戦後俳句を読む(10-3)攝津幸彦の句 「俳句の本源」/ 筑紫磐井

俳句の本源

攝津幸彦が亡くなって15年もすると、攝津が亡くなっていたときにおかれていた環境とずいぶん違った環境が今は生まれているように思う。攝津を愛し、また攝津も愛した、三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房、桂信子、永田耕衣と言った先達もなくなった。攝津が意識せざるを得なかった、飯田龍太、森澄雄といった対極の人たちもいなくなった。一方攝津が想像だにしていなかった、俳句甲子園世代や、芝不器男賞世代が次第に登場してきている。三橋敏雄や飯田龍太の対比で読まれて意味を持つ作品群が、新しい世代の中でどういう意味を持つか、興味深く眺めている。

というのも最近、虚子について話し合いをしたときに、

浅草になく鎌倉で買う走馬燈 高濱虚子

という句が取り上げられた。この句は、詠んだ虚子の意図を離れて、これが俳句というものだと現代の若い作家には受け取られているのではないかと議論がされたからである。もちろん詠んだ虚子の意図などは決して分からないのだが、三〇年程前にこの句に出会って否定的に見ていた我々とは違う評価が現代の若い作家の間では生まれているのではなかろうかという気がする。もっとつきつめて言えば、誰も真似などしなかった「走馬燈」型の俳句が現代の若手の作品に現れているような気がすると言うことであった。

 虚子の句の是非を問うわけではないので、あまりこの句について立ち入ることはしないが、攝津の句もこうした理解から、新しい解釈やとんでもない解釈が生まれているような気もする。

蝉しぐれもはや戦前かも知れぬ 攝津幸彦

 この句は、知らぬ間に戦前が来ているかも知れぬと言う、フラッシュバックしているような現代の逆コースを詠んだものと理解していた。しかし時間を逆転すれば、常に時代は逆行するという恐怖をや不安は普遍的な感情かも知れない。この夏、全国の高校生が競い合う俳句甲子園の審査委員として招かれていったが、今年の最優秀作品に選ばれたのは、神奈川県立厚木東高校の次の句であった。

未来もう来ているのかも蝸牛 菅千華子

 審査員を代表して高柳克弘が未来のすべてが出きってしまっているかもしれないという思いを詠んだと解説していたが、戦前が現代に到来するのと逆方向に時間の流れが移動して、未来が現代に到来すると見られなくもない。私は入賞決定に当たっては、攝津の句があるなあと若干躊躇したが、他の選者は気にもとめなかった。攝津幸彦自身マイナーであり、この句が知られていなかったせいもあろう。高校生だから盗作のおそれもないしそれほどとがめることではないかも知れない。むしろ気になったのは、尖鋭的と思われた攝津の発想が、現代の高校生の意識の中で自然に発生してきてしまうことだ。習わないでも生まれる言語感覚は、俳句の本源的な本質といえるであろうか。

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