俳句時評 第54回 山田耕司

ふたりの加藤 

加藤郁乎が亡くなった。

ともあれ、詩人本人の死を待つまでもなく、「加藤郁乎は死んでいた」。

加藤郁乎の作品が消え去ったという意味ではない。

むしろ、作品は「情報」として生き残り、作家は「俳句史」なるものに見出し語として位置付けられ、つまり総じて時代の一部として取り扱われてきた。

ちなみに、取り扱いにくい現象を取り扱い可能にするための装置として「時代」や「世代」という受け皿を駆使したうえ、分類して棚に収めることをもって批評とするのは、昨今に始まったことではない。その「批評」の言葉は、おおむね現代の表現者が通史に対して無自覚であることへの警鐘をならすことをもっぱらなる結論とするようだが、その鐘の音はどこか虚しい。表現、特に詩歌作品を時代や世代の証言者のように扱うのは、固定された時間の中に作品の運動を限定化する行為でもある。そんなツマラナイ鑑賞しかできないのだとしたら、その評者に警鐘などを鳴らされても「ああ、またか」と思うばかりである。

「加藤郁乎」の面白さは、表現することそのものを目的として、ズバリと言葉の実物を出してくるところにある。俳句を「通じて」何かを表現することを目的としない。言葉の連なりが、境涯的な感得事項や社会批判のための代用物としての働きを持つことを拒絶する。

実のところ、そうした面白さがあらわれている加藤郁乎の句集は限られている。

神棚に上げるにせよ地に落とすにせよ、後の評者が通史に位置付けるべく固定的な時間概念を用いて情報化する。その営為のみならず、加藤郁乎本人が、「加藤郁乎」的な面白さを裏切るような著作を重ねたこともある。「粋」という価値観を初期の作品と通底させる考え方もあろうが、ともあれ、江戸俳諧への深い造詣を背景にした現代の俳壇への警句めいた作品群は、「加藤郁乎」的なるものと不連続にして、かつ、先行する作品群の魅力と相反する作用を持つように見える。

そうした意味において「加藤郁乎は死んでいた」と思えるのである。

亡くなった詩人には哀悼の意を表し、さて、作品には「死んでいる場合ではない」とばかりに、これを契機に声を掛けるにあたり、復活の司祭を澁澤龍彦につとめてもらうことにしよう。

句集『えくとぷらすま』(1974年10月1日発行 発行所 西澤書店)に添えられている別冊、「言葉の殺戮者 加藤郁乎試論」より。

ここで、わたし自身の詩に対する信仰告白を述べることを許してもらえば、わたしは正統のポエジーというものをほとんど信じていないのである。イメージ過剰なあらゆる正統な詩には、どこか浪花節的なところ(「荒地」グループの詩作品を見よ)があり、また、どこか舌足らずな中学生的なところ(例をあげては失礼に当たるが、仮に飯島耕一氏の名をあげておこう。むろん、この浪花節的、中学生的という気ままに選んだ形容語に、それ自体としての貶下的な意味をこめて言っているのではないから、御諒承願いたい)がある。

ところで、fausse poesie (邪な詩)には、言葉から可能な限りイメージを追放することによって成立する一つの逆説的な審美学がある。(中略)

加藤郁乎は躊躇するところなく、イメージを犠牲にする方を選ぶ。言葉が指示する対象を追放して、想像界を救うのである。それは言葉に、いわば物質的な堅固な鎧を着せることを意味する。

「加藤郁乎」を俳人として世代や時代に固定するどころか、詩表現全体を見渡したところから、その特徴を見あらわす。そうした視点にこそ、「加藤郁乎」は復活する。

ともあれ、澁澤龍彦が審美性を見届ける加藤郁乎の句がいかなるものかを挙げておこう。

天鵞絨の契りカザノヴァ家の遠乗り
家系樹を蹈める亜爾箇児の脚韻
遺書にして艶文、王位継承その他無し

さて、澁澤龍彦の文章はこのように続く

俳句も含めて、現代詩の趨勢は、愚かしくも、イメージの過信というところに来ているように思われる。しかし、無限に膨張するイメージの肯定のみが、詩人にとっての金科玉条ではあり得まい。イメージの追放、言葉の殺戮によって促進されるイメージの収縮に、その詩的宇宙の統一の方法を賭けた詩人があらわれたとしても、決して悪いことはあるまい。この反時代的な決意は、加藤郁乎の場合、まことに爽やかである。

この場合の「イメージ」について、澁澤龍彦はこう定義している。

言葉が指示する対象を引き寄せるのが、イメージのはたらきである。闘技者としての詩人は、言葉を挑発し、言葉を刺激して、あたかも物質をエネルギーに変化せしめるように、これをイメージという代謝性のある効果にまで高めなければならない。言葉は石のように冷たく堅固であってはならず、常に熱っぽい輻射エネルギーを発散しうる状態でなければならない。これが正統な近代以後の詩人にとっての当然の要請であろう。

こうした「輻射エネルギー」を嫌い、こうした「猥雑」で「俗悪」で「不透明」かつ「もやもやした熱気」に言葉を包んでおくことに堪えられないのが「加藤郁乎」であるということなのだ。

してみると、「イメージへの過信」とは、対象への過剰な思い入れを持つことによって、言葉が<実力以上に>イメージを生み出すのを自明とすること、といってもよいのかもしれない。

いきおい、<言葉そのものが相互にいかなる作用を持ちながら構成されているか>などは検証されることが少なくなり、例えば「社会的な情報の共有」や「人間としての感情の類型化」など<言葉以外のところでの共感>を持ち合うことの方に心が砕かれるようになる、というのが、「イメージの過信」が横たわる世界の常態として想定されるところ。

こんな環境は、1970年代に限定されることではあるまい。

長谷川櫂の『震災句集』に対して、「思いが足りない」「詠む資格が無い」という批判が巻き起こるのだとしたら、それこそが「イメージの過信」の土壌と地続きなのではあるまいか。俳句によって何かを伝え、俳句が何かの役に立つはずだ、と考えることは、同時に、詩歌における言葉そのものの可能性を限定することにもつながりうるだろう。それは、『震災句集』に対して、たとえば「ヘタクソ」と言いのける視座のほうが、詩歌としての自律をうながすことになる、ということでもある。

震災以降の俳句批評において「加藤郁乎は死んでいる」状態であったように思われるが、皮肉にも、詩人の死が「加藤郁乎」的な方法の再検証の契機となり、それこそが現代を見通す上で求められる視座だったと認めることにつながるならば、俳句史的な位置づけではなく現代における表現の可能性として「加藤郁乎」は復活することだろう。

近刊。

こちらも「加藤」。

歌集「しんきろう」(2012年4月29日発行 砂子屋書房)は、加藤治郎の第8歌集。

2008年1月から2012年1月にかけて発表された437首が収録されている。Ⅲ部構成。

Ⅰ 部では「早期退職」について。Ⅱ 部は東京と名古屋の往復の日々、そして東京での東日本大震災の遭遇。 Ⅲ 部は「高層ビルの無防備さ、通信の遮断、交通麻痺、帰宅困難、停電、食料不足、放射能汚染など首都崩壊の危機を垣間見た。あまりにも脆いのだ。(「あとがき」より)」とある。

世界に向かい合う上で、嘆こうとか称えようとか、そんな心の方向が定められてはいない。むしろ、そうしたあらかじめの重たさをもたないでいることを視界とする、そんな軽さ。

職業的な異動や健康への慮り、また東京という環境や東日本大震災とその後の災害への戸惑い、そんないきさつもあって、歌集全体を通じて「疎外感」のようなテイストがただよう。ともあれ、そうした姿勢は、社会を告発するような「公」のおもむきではなく、とはいえ、内面の一貫した感情を柱とする近代的な個人としての「私」を刻み込むようなおもむきでもない。「浪花節」にしても「中学生」にしても、そのいずれもがあてはまるようでいて、その実、それらよりもさらに淡くて、かつ、日常的である。

消しゴムの角が尖っていることの気持ちがよくてきさまから死ね   「日蝕」
見切られた後の余白に耐えながら赤茄子汁を啜るわたくし
水色の枕カバーをはずしたりどろりと肉のようなものあり   「花野」
しんきろう、特選、佳作、選外と応募葉書を分類すわれは
ひまわりのがばりと垂れてめちゃくちゃな方角に飛ぶぼくのおしっこ   「しんきろう」
お友だちではありませんかと見知らぬひとを示されてわたくしは、雨   「Unknown」
ポケットに手を突っ込めば丸まったハンカチがある きみと話したい   「或る寒い日に」

「イメージの過信」から脱出するのに、加藤郁乎は言葉を「殺戮」した。

一方、対象とする世界へのエネルギーが過剰に高まりすぎる前に言葉として放出してしまう、そのための装置として定型をもてなしているようにも見えるのが、加藤治郎。

形式も時代も個性も異なるものの、みずからの営みとして言葉とイメージの関係をどのように捉え直すかという内省への視座として、わが思う「ふたりの加藤」。

ともあれ。

「無限に膨張するイメージの肯定」

それはそうそう終息するはずも無く。形式に蓄積されてきたイメージを「消費」しつつ、それを「伝統」と呼んでいるうちは、ことさらに。

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