(「二十四節気についてのお考えを自由にお書き下さい」の設問に対しての意見)
①農業や一般生活に昔から使われてきた季語。
現代のカレンダーと合わないからといって、ほかの言葉に変えることもないし、その必要もない。
まだ寒いが立春というと春の訪れが近い感覚があるし、立夏といえばいよいよ夏が来るという期待がある。
いまさら変える必要性は感じない。
②二十四節季と実際の季節感とのずれ、これは新暦導入時からの宿命と受け取るしかないと思います。なので下手に合わせようとするのは疑問です。
ずれも含めて季節の言葉として生き残れば十分ではないでしょうか。
③漢字の熟語としても大切。当然知っておくべき言葉。
④古の人達が、当時の気候や風習・ならわしなどを通じて自分達が肌で感じたものを言葉に変えたものでしょうから、これからも大切にしていきたいと思います。
⑤二十四節気はその季節が極大の時に次の季節の匂いを嗅ぎ取る事に大きな意味があるのです。今年の例で言えば八月七日が立秋ですが、まだまだ夏の盛りのこの時に、少しずつ日が短くなってきたりなど、よく観察すれば季節が動いていることを知ることができる。それが分からない今の日本人は季節感が鈍いのです。そんなものに合わせて新しい二十四節気を作るくらいなら、このまま忘れてしまった方が良いのです。
⑥自分を含め農業に疎い人が多くなって、俳句でも作ってないと出会わない言葉だとおもう。でも西瓜や桃をそのままにして節気だけ新しければいいと言うものでもないような気がします。知らなくても節季があるのは悪くないと思う。
⑦その時期に、「もう立秋だ、芒種だ」と季節を感じさせてくれる。私には欠かせないものとなっています。
⑧昔からある言葉はそれなりの意味があって存在していると思います。単なる記号ならともかく、日本ならではの情緒ある言葉、歴史ある言葉を新しい言葉に置き換えるのは反対です。
二十四節季は大切にしていきたい日本の財産のひとつと思います。かたちあるものだけではなくかたちのない言葉も大切に使い続けていかなければならないと思います。(そういう意味では歴史ある地名が消えていきつつあるのも残念です)。
⑨暑い寒い盛りに立秋、立春になるとか異論もあるかと思いますが、少し気をつければ立秋立春のころには秋や春の気配が感じられます。名称も一つ一つ解説があれば、覚えることも難しくないと思います。
新しい言葉を定着させるよりも沢山の背景を持った今の二十四節季を広めていく方が、豊かな日本語の世界が広がると思います。
⑩暦を旧暦に直すべき。
先ずは五節句が分かりやすいかも。
真冬の七草粥、桃のない雛祭り、生えたばかりの菖蒲、梅雨最中の七夕、見ているだけで暑い菊人形…
まともな俳句が作れません(-_-#)
⑪新しい季節の言葉をつくる、という必要を全く感じませんし、定着するとも思えません。いまある言葉が、時代と共に自然と変化していくならともかく、どこかの誰かに突然提案されても、すなり受け入れらないのでは。
⑫私たちは、自然に大きく影響を受けており、四季によって豊かな情操を培われています。四季の中でも、初め、中、終わりのころの自然は違い、さらに初めでも前の季節を残している橋渡しの移ろいを宿していたりして微妙です。昔の人々はほんとうに季節を細やかに感じていてからこそ、こうして細かく分類してきました。もっと自然を身近に感じていたいから、二十四節気をもっと普及したいと思っています。実際の季節感と二十四節気がずれているということについて。それは、二十四節気は天文学的に考えられているからです。ずれは、地球が温まるのに1か月かかるところからきています。太陽が南中するのは12時、けれども最高気温になるのは2時。このずれはしっかり日常生活で吸収しています。季節によるずれを吸収できていないのは、まだ日本人が季節感に対して天体の運行をもとにした理解をすることができていないからでしょう。これを、周知させることが先決。
⑬二十四節気は言葉に風情があり、これからも今のまま使っていくのが良いと思う。
⑭伝統的な二十四節気の由来などを、啓蒙しないツケが今になって来てる。新しいものを作る前に、そういう啓蒙活動が大切では、ないか。
伝統のものと、新しいものとが二重に使われることの混乱が心配。
⑮現行の暦でははかりきれないものがあると思います。
新しいものを「悪」とはしません(どちらかというと受け入れ態勢)が、古いものを切り捨てることはないと思います。
⑯二十四節気は、連綿と繰り返す年々の季節を経て、人ひとりの人生の数十倍もの時間をかけて見いだされた気候のパターンというのも大切なことです。ですがさらに、これまで千年以上、人々はずっとこの二十四節を意識して、「そろそろ春分だ」「芒種だ」と思いながら時を過ごしてきたということが、一つの価値になっているように思います。過去との断絶が深い現代の文化から、わずかでも過去の人々と現在を繋ぐよすがとして、二十四節気はもっと意識されてもいいものではないでしょうか。
⑰なぜ長く続いてきた文化を現代の浅薄な知識で書き変えようとするのか理解できません。
いまのままでいいのは当然のことだと思います。
⑱俳句に興味を持ち始めた頃は、季語は窮屈に思えましたが、毎日季題を貰える中で、お陰で俳句への興味が広がっていった経過がありました。
二十四節気は、確かに実際の気候より少し早めに思いますが、オーケストラの指揮と同じで、早めの方が来る気候に備えたり、心待ちにしたり、思い起こしたりと、味わい深く思いますので、良いです。
併せて、現代らしい季語や地域特性のある季語が増えることは、益々楽しみですが、二十四節気の地位は揺るぎないかと思います。
⑲「二十四節気」は、実際の季節とのずれを含めて大切にしていきたい言葉と思っております。確かにその時々の実感とのずれはありますが、そこからまた季節に対する鋭敏な感覚が養われるのではないでしょうか。二十四節気を詠み込んだ古人の作品を味わう上でも必要な知識でありましょう。廃止したり、新たに「いまどきの二十四節気」を設定する必要は全くないと考えます。
⑳二十四節気についてはほとんど知識がなく、いつからいつまでかも知りませんでしたが、言葉としては味があるので好きです。現在の季節とのズレがあることについては、元々地域差もあるので仕方ないものとして、新しい言葉をたくさん取り入れてその中で人気のあるものが残ればいいと思います。