を携え、二十四節気の安易な改廃には強く反対を表明することを希望します。(「都市」本多燐)

⑲地球温暖化そのたで、気象の変化が見られる。地球上に住んでいる私達は季節に敏感であって欲しいと思う。しかし、俳句を創る時はあまり節気は気にしない。

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