38. うぶすなの藁がちの香よ疲れ勃つ
「ガチ」という言葉が2000年後半から20-30代世代で使われるようになったようだ。「本気/本当」の意味だが、現在ではそれを飛び越えて「超」や「激」と同様の「程度が激しい、出来がいい」という意味合いも持っている。接頭語として使う。しかし、収録作家の年代が30-40代だからか『超新撰』は「ガチ新撰」とは呼ばれていないようだ。接尾語としての「がち」。「勝ち(がち)」であれば、「その傾向が目立つようになるさま」(『三省堂古語辞典』)ということ。
産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)は生まれた土地を領有、守護する神。あるいは本貫(先祖の発祥地)に祀られている神。
では、「うぶすな(産土神)の藁がちの香」とは、私たちの祖先が土地に根付いて生きてきた証のような香り、家畜糞とともに藁などの副資材を混合した堆肥の匂いの中から藁の香りに傾いて薫ってくるということを想像する。いわゆる土の第一印象の香り、トップノートが「藁がち」であるという中でトランス状態となり「疲れ勃つ」。肉体を酷使した男、田園の男、再びミレーの『種まく人』である。伽羅、栴檀などの源氏物語の王朝の香りとは異なる農耕民族の香りである。
そして「疲れ勃つ」っている作者敏雄の目線はあまりに遠い。自己の姿でありながら醒めすぎる目で望遠していると思える。別の「われ」を観察しているように映ってくる。
33句目から38句目までの句を配列順に記す。
行雁や港港に大地ありき
捨乳や戦死ざかりの男たち
然(さ)る春の藁人形と木の火筒(ほづつ)
正午過ぎなほ鶯をきく男
共色の青山草に放(ひ)る子種
うぶすなの藁がちの香よ疲れ勃つ
ただ寡黙に生きることに従い、流されて港へ行き、死にゆく男達を葬り、呪術ともなる道具を回顧し、耳の奥にいつまでも鶯の声がし、野に出て肉体が性的に反応し、脳裏に蘇るさまざまな出来事が反転しているネガフィルムのように、われの中で螺旋を描いている。全ては事実でありながらもうそれは過去という夢に変わったのか。全ては何も無かったということに等しい。ただ、ここにわれが生きるというだけの現在の生という命があるのみである。出会った人も、見たものも、聴いたことも全てはまぼろしだったのではないか。事実と事実の間、瞬間と瞬間の間にただわれがいたというだけなのだろうか。
産土神に導かれるように自分の肉体は興奮し、子種を放出する健康な肉体を持つ。われは孤独な塵でありミトコンドリアと同じ生命体をただ老いていくだけなのである。そして命ある以上、いつかは死ぬのである。今ある個の命を生きている、ただの「われ」が存在することが感じ取れる。
39. 真綿ぐるみのほぞの緒や燃えてなし
桐の箱に入った臍の緒を母から渡された。確かに真綿にくるまっていた。ミイラのような臍の緒がただそこにあった。生体から水がなくなると繊維質だけになる。母と自分を結ぶものであった証、己が人の腹から生れて来たという証である。しかし母と己の関係は今は別の人間として別の時間を生き、生まれたときから別のことを考えている。いつから自分は自分というひとりの人間であることに目覚めたのだろうか。真綿で大切にくるまれたように赤ん坊は祝福され大切な宝のように育てられる。このミイラのような臍の緒がなくなったとしても何の影響もない。戸籍も年金番号も電話番号も今まで通りである。自分が死んだらこの桐の箱は誰が始末しなければならない。燃えてしまえばなくなって何もなかったかのようだ。母と自分がこの管で結ばれていたという事実も過去もなかったことと思うこともできる。
措辞「燃えてなし」ということは、今まではあったものが存在して今、ここにないこと。けれど関係とは目に見えないものである。管は切られてなくなって、それでも縁は切れないもの、母子以外の縁もそうなのだろうか。
40. 夕より白き捨蚕を飼ひにける
「捨乳(すてぢち)」が出てきたが、ここでは「捨蚕(すてご)」である。病気あるいは発育不良の蚕は、野原や川に捨てられる。「捨蚕」と「捨て子」同じ響きであることがどこまでも悲しい。蚕は家畜化された昆虫であり野生に生息しない。またカイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、人間による管理なしでは生育することができない。人の手により育てられる蚕は人間の赤子のようでもある。
生きながら捨てられているものを飼う。臍の緒が燃えてなくなり、捨て子となったわれのように。生きているものはいつか死ぬ。生きているものだけがこの世にいる。今、生きているものは、この作者と蚕だけのような錯覚にも陥る。他に生きているものはいないのか、という問いでもあるように。
「夕より~飼いにける」という時間経過は何なのだろう。夕べから現在までの時間経過が妙な想像をも働かせる。正確に時制を考えると、夕から現在まで捨蚕を飼い続けているということだが、ではこの先をどうするのかは、何も言っていない。捨蚕を飼うことがはたして慣れない人にできるのか。蚕は野生回帰能力のない動物であり、蚕を桑の葉にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されるか、地面に落ち、全滅してしまう。幼虫は腹脚が退化しているため樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると容易に落下してしまうからだ。加えて病気あるいは、発育不良の捨蚕である。
過去から現在進行形で捨蚕を飼っていることがわかるが、この先おそらく長くは生きていられない命であることが伝わってくる。
41. あまたたび絹繭あまた死にゆけり
真綿、捨蚕の次は、絹繭である。敏雄の生れた八王子は絹織物の産地として名高い。蚕の一生はわずか57日ほどで幼虫は桑の葉だけを食べつづけ4回の脱皮を繰り返す。やがて蚕は1,500mほどの糸をおよそ2昼夜吐きつづけ、頭を8字形またはS字形にふりながら、美しい一粒の繭をつくりあげる。蚕は繭の中でサナギとなり、蛾になって繭殻を破って飛び立つ。蛾になる前に殺蛹し、かたちのよい正繭が絹となる。これが「絹繭」ということになる。それが死んでいく状態とは、繭玉の数だけ殺蛹が何度も繰り返えされることを詠んでいるのだと解釈する。
蚕の養蚕は中国で発生し5000年以上の歴史がある。日本では『古事記』『日本書記』にも登場する。幼虫が吐き出したもので生糸ができるということはまさしく不思議な発見だ。絹繭になる蛹は死ぬことが決定づけられることになる。
知らず、生まれ死ぬる人、何方(いづかた)より来たりて何方(いづかた)へか去る『方丈記』
「死にゆけり」という直接的な命の終りを詠うことにより命の行く末を正視しているといえよう。前句「夕より白き捨蚕を飼ひにける」の「飼いにける」と同様、「けり」が過去を抱えた形をとっている。過去も沢山の絹繭が死んでいったが、今も沢山の死んでいく・・・過去を抱えた死であることがわかる。前句の「生」と掲句の「死」の配列であるともに二句にわたり「けり」を使用し、生きていることも死ぬことも過去から現在、そしてその先へ繋がる普遍なき輪廻であることを言わんとしていると読みたい。