LAST DATE付近 野村喜和夫

【9月13日掲載】自由詩 LAST DATE付近-1
【9月13日掲載】自由詩 LAST DATE付近-2

LAST DATE付近 野村喜和夫

                     愛は到達しない。
                     ──エマニュエル・レヴィナス
 
さあ、出発するのだ、
私に向かって、
おまえはレストランを出る、
すると日のおもて、この世の底なしの根底が、
くるりと、死んだ蛙のように、腹をうえにして伸びている、
そんな日のおもて、遠く蜃気楼のように、
病院がみえてくるだろう、光がまがると、
岩の塊は伸び上がり丘に、雑草も伸び上がり樹木に、
なろうとするのだ、さあ、
入るがいい、病院エントランス、
昼下がりのせいか、待合室はがらんとしている、
診察室も1から5まで、ずらりと格納庫のように伸び、
だがおまえは見向きもせず、さきへすすむのだ、
おまえから光が雫となって、垂れている、
のではあるまいか、私までそれを運べ、
廊下がまた、やたらと広く長い、
だがまだ日のおもて、その残滓がおまえに、
匂いのようにまつわりついている、
のではあるまいか、私までそれを運べ、
エレベーターに乗り、エレベーターを降り、
暗く狭隘なところを過ぎ、窓からはちらりと昼霞がみえ、                 
扉がひらかれ、ようやく療養病棟となる、
そこから先は、患者はお襁褓をつけた老人たちばかり、
なので、かすかに糞臭がただよう、
なんてことはない、安心せよ、
ナースセンター、リハビリルームを過ぎ、
なおもおまえはすすむ、すすまねばならぬ、
おお、ベッドのうえの老人たち、みな一様にあおむけに、
歯のない口をあんぐりとあけて、私もそうだ、
子音は脱落し、不安はすでになく、
オビだったか、エニセイだったか、
私はいま、はるかむかし、
抑留から戻るときの、渡河の夢を見ている、
さあ、来るのだ、
廊下をさらにすすみ、奥の奥の個室の、
私のオビ渡河の夢へと、来るがいい、
野村さん気分はどう、看護師が私の耳元へ大声を送るが、
もちろん聞こえなどしない、私はいま、
昼霞のもと、オビ渡河の夢をみているのだから、
だが、おまえが近づいていることはわかる、
喜ばしいことだ、ドアは開け放たれている、
そこから、逝かない身体という真理、
それが、やがておまえにもみえてくるだろう、
それはたしかだ、そこへようやく、
おまえは辿り着こうとしている、
それはたしかだ、おまえに喜びはない、すこしもない、                    
病室の窓には、のどかな郊外の春がひろがり、
そのむこうはまた、蜃気楼かもしれない、
そうして来世は、そのにせの広い水面の果てにある、
ちがう、なおも日のおもて、
なおもこの世の底なしの根底が、光る腹をみせている、
だけであろう、おまえに喜びはない、
すこしもない、それでもおまえは、
私へと、さあ、
到達するのだ、

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