a「わが家は新聞を変えた。新聞社には適切な情報発信を求めているからだ。同時に海外の情報も仕入れ、現在の日本の状況を判断している。幼児のいる私にとっては、原発事故の現状と放射能汚染とが一番の関心事。/海外論調はドイツ=今後五年で東北と関東合わせて六割ががんや白血病で亡くなり、未成年は四十歳まで生きるのが困難である。フランス=日本政府は原発事故対応を誤った。知ったふりして(原発を)使うのは子どもと同じ。北朝鮮=日本政府、マスコミは言論統制と捏造報道を意図的に行っている。こんなさまざまな情報がある。/……」(「発言」〈投書欄〉、――36(東京都江戸川区)、「東京新聞」2011・12・29) 〔「新聞を変えた」とは東京新聞へ、でしょう。その部分はよいしょ記事。裏をとれない不思議な投書。二〇一一年の到り着いたある種の極相。若い母親である投書者の誠意は疑えない。〕
b「クールなスペクタクルだね。クルマや家がオモチャみたいに流れてったよね。3・11震災直後のパリでは一般的なフランス人の間でこのような感想が軽く言い交わされたらしい。未曾有の津波に打ちのめされる陸中沿岸部の光景を彼らはハリウッドのパニック映画のシーンのように眺め、その印象について映画の感想のように語り散らした。春先のカフェの終わりなき、そう見えてそう言いたいからそのように言い募って止むことがないお喋りのタペストリーに津波の理不尽な光景が偶発的に折り込まれたということだ。/偶々、言い交わされたコミュニテイに紛れていた複数の日本人は、むろん、憤慨してそれを語った。日本に居ようと居まいと、全ての日本人は津波の光景に言葉を失った。何を言っても、何ものに喩えても、悲しみや怒りや虚しさなどあらゆる感情も凍りついた。倫理や同胞愛というものとは異なる、「日本」に在ることをめぐる根底的な挫折があった。/フランス人の反応は、大津波の悲惨を自分の身には迫らない遠い出来事として眺望するポジションを素朴に反映している。だが、無邪気な鳥瞰そのものの事実性と、それがパロールに乗って恣意の他者と交換される事実性とは位相がことなる。その不愉快な口吻をめぐって、まずは、次のように言い募ることができよう。フランス人はそれが十八番である筈のイマジネール(想像力)がほんとうは極めて貧困ではないのか。フランス人のエスプリとかユーモアは所詮、全現実の重量を支える風ではないのではないか。そのことをそのまま話すというカスタムの弱点が、すべからく露出したのではないか。……」(「生成する「異語」をめぐって」宗近真一郎、『LEIDEN』1、2012・1) 〔書き出し部。〕
c「……原発について鳥瞰的に語られる中沢〈新一〉や内田〈樹〉の日本語は、実は、フランス人が津波に流されるオモチャについてお喋りするフランス語の背後にあるフランスの局地性に至近しているのである。/日本語であることにおいてフランス語であるという「異語」が現れる。日本語が言葉を失っていたとき、フランス性から跳ね返されて地震や原発を騎慢に語る言葉は日本語とは異なる。言語構成の本質において、それは「異語」なのである。3・11において、日本語はひととき日本語の形相を失った。3・11大震災の理不尽な揺らぎ、日本語の黙示のクラックから「異語」としての日本語=フランス語が生成した。/同じく、大震災からほどないタイミングで翻案された『思想としての3・11』の冒頭で、佐々木中は、まず、日本において一七世紀以降に起きた大地震の事例を地震の規模や死者の数を並べ立てながら、事実を列挙する言動を自省するしぐさを見せつつ、有史以来、二十万人以上の死者が出た地震は十数回起きていると述べ、今回の地震がonly oneではなく、one of themであるというクールな眼差しと距離感の確保とを提案する。直接的な経験をどこかで非中心化するバランスが確保されなければ被災からの復興が進捗しない、と。」(同、部分)
d「震災から六日経って、福島県在住の詩人和合亮一はツイッターを「拠点」として夥しい詩作を継続し、それを『詩の礫』、『詩ノ黙礼』、『詩の避遁』にまとめて、現代詩にしては異例なほど多数の読者を得た。読者の大半は晦渋な現代詩にはそもそも縁がなかった筈である。この二、三年、寡作になっていた和合は、震災による孤独と崩壊感覚とからもう一度詩を書こうという気持ちが励起し、ツイッターに「私は作品を修羅のように書きたいと思います」と書き込み、千単位で拡大するフォロワーの影に追われるように夢中で詩を書き続けた。/「一艘の帆船」「明けない夜は無い」から「一緒に未来を歩いていく」と書いて、和合はオートマティズムの大団円を描こうとしたように見える。ツイッターというメデイアは、恐らく、他者性の回路が一気に到達されるという誘惑において、「瞬間の王」を志向する表現者にとって危険な罠であるに違いない。何故なら、ツイッターはパロールだからである。パロールに表現的自我は痕跡を残しえない筈だからだ。/フランス文学ブロパーではないが、シュルレアリスムを志向して詩を書いてきたと言い、地震から六日後「修羅のように」ツイッター活動を開始する寸前に、独房で詩を書いていたエズラ・パウンドを想起していたという和合は、こんなふうに自らを描く。/〈自分というのが消えてしまって、言葉だけになっているような感覚がありました。「瓦礫のなかで言葉が立ち尽くしている」と書きましたが、まさにそういう感じで、ぼくはひとじゃなくて言葉そのものなんだと感じた。(中略)「無人」の状態、自分自身が無人状態で、言葉だけになっている。(中略)自分よりも画面の言葉が自分だという感覚〉。/「異語」は「主体」を構成したりはしない。逆に「異語」において「主体」は解消する。和合が語るようなエクスタシーは余りにも凡庸であり、表現意識のメルトダウンが懸念される。だが、問題は、次のような現象だ。先に、フランス語において表象される「もの・こと」と、日本語で語られるしかない出来事とが交差することはないというアンバランスにおいて世界風景はバランス(調和)すると述べた。そのバランスには表現と非表現とに亙る全現実の宿運が賭けられていい筈だが、和合は、自分を「異語」において「無人」にすると語りながら、実はそう語る「主体」を頑強に維持拡大しているということである。/つまり、世界風景のバランス(調和)のために沈黙するしかないという強度な母語的必然を覆すことによって、和合のツイッター(パロール)は例外的に「自我」の痕跡そのものとなり、それが日本語(=「自我」生成装置)における多くのフォロワーを得たのだ。詩を書いていて(何をしていても、であろうが)、余震によって何度も中断されるストレスについて彼は、〈詩を書いているから地震が起きてるんじゃないかって。それで地震とケンカをする。(中略)急に暴力的な表現が入ってきたりするんですね。詩を書くと地震が来る、だったら自分の詩のなかには悪魔がいるんじゃないか〉、そして、この内部の「悪魔」には決着がついていないと言う。「悪魔」は「自我」の言い換えであり、滅ぼされてはならない「普遍性」のように詩の中心に君臨してしまうのだ。……」(同) 〔すぐれた和合論。〕
e「放射能が降っているという現実の危機を前にしたとき「私の時計もあなたの時計も、1分だけ遅れている」。あるいは、日常生活のなかでその危機と向かい合うために使用されたマスクを確認したとき、「私の時計もあなたの時計も、1分だけ遅れている」。とくに、前者の「ならば」という仮定に対して、後者の「だから」という順接の接続詞は、当然のように時計が遅れざるをえないという含意を強調していることにも留意しよう。時計の針は、二時四十六分に止まったままなのであって、そこから新たに時を刻み始めたわけではない。詩人は「2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う」と語った。しかし、『詩の礫』において与えられた時間とは、二時四十六分以降の時間なのではない。それは「1分だけ」遅れた時間なのである。/また、この「1分」が、何に対しての一分なのかも考えてみる必要がある。それは、二時四十六分の一分前、すなわち東日本大震災発生前を意味しているのか。おそらく、そうではない。たしかに『詩の礫』には、二時四十六分という運命的な瞬間を経験してしまったがゆえに奪われた過去への追想が少なからず登場するし、それは感動的でもあるのだが、ここで語られている一分の遅れとは、その前に語られた放射能の危機という現実に対して、決して先へは進むことができなくなった時間のことを意味しているのではないだろうか。ここで、和合亮一が『詩の礫』を始めるに当って「死と滅亡とが傍らにある時を、言葉に残したい」と語っていたことを思い出しておこう。それは、表面的にどのような見かけを持っていたとしても、徹頭徹尾、カイロス的な運命的瞬間を生き抜こうとする詩群なのである。/おそらく、そうした『詩の礫』の本質と、ツイッターという発表形態とは、奇跡的なまでの適合性を持っていたように思われる。書き終えて送信したとたんに、ネット上にツイートが反映されるツイッターの即時性は、日常的な時間意識への亀裂としての瞬間を反映するものともなった。しかし、前回、語ったように、ツイッターで同時的に『詩の礫』を読んだときと、活字化されたときの印象とがまったく違ったのも事実であって、ツイッターでは、まったく異質で、こよなく詩的であったものが、雑誌なり書籍なりで活字化されたときには、パートによっては意外なほど散文的に、ときには散文としか思えなかったのも事実である。こうしたことが、なぜ起こるのかは、前回、説明したツイッターの特性によるものだと考えられるが、散文的なパ一トは被災地の現実を伝えるツイートに多く、それはそれでドキュメンタルな記録文学としての側面を担っているのだとも言えるだろう。ただし、『詩の礫』は、「メモを見ながらの即興」(四月九日)であることが作者自身によって明かされており、これまでの和合亮一の詩作が、これはわたしが本人から直接聞いた話なのだが、五十稿、場合によっては七十~八十稿もの推敲を経て決定稿に至ったものであることを考えるならば、詩人自身にとっても初めての試みであったわけで、意を尽くせないところもあったに違いない。しかし、それを拙速と見るのは愚かなことであって、人問は生きているかぎり、巧遅よりも拙速を求められることがある。そして、東日本大震災、そして福島第一原発の事故とは、まさにそうした瞬間ではなかったのか、/また、『詩の礫』に、いまだ充分に詩として練り上げられておらず、およそ散文的なパートが散見するということには、もうひとつの意味がある。それは『詩の礫』の作品言語のありかたそのものと関わっているのだが、次のような詩句が、そのことを明らかにすることになるだろう。
①眠る子のほっぺたをこっそりとなぞってみた
②美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった
③こんなことってあるのか比喩が死んでしまった
④無数の父はそれでも暗喩を生き抜くしかないのか 厳しい頬で歩き出して
『詩の礫』が始まった段階では、和合亮一は、まだツイッターの初心者であったため、詩とそれ以外のツイートの区別がされてはいなかったが、回を追うにしたがって次第に整理され、「前書」「後記」「覚書」「詩の礫通信」などに整理されていく。ところが、ここに引用した四連の詩は、三月二十日、いきなり連投され、そのあとで「詩の礫通信」、さらに「前書」がつづき本編が始まるという、特殊な形で発表された。しかも、これ以前のパートでは、詩行は必ず句読点を伴っていたのに、ここでは句読点が避けられ、それだけに、余白に異様な余韻をたたえている。句読点を伴わない詩行は、この四連のあとには、現われるようになるのだが、そうした意味でも、ここで引用した①から④が、特別な意味を担っていることは分かるだろう。/言うまでもなく、もっとも重要なのは③「比喩が死んでしまった」である。/なぜ、比喩が死んでしまったのか。……」(城戸朱理「無窮の問いへ――和合亮一『詩の礫』**」、『現代詩手帖』2012・2) 〔存在論的問い。〕
f(短歌年鑑その他から)
ライフライン皆無となれる町並は宙宇の果のごとき黒塊(佐藤通雅)
許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ(大口玲子)
花びらの零れ入りくる停止せしエスカレータを足上げて踏む(篠弘)
(理事会を終へたる後のパーティーは老いばかりにて一人が倒る)
みちのくのふかき青空 人は哭き牛はしづかに別れをしたり(小島ゆかり)
(あきかぜの辻堂は眼をつむる場所 地蔵も猫も足をそろへて)
うすみどりの気配に髪をまといつつ風に押されて歩く。君まで(立花開)
地動説を覚える前に見た筈の星の記憶を見つけだしたい(馬場めぐみ)
老残を引け目となして若すぎる死者の柩のあしもとにたつ(蒔田さくら子)
(とりかへしつかざるものの具体にて三月十一日以前の日常)
塩ふりて瓜の青一入冴ゆるとき強ひて思へり一生悔いなし(尾崎左永子)
携帯電話が突然地震を予告して路上に意志なくからだが動く(田中子之吉)
つなぐ掌の節固かりしを覚えておかむいつか会へなくなる日のために(志野暁子)
五色椿霜に傷むと傷まぬとしづかに花の咲きかはりゆく(石川不二子)
幾万の あなや 行旅死亡人 平成も、語り継ぐべき物語 なし(成瀬有)
子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え(俵万智)
ふと「死ね」と聞こえたようで聞きかえすおやすみなさいの電話の中に(雪舟えま)
ただよっているものどうしときどきはこん、とぶつかるここが海です(やすたけまり)
(せかいじゅうひとふでがきの風めぐるどこからはじめたっていいんだ)
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください(笹井宏之)
桟橋を驟雨が過ぎて………… 旅行鞄(トランク)の中ではインク壜が砕けて…………(石井辰彦)
g「親愛なる想像力よ、私がおまえのなかで何よりも愛しているのは、
おまえが容赦しないという点なのだ。
アンドレ.ブルトン「シュルレアリスム宣言」
ときおりこの言葉に立ち帰る。この言葉が創作の源泉となっている。そして、今、こう問いかけもする。
容赦ないのは、現実の方ではないか。
東日本大震災以降、現実の過酷さに限度がないことを思う。想像の余地を許さない事象の前に、立ちすくむ。当事者として歌うこと以外にないのではないか。では、当事者とは一体だれなのだ。
二日目になってようやく次々と歌がわき出す避難所の夜(仙台市 梅津シゲル)
指示があるまでは飲むなと言ひ含めヨウ化カリウム丸を配りぬ(いわき市 吉田健一)
ポリタンクやかん鍋びんゴミ袋給水受くる容器さまざま(郡山市 橋本英之)
瓦礫から泥と砂とが流れ出し四車線の国道赤くす(岩手県 奈瀬まゆみ)
簡単に避難というが故郷は家は仕事は自分そのもの(春日部市 宮代康志)
今年の毎日歌壇から引いた。短歌は、今起こっている現実を人間の不安や恐れとともに記録する。容赦ない現実に耐えるため作品は存在する。
まずは、作者がどこに居るのか、注目して読む。宮城県、福島県、岩手県在住となると当事者の歌として享受する。実際の経験を歌っていると想定するのだ。そのことへの信頼が根底にあると言ってよい。
しかし、実際の経験の有無で線引きをする必要はあるまい。埼玉県春日部市の宮代康志の作品が語っている。避難は人間のアイデンティティーを奪うことだと歌う。震災を白分の問題として受け止め、歌うとき、その人は当事者なのである。その源泉にあるのが想像力であることは言うまでもない。想像力は、直接的な体験を超える」。(加藤治郎「想像力の回復を」『短歌年鑑』2011・12・7)
h「しかし、俳句は、相変わらず時代や時事には向かない詩形だとの声もあちこちから聞こえてもいる。詩形の短さや季語の制約ゆえの限界が問われるのだ。宮城の地元で過日行われた小池光、佐藤通雅、梶原さい子の歌人の公開鼎談でもそうであった。タイトルは「震災詠について~ことばに何ができたか~」。これは高校生を対象とした催しだから、目くじらを立てることもない、いや、若者向けの話ゆえ問題なのだとのジレンマのうちに聞いていた。まして、話がおおむね正鵠を射ているから、なお始末に負えない。しかし、最後に小池光がこう付け加えた。/『季語を持つ俳句が、今度の大震災を詠うことができるとすれば、ある程度時間が過ぎたこれからだろう』。これを俳人は心に止めておくべき言だろう。もう誰も昨日の世界へは後戻りはできないのである。歴史も自然も、そして、人間の在り方も、昨日までの世界観は崩壊したこれからを歩まねばならないのだ。その俳句のあり方が、今一人一人に問われている。正念場はこれからである。」(髙野ムツオ「無名の力」『俳句年鑑』2011・12・7)
(髙野所引)河北新報
震災後また朝が来て囀れる(佐々木智子)
泣きはらす子にひかりあれ卒業歌(上郡長彦)
避難所の毛布に眠る赤子かな(條川祐男)
(同)復興支援俳句コンクール
泥の遺影泥の卒業証書かな(曽根新五郎)
春の海ただ一揺れで死者の海(泉天鼓)
草笛よ卒業式は海の中(高橋きよ子)
*
夏雲や生き残るとは生きること(佐々木達也、俳句甲子園)
さわ先生カニに変身あいに来た(せとひろし、東松島市〈四歳児〉)
i(俳句年鑑ほか)
それでも微笑む被災の人たちに飛雪(金子兜太)
あぢさゐや哀歓はもう口にせず(鷹羽狩行)
見覚えの雛がぽつんと瓦礫山(菊田一平)
靴紐の端踊り出す春野かな(山崎千枝子)
芹摘みて男なんかと思うに至る(鳴戸奈菜)
葦牙(あしかび)のごとくふたたび国興れ(長谷川櫂)
百骸の愚かなる身の暑かりき(佐々木六戈)
夏萩やそこから先は潮浸し(友岡子郷)
舟虫やはらわた抜けし家ばかり(小川軽舟)
プール出る老人水を曳きずりぬ(八田木枯)
逝きし子の花飾りある夏帽子(佐々木妙)
歓声や春夜を破る無事の声(若木ふじを)
福島の桃がんばって上京す(稲村ツネ)
満天の星凍りても生きており(森村誠一)
双子なら同じ死顔桃の花(照井翠)
なぜ生きるこれだけ神に叱られて(同)
Autumn dusk/I stir my coffee/anticlockwise (Chen-ou Liu カナダ)
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る(俳コレ、福田若之)
さくら、ひら つながりのよわいぼくたち(同)
バレンタインデイか海驢の手パタパタ(同、野口る理)
鷹去つて双眼鏡のがらんどう(同、小野あらた)
たんぽぽのどこかみだらな踏まれやう(同、松本てふこ)
遠雷や大音響の貨物船(清水昶)
J
現代詩 | 短 歌 | 俳句 | |
定型詩か | × | ○ | ○ |
音数律か | × | ○ | × |
(自由詩か | ○ | × | ○ ) |
口語詩か | ○ | △ | △ |
日本語か | × | ○ | △ |
k(附載1)
みなみ風吹く日(南相馬市 若松丈太郎)
1
岸づたいに吹く
南からの風がここちよい
沖あいに波を待つサーフアーたちの頭が見えかくれしている
福島県原町市北泉海岸
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
チェルノブイリ事故直後に住民十三万五千人が緊急避難したエリアの内側
たとえば
一九七八年六月
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町南棚塩
舛倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの花びらにピンク色の斑点があらわれた
けれど
原発操業との有意性は認められないとされた
たとえば
一九八○年一月報告
福島第一原子力発電所一号炉南放水口から八百メートル
海岸土砂 ホッキ貝 オカメブンブクからコバルト60を検出
たとえば
一九八○年六月採取
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町幾世橋
小学校校庭の空気中からコバルト60検出
……(中略)
みなみ風吹く日
2
一九七八年十一月二日
チェルノブイリ事故の八年まえ
福島第一原子力発電所三号炉
圧力容器の水圧試験中に制御棒五本脱落
日本最初の臨界状態が七時問三十分もつづく
東京電力は二十九年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく認める
あるいは
一九八四年十月二十一日
佃島第一原子力発電所二号炉
原子炉の圧力負荷試験中に臨界状態のため緊急停止
束京電力は二十三年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく認める
制御棒脱落事故はほかにも
一九七九年二月十二臼福島第一原子力発電所五号炉
一九八○年九月十日福島第一原子力発電所二号炉
一九九三年六月十五日福島第二原了力発電所三号炉
一九九八年二月二十二日福島第一原子力発電所四号炉
などなど二〇〇七年三月まで隠蔽ののち
福島第一原子力発電所から南南西へはるか二百キロ余
束京都千代田区大手町
経団連ビル内の電気事業連合会ではじめてあかす
二〇〇七年十一月
福直第一原子力発電所から北へ二十五キロ
福島県南相馬市北泉海岸
サーファーの姿もフエリーの形もない
世界の音は絶え
南からの風が肌にまとう
われわれが視ているものはなにか
(『北緯37度25分の風とカナリア』弦書房、二〇一〇)