赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

煌々と渇き渚・渚をずりゆく艾           『虚像』

艾(もぐさ)とは広辞苑によれば「ヨモギの葉を乾かして製した綿のようなもの。これに火を点じて灸治に用いる」ということだ。昔はよく背中に艾を積んで火を点けじっと耐えている老人などを見かけたものだが、最近ではお灸そのものが珍しくなった。それでもせんねん灸などと便利なものもあり、美容ブームで見直されている面もある。

煌々は「きらきらひかるさま、ひかりかがやくさま」なのでこれは太陽の降りそそぐ渚のまぶしさを表現しているのだろう。「渇き」もまた太陽の力強さを表わすものである。兜子の生まれた網干はこれまでにも書いたように瀬戸内海に面している。製塩で有名な赤穂からは程近く、つまりはこの陽光の降りそそぐ渚こそ彼の故郷の風景、原風景と言えよう。

問題は渚をずりゆく艾というイメージ、これは何なんだ。そもそも海辺を艾を引きずって行って何の得がある?

唐突かもしれぬが筆者はこの句を読むと横山大観の『屈原』という絵を思い出す。『楚辞』の作者として有名な屈原が「漁父辞」にある通り「江潭に游び沢畔に行吟」しているところを描いたもの。その様子は正に「顔色憔悴し形容枯槁す」という言葉通りやつれ果てて鬼気迫るものがある。この絵は明治31年の作。自分の師である岡倉天心が東京美術学校を追われたことに触発されて描かれたと言われる。東京美術学校を辞した天心は日本美術院を旗揚げし弟子の大観や下村観山、菱田春草もこれに従った。なるほどこの絵の屈原の顔は天心岡倉覚三そのものだ。

それは兎も角この屈原は艾なんか引きずっていないのに何故かこの絵が浮かぶ。筆者にとって屈原にも大観の絵にも思い入れが深いせいかもしれない。筆者は高校の漢文の教科書で「漁父辞」に出合ってから忽ちこの文(厳密には詩ではなかろう)が好きになった。同時に教科書のページに掲載されていた大観の『屈原』の絵にも惹かれた。(実はそれ以外の大観の絵は余り好きではない、いや嫌いなのだが。)兜子も漢詩を専門としていたことを思えば、艾の句に屈原のイメージを重ねることはあながち的外れではないかもしれない。もちろん絵の屈原は艾ではなく右手に鳥の羽のようなものを持ち、引きずっているのは艾ではなく衣服の裾なのではあるが。

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