私の好きな詩人 第72回 – ズビグニェフ・ヘルベルト – 関悦史

 好きな詩人と言われて、ウンガレッティとかクァジーモドとかサン=ジョン・ペルスとかいろいろ考えはしたのだが、震災後、建築や映画への関心が薄れ、それと同時に現代詩でも、言葉でもって現実の底を抜き、その彼方を探求するような象徴性や緊張感の強い作品に寄り添う気力は出にくくなってしまった。

 そこで引っぱり出してきたのがヘルベルトである。

 『集英社版 世界の文学』の略歴では、《強大な権力に立ち向かう孤独な魂のつぶやきはポーランドの知識人の反骨の叫びと響きかわしているように思える》と紹介されている。冷戦期の抑圧のなかで活躍した、東欧の反体制派詩人ということになる。

 ここに訳出されているのは、機知と寓意に富んだショートショートを極度に短くしたような、輪郭の明快な作品が多い。

こびと
 
 こびとたちは 森のなかで 大きくなる。特別な臭気があり 白いあごひげを生やしている。連中を一握りほど集めて 乾燥させ 入口のところに吊してしまえば――たぶん ぼくらも のんびりできるのだろう。(工藤幸雄訳)

 この詩はこれで全文である。

 不快な監視体制を諷した作品と読めないことはないが、それだけでは済まない、得体の知れない剰余がにじみ出てもいる。ポーランドといえばゴンブローヴィチやシュルツのような批判精神に富んだ幻怪、哄笑の前衛作家を生んだ国柄でもあって、一筋縄ではいかないのだ。

 『集英社版 世界の文学』は七〇年代に出た名選集の誉れ高い叢書だが、ヘルベルトはその「現代詩集」の巻に二十一篇ほど訳出され、それ以後あまり邦訳はされていない。

 ただ同じ叢書の「現代評論集」にギリシャ文明への思索をめぐらす紀行エッセイ「海辺の迷宮」というのが入っている。

《かわいそうなミノタウロス! わたしは、ほんの幼いころからミノタウロスに同情した――テセウスもダイダロスも他の機転のきく人間も、それほど気を惹かなかった。初めて父からこの話を聞かされたとき、わたしは痛いほど心臓のひきつるのを覚えた――それは、半分だけが獣(けだもの)、半分だけが人間でいながら、迷宮に苦しみ、策略と流血にみちた――彼とは関わりのない――人間の歴史にいじめぬかれるミノタウロスへの哀れみからだった。》

 そして、こんな気持ちになったのは、「わたしのちいさなミノタウロス」、当時両親に隠れてひそかに食べ物をやっていた猫「マチウシ」のせいだろうと続く。

 両親は動物が媒介する病気を嫌ったようだが、それがかえってのちの詩人に《より大きな病い、歪み》を自覚させてしまったのである。《未知のもののもつ心を尊敬し、それと交流したい気もち(石器時代からわれわれのなかに根をおろしている)》という、より大きな病い、歪みを。

《のちになって読んだ神秘主義者たちの書が多少とも理解できたのも、マチウシのお蔭による。(中略)そして、わたしの愛の打ち明け話に、火のような愛撫に、のどを鳴らして答えてくれた、猫の神性の高みから無関心な目でわたしを見ながら。》

 寓話じみた体裁をもつ短詩たちの奥には、理解不能な怪異を、理解不能なままに愛する、原始の繊細さがひそんでいるのである。

 ヘルベルトの略歴を紹介しておく。

 一九二四年ポーランドのルヴフ生まれ。このルヴフというのは『集英社版 世界の文学』の略歴では「現ソ連領リヴォフ」と注記があるが、その後、周知のとおりソ連もなくなってしまい、現在は「ウクライナのリヴィウ」ということになるらしい。

 戦争中は「国内軍」の抵抗運動に加わりつつ、ルヴフ大学の「地下大学文学部」に学び、コペルニク大学法学部を卒業。ワルシャワ大学哲学科在学中の一九五〇年に詩人デビュー。

 詩集に『光の弦』『ヘルメスと犬と星と』『物の研究』、それらをまとめた『詩選集』一巻がある。

 一九六五年から七一年、西側在住。

 一九九一年エルサレム賞受賞(日本では二〇〇九年に村上春樹に授与されたことで注目された賞)。

 一九九八年没。

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