「わたくしごと」と「私性」 山田耕司
エストラゴン 夢では幸福だったのに。
ヴラジーミル いい暇つぶしだったな。
サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」
安堂信也 高橋康也 訳 より
未曾有の事態である。
未曾有の事態を前に、人は何を為しうるのか。
『夢幻航海』第76号(印行/平成23年5月1日・編集発行人/岩片仁次)編集後記より。
■いつであったか、飯島晴子が「俳句ってこんなにお金になるの」と言ったという。多分、俳壇に新聞社の俳句営業誌が濫入して来た頃の事であろう。新聞社は俳句出版社に比較すると何倍もの稿料を払うようである。震災後、読売新聞には長谷川櫂の「震災をよむ」と題する連載が行われた(文化欄)。地震を材とした俳句・短歌を文中に折り込み、また関連した自作の句も披露していた。これが地震・津波・原発により被災した人々の慰めや支えになるのかどうかは、私には判らないが、おそらく殆んど無力、あるいは無縁なもののような気がする。■被災地のある集落には、石碑が建っていたそうである。「此処より下に家を建てるな」という趣旨の文字が刻んであった。百年程も前の大津波を経験した篤志家が建てた。此の集落は先人の教えに従い津波による流失を免れたという。長谷川櫂は多分、前記の連載によって相応の稿料を得たであろう。それにより今回の各地の津波の限界線に、碑を建てたら如何であろう。「大津波これより先は海晒し」とでも。俳人長谷川櫂の作品は後世殆んど俳句史に残らないだろうが、これによって名を遺し得る事になろうとも思う。災害に対し俳人は殆んど無力であるが、それはささやかな奉仕となる筈である。(後略)
なるほど、句碑とはいったい何のためにあるのか、いまひとつ解せないところがあったが、こういう役割もあったか。俳人が社会に対して役に立つ具体的なことがらとしては、わかりやすい。まあ、これは俳人が、というよりは、社会人が、という読み替えをすべきか。(作品の内容を置き去りにしたまま、たんに行為において評価が変化する、そんなヤワな「表現の世界」を前提にしたくはない。したくはないが、その気持ちは気持ちとして、ヤワであることを想定の範囲に入れた上で注視しなければならない、ですよね。)
さて、長谷川櫂の作品が後世に残るか否か、それはわからない。俳句がお金になるというのも山田にはよくわからないところである。また、金銭を得たことに対する責めが岩片の文の本意ではなかろう。
つまりは「災害に対して俳人は殆ど無力である」ということ。ここに山田が口を差しはさむとすれば、「現実に対して俳人は殆ど無力である」という意が、この言葉の根底に含まれている。いいかえれば俳人に出来ることは「俳句を書くこと」以外の何ものでもなく、問題は、いかに書くか、ということにかかっているのである。ガイドラインとすれば、これは「表現」。「行為」と「表現」というカタチで仮に区分しておこうか。
読売新聞朝刊2面の連載「四季」を執筆する俳人・長谷川櫂さんが代表を務めるNPO法人「季語と歳時記の会」は、東日本巨大地震で被災した方々を励ます俳句、短歌を募集している。
同法人のホームページ内にある季語歳ブログ(http://kigosai.sub.jp/002)で書き込むことができ、ブログ内に掲載される。また、優れた作品については、長谷川さんが「四季」欄で紹介する予定。他媒体との二重投稿は禁止する。
さて、困った。こうして新聞で「被災した方々を励ます俳句、短歌を募集している。」となると、話が少しややこしくなってくる。
長谷川櫂が、自らの責任において古今の作品にコメントしたり自作を発表したりする分においては、「そうしたいんだろうなぁ」ということで、ことの是非はさておき、なんとか見ないようにしていられるのだが、こうなると話は違う。
現在(2011/04/24)において、「季語と歳時記の会」の該当ページにはこのような記載。
たくさんの俳句、短歌、詩をお送りいただき、ありがとうございます。来たる4月10日(日)までにお送りいただいて掲載された分をまとめて小冊子『大震災をよむ』を制作することになりました。希望者には1部1,000円(送料込み)でお分けしますので下記の「申し込み」から季語歳事務局へお申し込みください。1部につき500円を大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付します。
被災された方には無料でお送りしますので、下記の「申し込み」から事務局へ申し込んでください。発行部数が少ないため、おひとり1部にかぎらせていただきす。なお、編集にあたっては、すべての作品を掲載する方針ですが、掲載できない作品もあります。ご了承ください。(事務局)
大震災を材にして詠む、それを「困った」と思うのではない。
人には「やむにやまれず」という思いあり。共時的に見聞したことのあまりの事態にまさに共振し、何かせずにはいられない、という思いから、何かをしてしまうことも。それが俳句や短歌を作ることに向かうこともあるだろう。
こうした「やむにやまれず」を、偽善だ、と批判するのは的外れである。そこを封じてはいけない。
しかし、それを公的な(新聞で募集することを公的だということに異論あることを覚悟の上であえていえば)場で、「被災した方々を励ます」という目的を提示して、「募集」してしまった。
「やむにやまれぬ」思いとは、まことに人の感情から沸き上がるものであり、あくまで「わたくしごと」に属するもの。
「わたくしごと」が、表現として成立するためには、言語への技術や方法意識などによる「作家の内面の客体化」のような作用も求められるし、第一「わたしはこんなつもりで作りました」という「わたしらしさ」などをうち棄ててくる覚悟が重要である、というのが山田の姿勢。
その姿勢をもとにいわせていただければ、「季語と歳時記の会」の取り組みは、行為としてはさておき、表現の問題とすれば、かなり「困った」ことなのである。やむにやまれぬ思いの言葉に「ヘタ」などと批評するのは許されない、というような空気が出来てしまうこと、いかえれば読者の言語技術の前に行為の「ただしさ」なるものがたちはだかる感覚が、表現の世界にはイタい現象なのである。作る行為に表現への内省を求めず、読者たちに表現として読むこと以外の配慮を求めるプロジェクトのイタさ、そこに「わたくしごと」への熱意を公的なものが利用してしまう愚かさが加わる。
繰り返すが、この試みに作品を投じた方々のやむにやまれぬ思いを非難するにあらず。作品は「被災者のため」などという他のためではなく、自分のためにこそ詠め、という意見もあるようだが、その指摘も適切ではない。あらかじめ、自らの思いをもてあましやむにやまれず作品化するとしたら、それこそ自分のためであろうし、仮に「いいことをした」という気持ちになるために詠むとしてもそれが個人の営み=「わたくしごと」であるかぎりにおいては、外野がなにやかやという筋合いではない。むしろ、作者の行動を、「こうあるべきだ」「こうするなかれ」と律するような姿勢には、表現の世界ではなく、俳壇社会におけるマナー指導的な匂いを感じてしまい、山田としてはうんざりする。
基本的に、作者の動機は「わたくしごと」における範囲では、何人もこれに口出しすべきではないのである。ただし、その作品が表現として作者の手を離れることを前提とした場合には、「わたくしごと」を情状酌量せずにいかに表現を目指すか、という姿勢が求められる。その姿勢のことを、あるいは「方法」と呼ぶのかもしれない。
「・・・もっと〈言葉〉を、もっと〈技術〉を、もっと〈方法〉を・・・(略)」
攝津幸彦『鸚鵡集』あとがきより
仮に、長谷川櫂が、震災作品を募集し添削指導した上で、自らの方法なるところを明示したならば、そりゃ震災を利用するなと憤慨なさる方が出てくることは想像に難くはないが、むしろその覚悟をうち示す結果になったかもしれない。しかし、冊子の頒布と購入金額からの義援金拠出という方向でことをおさめつつ、〈なお、編集にあたっては、すべての作品を掲載する方針ですが、掲載できない作品もあります。ご了承ください。〉と、作品選別をうたうのは、なにやら弛緩した状況を感じずにはいられない。そうなのだ、「わたくしごと」を公のもとに出してしまうシステムにおいて、表現として取り扱わず行為として扱うためには、こうした弛緩が前提となるのであろう。すくなくとも、攝津幸彦が渇望するような表現の舞台は、ここには無い。
近刊。
島田牙城『誤植』。
家族を詠み、おのれを詠んではいるが、「わたくしごと」の報告という気配が希薄。自らを縛りいましめるものは、形式、表記、彼の場合には、加えて、本づくりの上での条件。「制約」、それこそが「わたくしごと」から作者を分離してくれるガイドなのかもしれず。
黄落のさしづめ妻でありにけり
妻の寝息は寒垢離の経のごと
朧よなあ妻くノ一のごとく寝ね
変容する妻。
この「妻」は、季語と「喩」で切り結ばれ、季語の汎用性の高さに引きずられるように実在の特定の人であることから変容し始める。
季語の有無が俳句の条件ではない。季語をはたらかせる、つまり制約を活かしていることが俳句には求められるところなのである、と、仮定して見ると、『誤植』は季語を「わたくしごと」から去るための契機として働かせている、と見えるのである。
制約とは、わたし自身の日常から解放される契機であるかもしれないし、世間の約束事と一線を画そうとする精神の領域への道標かもしれない。
その意味合いを定義し、限定しても虚しい。いいじゃないか、そこんところは制作上の機密ということにしておこう。
作者が俳句を通じて何を望み、手に入れたか、なんてことは放っておこうじゃないか。それよりも、いかに書いたか、ということのみが俳句の成果として問われるべきであろうし、そういう視点の読者を内在させ、あるいは想定してこそ、作者の中に「方法」が生まれようというものであろう。
なお、本書に関しての句を掲げての評は週刊俳句をご覧あれかし。
樋口由起子『川柳×薔薇』
評論集。川柳作家である樋口が自在なまなざしで川柳作品、俳句作品を語り解いてゆく。
第一章の〈川柳における「私性」について〉より引用。
私性と言えば、現実の私がいる、その現実の「私」の思いを書いたものだと思われがちであるがそうではない。経験や感情などが具体的にわからないもの、抽象的なもの、先天的に抱え込んでいるものなど、もともと自分の内側にぼんやりと広がっている世界、それらを根っこに表現したものも「私性」である。また、作者の「私」と作品の「私」を同一視する必要もない。川柳を読むとは書き手の状況、立場や個人的な思いを知ることではなく、共感できたから理解できたからと評価すべきものでもない。思いを絶対化し、取り込まれ、こだわっていくと言葉のおもしろさを見つけ出すことができなくなり、書かれている内容、話の筋に興味を持つと、言葉の向こうにある気配が得られにくくなる。一句の価値は作品以前の事実に感動するのではなく、現実の作者の「私」ではなく、事実であるかどうかとは別の次元での、作品の中にある「私」を知ることにある。
川柳は5W1H(いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように)の情報が求められてしまう。それらが欠落したら、作品が理解できない、難解であると切り捨てられることがある。現実そのものを虚ろにし、あるいは嘘を前提として書くことがなかなか理解されにくい。大塚英志のいう「まんが・アニメ的リアリズム」、漫画やアニメに描かれるようなキャラクターを登場させての「私」は論外で、作りこまれた設定の「私」は受けつけない。虚構におけるキャラクターの存在はなかなか認められにくいのが現状である。しかし、それらは川柳の閉塞性をますます強め、「私性」を狭義なものにしてしまう要因でもある。「言葉は話し手・書き手の側にあるのではなく、言語そのものに客観的に存在する」(三浦つとむ『日本語とはどういう言語か』)。
「私」の思いを書くという殻を言葉で破り、「私性」を言葉でもっと開拓していけば、もっと多種多様な川柳が生まれ、川柳はもっと魅力ある活気のある場になっていく。言葉を生かせば、思いに縛られた「私」ではなく、もっと自由な「私」を出現させることができる。出来事を持たない、どうってことない「私」でも、言葉そのものには存在があり、意味を上回る動きをするので、どのような「私」も書いていくことができる。川柳はさまざまな角度から、個人の「私」のおもしろさを生み出せる文芸であり、それらを明確にして世界と関係付け、対峙できるところに醍醐味があり、表現としての川柳の「私性」が成立する。
〈嘘を前提として書くことがなかなか理解されにくい〉のが、川柳だけの問題であるという点は首肯すべからざるところではあるが、リアルな社会に生きる作者の「わたくしごと」が再現されていると期待されていること、そして「あ〜ね〜、あるある!」と読者が膝を叩けるような内容が求められていることは、推測に難くない。そういう状況であるにもかかわらず、いや、であるからこそ、提言される「私性」という立ち姿。過去からの「そもそもね」という前置きで始まる形式論ではなく、現在の形式と現在の私との距離の取り方、その志向。
2011年3月に発生したのは未曾有の事態である。
その未来、その範囲すらつかまえようのない事態である。
そのなかで、私たちは、われのやむにやまれぬ感情をもって是とし、「わたくしごと」のやりとりにおいて、表現の世界を平準化し弛緩させかねないフチにいるのかもしれない。
そうしたなかでの、表現形式と「私」との距離を測り直そうという提案は、いまさらながらひとしお沁み入るところでもある。
大きな変化の中で、作品の書き手として読み手として、私たちは、いったい何に覚め、何を夢見続けるのだろうか。
執筆者紹介
山田耕司(やまだ・こうじ)
1967年1月生。群馬県立桐生高校在学中、俳句研究五〇句競作佳作第二席(昭和59年/1984年・11月号)。
俳句同人誌「未定」を経て、現在「円錐」同人。句集『大風呂敷』(大風呂敷出版局)『超新撰21』(邑書林)。
群馬県桐生市在住。