戦後俳句を読む ‐ 執筆者紹介 ‐稲垣きくのの句/土肥あき子

稲垣きくのの句

数年前、尊敬する女性俳人から「青春の名残が強い30代でもなく、否応なく老いを認めざるを得なくなる50代でもない、40代でしか詠めない俳句を作りなさい」と言われた。その言葉に触発され、さまざまな女性作家の40代の作品を集中して読んでいたとき、稲垣きくのに出会った。それまで、元映画女優、第二句集『冬濤』(1966)で俳人協会賞初の女性受賞者というほどの情報しか持ち得なかったが、その句集には〈夏帯やをんなの盛りいつか過ぎ〉〈歯でむすぶ指のはうたい鳥雲に〉〈つひに子を生まざりし月仰ぐかな〉など、ひりひりするような女が描かれ、いつしか胸に巣食って離れない俳人となった。

稲垣きくのは1906年、神奈川県厚木市生れ。20代には東亜キネマ、松竹映画に数多く出演。1937年、大場白水郎の「春蘭」に投句を開始する。戦争で一時中断後、1946年「春燈」創刊を知り久保田万太郎を師とした。

1970年に出版された第三句集『冬濤以後』は、牧羊社の「現代俳句15人集」に収録され、選ばれた15人は飯田龍太を筆頭に錚々たる顔ぶれである。山本健吉の推薦の言葉「(略)私には短歌や俳句のような伝統詩型は、今日では深く傷ついて生命の危機にあえいでいる時代であるように見える。それが輝かしい過去に持った栄光の時代を、新しいエスプリによって回復できるかどうか。だがともかく、その困難な課題を身に引受けているのが、ここに選ばれた十五人の作家たちだろう。(略)」とあり、才気に満ちた戦後派世代を強く生み出そうとする覚悟を感じさせる。

しかしながら俳人稲垣きくのは、果たして現代どれほど認知されているのだろうか。今回の機会を得て、この魅力的な女性の作品に、時代やキーワードといった縦横無尽の光りを当て、読み解いていくことができるかと思うと、今から胸が高鳴る思いである。

執筆者紹介

  • 土肥あき子(どい・あきこ)

1963年、静岡市生れ。鹿火屋同人。句集「鯨が海を選んだ日」「夜のぶらんこ」、エッセイ集「あちこち草紙」。信濃毎日新聞他に「あそびの風景」を連載中。

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