夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらうと思ひながら選んだ十首   荻原裕幸

  • 投稿日:2018年10月06日
  • カテゴリー:短歌

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夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が
私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として
生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感が
できるだらうと思ひながら選んだ十首   荻原裕幸

十薬匂ふ湯の沸きはじめの音がするこの世の時間しづかに進む
ひとを食べ尽くした夏の正門が閉められてこちら側の寂しさ
赤ペンのひらがなひらくはつなつの進研ゼミは恋まで諭す
夏の空には私のこゑもしみてゐて半世紀のその青を見てゐる
遠い夏の朝のピアノを聴くやうに過ぎてゆくその船を見てゐた
枇杷の下には何が棲むのか呼んでみる静寂よりも静かな声で
次はリューグーつて聞こえた名鉄のドアがひらけば夏の龍宮
わりと本気で雲に乗りたい八月の午後がとてつもなく寂しくて
無いよだけど在ることにしてコメダする夏の終りの男女の友情
何処からか音だけがして八月のこの世には降ることのない雨

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