ノープリウス 中家菜津子
遡上する魚が目指す 海鳴りを
干上がった水飲み場に 産声として聞いていた
頼りない目薬の雫をおとすと 九月の美術館の窓から
ノープリウスたちは
頭も腹も胸も 幼生に刺された脚を
まだ分化されていない さすりつつ
透明な意識の ペットボトルの水ですすいだ
単眼を壊して
散策している
車窓を過ぎてゆく故郷のホームに さびしさに与える眠り
水を飲み続ける影を置き去った 海鳥の声に
あなたは帰らずに今は通り過ぎる 選ばれなかったひとの
魚が産卵のために
選ぶ死を見届けるのは
いかりとかなしみが
ちぎられる前の感情を 乾涸びた蟹を
一艘の舟に 左の縁にのせ浜にあるとき
古びた産声として 舟は柩ね
載せたあと
生と生とを繋ぐ なめらかな海岸線を
生でしかないことの 岬までなぞった指は
繰り返しとして 潮のかおり
折り返しとして
波音を背に
わたしたちは生まれ出たこと 記憶から解き放たれた
くるしみとよろこびの あの海と今を
区別もつかずに ひとつにまぜる波音
興奮して空を見上げた
雪が降りてくるまでには
帰るから
帰るから
砂浜の砂粒の位置を そうやって
記憶できないかわりに すべての海に君はいて
鎖骨のように白い駒を埋める 壊れた櫂を渡してくれる