三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】55./ 北川美美

55.草荒す眞神の祭絶えてなし

55句目でタイトルである『眞神』という言葉が出て来る。敏雄の有名句「絶滅のかの狼を連れ歩く」そして『眞神』自体を理解する上で、この句を読むことはキーとなっていくだろう。

眞神の意味について『眞神』後記の敏雄自身の下記の解説が引用紹介される。

本書の題名とした「真神」は、『大言海』に「狼ノ異名。古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナドモ、神ト云ヘリ」とある、其である。併、斯る栄称に、曾て永くも堪へて来た狼の生態は、多くの滅び行くものに準じて、既に我国の山野から滅び去つて久しい。今、畏みつつ親しまうとするならば、例ば、武蔵国は御嶽神社、或は、同じく三峯神社等の祭神を相け随ふ地位に祀られて座す 大口真神、即、広く火災盗難除去の効験をのみ担ふ所の英姿を、其護符上に拝する許である。

併読としてWikipediaの解説がわかりやすい。

「眞神」とは現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したもの。大口真神(おおぐちまがみ)とも呼ばれる。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。

ニホンオオカミ」東京大学総合研究資料館のwebsite

三峯神社 (埼玉県秩父郡大滝村三峰)、釜山神社 (埼玉県大里郡寄居町)山住神社 (静岡県磐田郡水窪町山住)、大川神社 (京都府舞鶴市大川)に大口真神が祀られている。

青梅市・御獄神社のお札

神格化された狼のことを「眞神」と理解してよいようだ。更に理解を深めたのは、 TV番組のETV特集「見狼記」であった。狼信仰は今も残っている。

人間の手によって森の生態系が崩され、神とされていた狼が絶滅させられたといってもよいだろう。さらに今では亡くしたものを生きていると信じたい、それを心に糧としたいという、願いが大震災に遭遇した人々の心と通じるものがあるようだ。自然信仰に基づけば神は至る所にいる。そしてその自然界の神を絶滅させるのもわれわれ人間である。

上五の「草荒す」は、中七の「眞神の祭」に掛かっていると読める。狼は肉食であり草食でないことから、草を荒すのは、祭を催している私たち人間のことと読める。

「眞神」という言葉が単なる郷愁に終わらず、何かを私たちに気づかせている。人類が犯した罪に対する気づきがある。それは、敏雄が戦争に対する、人が犯した罪を詠いつづけたことにも一貫していて、その壮大なテーマは、俳句の枠で言い切れなかったことを実現させようとした試みだったのではないだろうか。

俳句を知り三橋敏雄『眞神』に出会わなければ狼信仰について理解を深めることはなかっただろう。秩父と連なり養蚕、機織の地域でもある筆者の故郷にも狼信仰の山がある。故郷の山はいつも怖いイメージがあった。どこかで何かが息を潜めている空気がある。未だその山の入口までしか足を踏み入れていない。この『眞神』の読みと同じである。

トキが子供を産んだことがニュースになった。すでに絶滅危惧されてから手を尽くすのでは自然界の生態系を守るには手遅れという。俳句は花鳥諷詠、自然界のことを詠み込んできた歴史がある。絶滅危惧品種を詠み込み、功罪を詠うことは、敏雄以降の普遍的な俳句の型といってもよいかもしれない。

蓑虫もとうに絶滅危惧種といふ   関悦史 『六十億本の回転する曲がった棒』(2011年)

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