これ以上澄みなば水の傷つかむ 五千石
第三句集『風景』所収。昭和五十五年作。
『風景』(*1)は、昭和五十三年より昭和五十七年まで、四十五歳から四十九歳までの作品326句を収録する第三句集。
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前回、五千石は俳人協会新人賞受賞後スランプに陥り、その後山歩きをはじめ、徐々にスランプを克服してゆき、昭和五十年には主宰誌「畦」を創刊したことは書いた。
第二句集『森林』の収録句数が254であるのに対し、第三句集『風景』は326句を収録しており、「畦」の発表句を含め、落ちついた作句活動を安定的にしていた時期といえるかもしれない。
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掲句は「澄みなば水の」と季語を崩して使っており、順接の仮定条件の形で「水澄む」が出来あがっている。いかにも五千石らしい、ナイーブな感情をものに託してストレートに詠った、五千石の代表句のひとつである。
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ところで、『風景』のこの句の前に置かれた句は
紅葉照る双つ泉を姉妹とも 五千石
であり、この句には「北軽井沢 二句」と前書きがある。つまり、掲出の「これ以上」の句も、北軽井沢で詠まれたものということになる。
また「畦」昭和五十五年十一月号には、同じく「北軽井沢」と前書きの、次の句が残る。
水の脉闇にひびかし冬そこに 五千石
これらのことから、北軽井沢の紅葉の頃、おそらくは十月後半頃の、双子の泉か沼や池での作と推察できる。「水澄む」の季語の季感は九月というのが一般的かと思うが、十月の、冬を間近に感じる頃の写生と思うと、「これ以上」澄めば、という措辞も大いに頷けるところである。
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なお、北軽井沢付近の双子の泉、または池や沼を探してみたがどうも見つからない。佐久市の西側、八ヶ岳湖沼群に「双子池」というのが見つかったが、北軽井沢からは離れすぎというのは否めない。やはり北軽井沢辺りに姉妹のような、名も無い小さな泉が存在するのかもしれない。
ともかくも、「水澄む」の句として口ずさみ続けたい一句である。