鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり
今回のテーマは「魚」である。そのため千空の句集をめくり、魚を対象とした作品を読んでみたが、これと思える作品に出会えなかった。というのも、ずっと頭の中に掲出句が鎮座していて、この句と比較すると「魚」そのものを対象とした、どの作品も物足りない思いがしたからである。というわけで今回は、ストライクゾーンから外れていくチェンジアップ気味に、この句を採り上げてみたい。
掲出句は第3句集『天門』所収の作品である。津軽の唐黍(玉蜀黍。津軽ではその実の色(黄色)から“きみ“と呼ばれる)といえば「嶽(だけ)きみ」が名高い。千空がいつも眺めていた岩木山の南麓、嶽高原で採れる玉蜀黍だが、小ぶりの品種であることから、この作品の対象となったものではなく、千空が詠んだのはもっと一般的な玉蜀黍だったと思われる。
さて玉蜀黍と鯉。両者に共通点は乏しく、直喩としてはかなり斬新だ。もいだばかりの玉蜀黍を胸に抱えた時、不意に千空の脳裏にそんなイメージが浮かんだのであろう。少なくとも書斎で作れる句ではない。そうしたイメージが浮かぶほどの量感を持った玉蜀黍であり、抱え込んだ両腕の中で暴れ出しそうなほどの野趣を感じたということだろう。
そして、下五に投げ込まれた「故郷なり」という措辞。ふるさと自慢というよりも、思わず口をついて出た作者の実感だろう。その意味で、津軽に生まれ、生涯その土地に執した千空ならではの作品だと思うし、飾り気のない詠みぶりもかつて師草田男が「素手で対象を捕まえたような」と評したこの作者らしい作品だと思う。