三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】52.53.54/ 北川美美

52.やまかがし窶(やつ)れて赤き峠越ゆ

案山子(かかし)ではなく、カガシ、蛇である。

毒蛇が疲れ果て《赤き峠》を越える。あるいは、ヤマカガシが《窶れて赤き》となり、峠を越えるという読みもできる。「赤き」がヤマカガシなのか、峠に掛かるのか、どちらだろうか。敏雄句の特徴である「赤」。この『眞神』にも「赤」の句が何と多いことだろう。

鬼赤く戦争はまだつづくなり
霧しづく体内暗く赤くして
水赤き捨井を父を継ぎ絶やす
やまかがし窶れて赤き峠越ゆ
産みどめの母より赤く流れ出む
身の丈や増す水赤く降りしきる

傾向から言うと、「赤」はヤマカガシに掛かっているようだが、蛇が赤くなる、という現象は調べてみたが、立証できそうもない。元々赤い蛇というのは、蛇の中の「ジムグリ」の幼ヘビがある。そうなると、「やまかがし」という蛇の種類が登場しているのならば、やはり「峠」に掛かる、という結果になる。

「赤き峠」。曼珠沙華が沢山咲いているような峠だろうか、紅葉の峠だろうか。無季句でありながら季節を感じさせることができるのも俳句の力である。

53.沸沸と雹浮く沼のおもたさよ

雹(ひょう)が浮く沼の面を境に、沼に表と裏があるように読める句である。

雹は沸々と湧き上がるように浮くが、雹の落ちた沼はどろどろと重たい。なんということでもないのであるが、それが俳句になる不思議さがある。ふと読者を考えさせることができるのが俳句の短さ故の魅力である。

蓮の花が浮く水面が天国と地獄を意味するように思えるのだ。蓮の咲く季節だけが天国ではない、寒い季節にも天国と地獄がある。

54.木を膝を山蟻下りて日かたむく

敏雄俳句には映像の世界がある。ふと、登場する山蟻が、誰もいなくなった村に生き、足早やに木を、そして我の膝を下ってゆく。

「日かたむく」は31句目の

日にいちど入る日は沈み信天翁

と呼応しているように思える。また同時期に作られた句ではないかと思っている。同じ日常が繰り返されていく自然界の営みである。

俳句はひとつ、あるいはふたつくらいの動作しか書けないだろう。しかし山蟻が木を、そして膝を下るという上五中七のたった12音の言葉で矢継ぎ早やな山蟻の様子を表し、「日かたむく」で午後の地球の自転をも感じさせる。小さな景から大きな景へと俳句にも絵画に似た遠近法があるのである。その軸がすこしずれるというセザンヌ的感覚を『眞神』には感じることができる。

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