螻蛄ひそむ農の重みの足跡や
第1句集『地霊』所収。
螻蛄は、昼間地中に潜み、夜になると地中から出てくる。よく「みみず鳴く」といわれるのは、実はこの螻蛄の鳴き声である。千空は若い時分この螻蛄を題材とした句をよく作った。いくつか引いてみる。
螻蛄の闇野鍛冶は粗き火を散らす 『地霊』
母の屍ゆ別れきれねば螻蛄の闇 『地霊』
「螻蛄の闇」というフレーズからも分かるように、千空の作品世界において螻蛄はそれが持つ暗いイメージ、とりわけ螻蛄が鳴くと言われる夜の闇が醸し出す「死」の印象に結びついている。やはり、戦前から戦中にかけ胸を病み、己の死を意識しながらの療養生活を余儀なくされ、更に空襲により青森市内の自宅を焼け出されてからは句友と隔絶された開墾地において孤独な句作を続けた若き日の千空にとって、螻蛄はひときわ親近感を覚える季題だったのだろう。しかし歳を重ねるにつれ螻蛄の作例は少なくなり、第2句集以降には見当たらない。過酷な時代が終わり、孤独な生活環境が変化するにつれ、千空もこうした暗い精神世界から脱却したようにも思える。
そうした観点から鑑賞すれば、掲出句の「重み」には様々な思いが込められているように思う。農作業を終えた男の足跡が、彼の体格のよさにより深い窪みとなって残される。あるいは鍬をはじめとする様々な農具の重さも加わったかもしれない。そのことを嘱目した写生句と見えないことはない。しかし、その足跡が残る土の中には、夜になるとジーッと低い鳴き声を立てる螻蛄が出番を待っているのである。即ち、すぐ足許には螻蛄が象徴する「暗黒の闇の世界」が横たわっており、明日の我が身にも暗い影を投げかけるのである。だとすれば、この「重み」は農作業あるいは現実生活の苦衷を詠んだものであり、足跡の深さは人生の重さの象徴にも思えてくる。
津軽の農村、しかも千空が実際に体験した戦後間もない時期の開拓生活の様子が垣間見える作品である。今も、あの畑に螻蛄は鳴いているのだろうか。