クロニックは解釈的多数の中空らせん   宗近真一郎

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クロニックは解釈的多数の中空らせん   宗近真一郎

1 塀
ある日、その空き地に塀がめぐらされ、塀の向こうでシ
ョベルカーが激しく動き始めた。土が捲られているはず
だが、ショベルカーの猛るような、振り降ろし揺さぶり
かけるハガネの攻撃が唐突に現れる塀の向こうで、ほん
とうに捲られているものは何だろう。風にまぎれ、視線
を跳ね返す土煙を透過して、草の断面からしたたる香が、
鼻を突いてきいんと鳴り始める。切り刻まれていたもの
が多数の楔になった。声も多数だった。暗黙に持続され
る命法や、無音のまま乱打される問いの釣瓶が水面を叩
き、葉脈は水際立ち、黙り込んだ分身が、誰にも助けら
れず、失神のまま、引きずり回されているのではないだ
ろうか。だが、濃厚に遮られている。匕首のように、突
き付けられ禁じられている。そもそも、そこが空き地だっ
たのかどうか、分からなくなった。そこに在ったのが、
樹か草か、廃屋か、蝉の幼虫か、ぜんぜん分からなくなっ
た。ショベルカーの鉄のアームだけが、遥か向こうで暴
れている。あ。光の線分が蔦のように塀を乗り越えてやっ
てきた。あ。もともと塀など無かったと証言するために、
腸管みたいに吊り上げられた。しょせん、「見えないも
の」は「見えるもの」の、「見えるもの」は「見えない
もの」の部分、だから。ひととき、星座とともに旋回し
たにちがいない。昼に深く吸い込まれ、塩とともに捲ら
れた光が、体液の驟雨に濡れる夜を贖った。

2 ヨブ
昼夜、二交替である。に、ちょく、とヨブ。組み立てラ
インには、ボルトや鉄パイプやネジが散乱していた。そ
こでは、夕刻と明け方、行きずりのオンナとオトコのよ
うな、場末の辻のような出会い損ねがあり、わんさか出
会い損ね、どんなに深く交わっても、渇いたミミズのよ
うな未遂の線分だけがフロアに放置された。遮られたの
か。ほんとうに鎧戸など在ったのか。窃視されて亢進し
たのか。オンナがオトコを代行し、オトコがオンナを代
行し、だが、二匹の妖怪は所詮すれ違う多数であり、き
みたちは、ニーチェの馬のように黄砂のなかでかぎりな
く交替せよ。夜に向かうものと朝に向かうものは、ひる
がえるスカートよりも「縮閉線」に似た灰だ。リアリズ
ムの譫妄なのか、輪舞するのは、ナットかボルトか。重
力などクソだ。「機械・工具の原理。工具とは、運動の
変成物である。どんな運動をも自分になしうる自動機械
をつくり出すことができるだろうか。ほかのことを考え
ることができる者はだれもいない。今の一分間が次の一
分間にどんなふうにつながっているかというつながり方
が大切なのである。睡眠と数学」*。ラインの騒音に混入
した鼻唄が検出され、ネジの幾何学が抵抗されて、ライ
ンは低速した。夢から回収されたオシャカからしたたる
オイル。倒壊寸前の工場の伽藍では、何度目かの審理で、
整理整頓清潔掃除躾作法、せいりせいとん せいけつそ
うじ しつけさほう、という音律の惑乱をめぐって紛糾
の末に判決が下され、旋盤機か圧搾マシンか巻線機のい
ずれかで処刑されることになった。切り刻まれるか、潰
されるか、締めあげられるか。それに、キャットウォー
クを踏み外したという訴追。に、ちょく、とヨブ。機械
のエクスタシーに関与してはじめて、幽霊の多色の輪郭
が描かれる。オイルの香に煽られた音楽。

3 鏡
部屋の姿見の鏡からきみの姿が消えた。ベッドも窓も椅
子も今まで通り映っているのに、鏡の正面に立つきみの
姿だけが鏡に現れない。遠くから反複的な釘音がやって
来る。指切りげんまんの、その小指が緩慢に千切り落と
され、きみはきみの姿のない鏡を見つめて、通俗的に苛
立つ。いつなんだ、どっちなんだ。誰もいないのか、自
己という幻影の末法の液状化なのか。あるいは、透明で
あることを目撃されたきみは、復讐の多数の果て、鏡へ
と錐揉む亡霊なのか。じっさい、鏡の彼方に拉致された
きみを奪回しようと、世界は、所有と非所有の錯乱を千
年のあいだ漂った、という民話的な耳鳴りも拡散された。
世界は、けっきょく、鏡の前のきみに呼び戻されない。
「見えるもの」へと視覚が駆動し、きみに到来すること
によってこそ、きみは、諸物の犇めきあいから鏡へと生
まれて来るはずだった。「見えるもの」は、「見えない」
裏面、後ろの正面、つまり、それがひとつの不在として
現前する裏面において、「見えないもの」と共犯的な部
分だから。しかも、夜明けの晩の、諸物の隠し合いにお
いて世界の輪郭線が形成されるのだから。そして、なん
と、ぶわん・ごとん。薄明の鏡が、ついに、語り始める。
「見ることは、ぶわん、現前、では、ない。ごとん。き
みがきみ自身における不在、ぶわん、となり、ごとん、
存在の裂開に内側から、ぶわん、遭遇するために与えら
れた行為である、ごとん」**。あらかじめ、途絶えるこ
とのない多数のざわめきが、鏡の縁で競い、線分の悪意
がもつれ、解けず、まぐわう。未開封の夢の、水の暗号
として、後ろの正面、だけがきみに残される。溶けて、
滲み、叛乱するパティニールの、青。

*シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』(田辺保訳、講談社文庫、一九七二年十二月)の複数箇所から語句を導入。
**メルロ=ポンティ「眼と精神」(木田元他訳、みすず書房、一九六六年十一月)からの引用に加筆。

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