炎 詩人の故郷──二〇一二年夏、尹東柱の故郷明東村を訪ねる 河津聖恵

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*炎―尹東柱のために 河津聖恵

今日
いつもの部屋の景色
てのひらのカップの丸みが
湯気と秒針
口の中の苦みが
ふいに止まりすきとおり
不思議な駅の予感がはじまります
私の中から
冬が大きな蝶の影となり
飛び去っていくようです
生まれたばかりの薄い光が
空に翅をひろげる気配もします
けれど見廻しても
春はまだここにない
鳥は沈黙をつづける
梢はひからない
世界の遙か外は明るく
さえずりと雪解け水が
きらめき交わり
無数にふりそそいでいるのに
 
あなたが遺した
『空と風と星と詩』が
テーブルの上に載っています
六十八年の眠りののち
いまだ春が来ていないと知り
孤独な十字架のように
透明なほのおをあげはじめます
そしてみずからのほのおを
悲しそうに見つめます
(死は
 他人の国で 他人ゆえに 他人のものとしてもたらされた
 玄界灘の激しい波音に占められた棺に
 あなたの死はなかった)
だから今
みずからをやきつくそうと
詩は死をあふれていきます
無数の偶然と必然の手が
瓶(かめ)の闇から
歴史の断絶の底から
救いあげた一語一語が
水色に明滅します
それらはこの世の雪原に
生まれては消える小さな足跡です
生と死の国境を
越えることなく遺された
花の幻 そして
無数の星々とひきあう
無数の死者たちの名前です
 
けれど
詩の足跡を辿りゆけば
春の野にふたたびまみえるでしょうか
いいえ
いまだあなたの野を奪いし者の足裏は
魂の雪原を知らない
私の指は
牢獄の冷たさに届かない
壁に詩の傷を引っ掻く痛みも
昼の空を真夜中にしながら
捩れていったことばの灰のくるしみも
 
今日
この部屋の中にまで
やがて雪がふってくることを
偽りの死が覆われ
ことばの炎だけが
まことの死のために燃え
死のむこうまで
今も生きるあなたのいのちが
つかのまにも輝きわたることを
 
                     二〇一三.二.一三
 
 

*詩人の故郷―二〇一二年夏、尹東柱の故郷明東村を訪ねる 河津聖恵

詩人の故郷を訪ねることは
詩人の魂の中へ歩み入ることだ
そう信じ私をやってこさせたのは
魂の飢えか それとも
まだ魂があるというひとすじの希望か
感覚の荒れた皮膚
理性のかすかな悲鳴
倫理の赤い点滅
それらが捧げるもののすべてであったとしても
詩人の故郷を訪ねることは
詩人の魂の中へ歩み入ることだ
六十七年の歳月を超え
もはや海の激しさに抗われることもなく
空のふところにやすやすと抱かれ
人の優しいてのひらに次々乗せられて
ここまでやってきた
魂の容器だけをぶらさげてきた
しかし私に何が許されたのか
何が行く手をひらいてくれたか
かつて新しい土地を目指した人々が目印にした
立岩(ソンバウイ)を見る(立岩に見られる)
記念館で
暴力の闇をおしとどめる唯一の光となった
十字架を仰ぐ(十字架に見下ろされる)
 
村の内部は
コスモスが路肩にあふれていた
「わたしの心はコスモスのこころ
 コスモスの心はわたしのこころだ。」(「コスモス」)
壺中天の明るさは
透明なコスモスそのもの
一世紀眠りつづける少年の寝息が
そこここをふれわたり揺籃する
「おれはまだここに呼吸(いき)が残っている。」(「怖ろしい時間」)
未舗装の「新しい道」には
幼年の足裏の感触が鼓動する
家の陰の鶏の声
くさむらの虫の音の気泡
ひとしれず光を祝福する地上の静けさに
耳を澄ませる空の永遠
その主のないまなざしの青が
村を包み続ける
吸われるような色あいは
プルダ(空色、緑色、藍色の総称)なのか
パラッタ(鮮やかな青)か
私は詩人の国のことばで
詩の色を見ることができない
しかし村の外れでふいに行き当たった
草をかき分け流れる小さな水の流れが
シーネ(小川)であると
からだのざわめきで教えられた
「春が血管の中を小川のように流れ」
「永い冬に耐えたわたしは
 草のように甦る」(「春」)
幼く濁った水の煌めきに
抱える魂の容器の底は
甘美な亀裂を入れられた
やがてその傷から
詩人の春が私にも芽吹くだろうか
 
丘の上のまるく優しい墓の周囲で
無数の風が
柔らかな十字を切っている
いまだ伝えやまない沈黙の遺志がある
(「風が吹いているが
 おれの苦悩(くるしみ)には理由(わけ)がない。/
 おれの苦悩(くるしみ)には理由(わけ)がないか、)(「風が吹いて」)
死ののちも苦悩は
理由を探し
最期の叫びは
いまだ波動を送り
六十七年を超える歳月に息絶えたものは何もない
虫の音も 葉あいのそよぎさえも
 
天の青はさらに高まる
時間と空間と私さえをもまるごと
詩人の魂の内部へ
ふうわりと抱く
 
                    二〇一三.二.一四
 
尹東柱(ユン・ドンジュ、一九一七年十二月三十日~一九四五年二月十六日):間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)出身の朝鮮人の詩人。
第二次世界大戦下の日本へ留学したが、一九四三年治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、祖国解放の半年前に獄死した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1

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