戦後俳句を読む( 28-1 )攝津幸彦の句【2012年の攝津幸彦再読】①/堀本 吟

昨年、筑紫磐井氏より熱心なキャンペーンがあり、攝津幸彦没後15年ということで、 回想を含めて、「詩客」誌上に何人かの再読の寄稿があった。私も二回ほど思うことを連ねたが、それ以後中断してしまった。

が、攝津俳句に対する関心は、実は私の中にもつよくずっと潜在しているのに、当面の用事にかまけてしまい、それを文章等の形にあらわさぬまま過ぎてきている。だが、表面の波が去ったからといって、そう簡単に読み捨てられていい作家ではない。

おりから、あるいはインターネットに現れない場所で、まだなにか書くにはいたっていない熱烈なファンが生まれているのかもしれない。そう言う人が現れてくることを期待したい。言葉の状況と、文化的環境がめまぐるしく動いている昨今であるから、特に若い俳人たちはいそがしそうである。それも無理はない。またかつてかりにも多少の関心を持ってきた人たちが、攝津幸彦の言葉がもう古いものとして反応しなくなっているのだとしたら、現在とこれからの諧謔は攝津幸彦のそれとは、そんなにもすれ違うのだろうか?ファンとしてはかなり気がかりである。そのことも考えてみたくて、私は、攝津幸彦の再読を呼びかけたい。

ともかくも、そこに気がついた時がいい機会というべきであろう。どこかで誰かがその関心を、というより関心の継続を表明しておくほうがいい、というのが、この間私が閒がつづけてきたことである。

(ところで、届いたばかりの「俳句空間―豈」53号の特別寄稿―もてきまりの《攝津幸彦小論ーテキストの快楽》はその意味でも貴重であり、また、興味深い視点を差し出している。いずれこのことについては書いてみたい。)

自分の中では、セッツはすでに終わった、と思っている人もこの機会にもう一度ともに読みなおしてくださってはいかがだろうか?時代が遷ると多少はあるいは根本的に読み方が変わるのは当然だ。攝津幸彦はいまやセッツユキヒコなる異邦人に見える。言葉の創造者、イメージの造像に貢献をはたしている見知らぬ俳句人を理解するためには、読む方にもそれなりの辞書がいる。具体的にはそれを探ってゆきたい。

いったいに、攝津幸彦について、今までであまり言われなかったことはなんであろうか?

その前に、言われてきたことは何であろうか?まずそのようなところから、関心の再構築をしておきたい。

『鳥子』の高柳重信序文

攝津幸彦の名を注目せしめたのは二十九歳の時に出版した第二句集『鳥子』〔昭和五十二年・ぬ書房)であったが、(第一句集は『姉にアネモネ』昭和四十三年・青銅社。この内三十二句が鳥子に集約されている。

『鳥子』の序文を書いた高柳はこういうことを言っている。

「ぬけぬけと書き切ったにしては、どことなく含羞のような初々しさが漂っていて、いわゆる悪達者の弊をギリギリのところでまぬがれている」。

「彼自身は、いつも不安げに躊躇しているが、ときおり俳句形式の方がすすんで姿を現したというべきものが、最も典型的な攝津俳句の本質であろう。攝津幸彦の俳句は、それを見るのが初めてであるにもかかわらず、奇妙な懐かしい感じをもたらすのは、そのためである。」「或る意味では非常に俳句的である。」

「それにしても、このような作品に出会うまでは、これほど俳句的な俳句が、これほど非俳句的な環境と思われたところに存在し得るなどとは、よもや誰も想像しなかったに違いない。」(句集『鳥子』《序 高柳重信》)

 同人誌に書かれた攝津の散文は「吃り吃りの饒舌」というべきもので、これは青春の精神状況として格別異常とは言えないが、ただし、

「俳句のような逆説的な短詩型がここに目出度く介入してくると]

「混沌の濁流が遽かに澄み切って明晰となり、また、単純素朴なるが故に明晰と思われた

高柳は、青春期の「含羞」が、悪達者と言われそうなところを救っている、要するに卓抜な言語センスを認めているここと、それ以上に、表現の形式を得るけいきとして、闇雲の探究心や耽溺、つまり未知への冒険の要素が重要になることを指摘している。ほめ方や釘に刺し方である。まるで、この若者の才能に嫉妬しているかのようだ。そして間違いなく、表現の特異性を、その作家形成のあり方の方面から、攝津幸彦の新しさの意義、異端性と正統性が等価値であるようなところに、この青年俳人登場の意味を認めている。

 これは、戦前戦中の文化活況から出発した重信が、戦後生まれの子供たちの成長した姿を初めて認めたことを意味する。いま話題になっている死刑囚俳人大道寺將司の『棺一基』(太田出版)、彼も攝津の同時代人と言えるのだが、あのいわば独房にむりやり引きこもらされている人物の「日常性」の表現を、明るい真昼の会社や幸せな小市民社会の家庭の中で追求したのが攝津幸彦なのだ、と考えてもいいわけで、その共通性は、ひとつには「吃り吃りの饒舌」というものだ。大道寺の俳句に「含羞の初々しさ」がなければ、じつに醜怪な思想の蹉跌の自己弁護となったであろう。

 そして、わが攝津幸彦の俳句は、極言すれば「俺は沈黙したいんだ」という究極のあこがれを体現している、つまりオタクや引きこもりの心的世界と同質のものがある。(続)

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