神野紗希句集『光まみれの蜂』、堀本裕樹『十七音の海』、など
俳壇・俳句コミュニティではとっくに評判が出きった頃かもしれませんが……、遅ればせながら、神野紗希句集『光まみれの蜂』(角川書店)を読みました。箱入りの軽やかで、きれいな句集。箱から出して手にもつと、やわらかい表紙がしっとり手に馴染んでいい感じ。そして、装丁のいい句集は中のフォントやフォントサイズも絶妙なんですよねえ。いいなあ。個人的に、集中いちばん気になった句は、
凍星や永久に前進する玩具
「永久に前進する玩具」が何を指すかはいくつも読みが可能な気がしますが、季語がべったりにならず乾いた表現になっていて、解釈しなくとも楽しめる句だと思います。一種、SF調といったところもありますね。他にも
草原を跳ねゆく兎人間以後
星の砂又は小鳥の首の骨
人類以後コインロッカーに降る雪
ある星の末期の光来つつあり
老いてゆく宇宙 鹿の眼黒く澄む
なんかに、「日本のすばらしい文化、季語・俳句」といったベタベタした「自然=俳句」観から切れた視野が見られて、近代俳句の強い部分をしっかり引いている、珍しい句柄なんではないかと思いました。他、よいなと思った句。
天道虫死んではみ出たままの翅
樹の刺繍学芸員の膝掛けに
「角を曲がればミモザが見えるそこの二階」
蟻の列桃潰えたるところより
現代詩・紫雲英・眩暈・原子力
句集の最初に収められている高校生時代の俳句からすっかり完成したスタイルを見せていますが、後半になって出てくる危ういところへ遊んだ句にも好句が多いと思いました。
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こちらもちょっと前から気になってたんで……、堀本裕樹『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』(カンゼン)を買ってみました。「第一章 「共感力」を養う」「第二章 「季語」の豊かさに触れる」「第三章 言葉の「技」を身につける」「第四章 覚えておきたい俳句」の四章構成。共感→季語→切れなどのテクニック+α、という、オーソドックスといえば「超」が幾つもつくぐらいのオーソドックスな内容。どこか、教科書といった風情。もうちょっとびっくりさせてもらいたかったな、というのは、こちらの勝手な期待で、マーケティングの対象がはっきりしている、その意味ではよく出来た本でしょう。何よりも、情報の削り方がよい感じです。
構成はこれもオーソドックスに一句に鑑賞文(鑑賞文中に同じ作者の数句)、というかたち。すっげえ読みだ!と盛り上がるところは余りありませんが、フムフムという感心はそこかしこに。作者の伝記的情報のさじ加減がうまく、ヘタに作品中心で読み解こうとしたりするより、このほうがすっきりするんだなと納得。鑑賞はぜんたいに、本の第一章が「共感力」にあてられている通り、「共感力」が前面に出ています。たまに共感がオーバーランしているように見える所もあって、例えば、「黒人と踊る手さきや散るさくら 鈴木しづ子」の鑑賞で、
私は黒人のジャズメンと握手したことがありますが、掌は桃色でした。作者も、そんな美しい桃色を「踊る手さき」に見てとったのでしょう。「や」の切字のあと、「散るさくら」という季語を置いていますが、黒人のひらひら舞う「踊る手さき」に、「散るさくら」のイメージを重ね合わせたのが、優美でありどこか悲しみが滲んでいるようにも見えます。
というのは、「黒人と」と句が言っている以上、誤読だろうと思われます。「黒人〈と〉踊る手さき」なのですから、これはガタイのでかい黒人の周りでひらひらする自分の小さな手が「散るさくら」というのが妥当でしょう。でも、こちらの「正読」のほうがつまらない気もするんで、まあ、何というか、創造的誤読に騙されていたらよかった気もしますが(苦笑)。
「ずぶぬれて犬ころ 住宅顕信」について、
雨に濡れそぼった子犬をぽんと放り投げるように言葉にしただけです。季語もありません。しかし、孤独感がにじみ出ています。
というのも、ちょっとなあ、という気がします。確かに「季語はありません」が、「ぽんと放り投げるように」っていうには、この句はクドいっちゃクドくありませんか? ぽんと放り投げるように言葉にしたら、「雨にぬれた犬」でしょう。「ずぶぬれて犬ころ」で、下線部は、もう「孤独感」をこれでもかと押しつけてくる表現であって、それが成功しているところに味があるんでは? 自由律俳句はそもそもが共感力がない人間も感応するようにできているところが強みなんですから。「ぽんと放り出す」は、「天道虫死んではみ出たままの翅 神野紗希」のように、定型俳句の強みではないかしら。
「先人は必死に春を惜しみけり 相生垣瓜人」の句の鑑賞
「昔の人は、必死になって春を惜しんでいるなあ」と、ユーモアと皮肉混じりにつぶやいているのですね。
は、逆に「共感力」が足りないか。芭蕉らのように「必死に春を惜し」めないことへの口惜しさ、を読まないと、この句を読んだことにならんのではないかなあ。と、何だかんだと突っ込みながら、結局楽しんで読ませてもらってますね。これも著者にのせられているのでしょうか(笑)。
ともあれ、上のような突っ込みどころも、著者の方向性がはっきりしていることの裏を返しかと感じられます。正解しか書いていなくてつまんない、よりはよっぽど面白いかと。この本の「引き」で俳句を始める人は結構いてもよさそうに思いました。
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ついでに、といっては何ですけれども……、アメリカから、David G. Lanoue, Frog Poet (Red Moon Press)を送っていただきました。ラヌー(Lanoue)さんはアメリカの著名俳人で、小林一茶研究家・訳者(ウェブサイトhttp://haikuguy.com/issa/ )で、一茶訳のアーカイヴが公開されています。日本も含めて、世界一のネット上の一茶アーカイヴかも知れません)、また、「ハイク小説 haiku novel」作家。「ハイク小説 haiku novel」とは何ぞや、となるかもしれませんが、俳句をちらほらと織り交ぜた、フィクション版俳文と思っていただければよいです。拙訳の『ハイク・ガイ』(三和書籍)が日本語でも読めますので、興味がある方はどうぞ。で、Frog Poet は「ハイク小説」四冊目。『ハイク・ガイ』でも活躍したイッサ(小林一茶がモデルのフィクショナルなキャラクター)の弟子デッパやクロやシロがまた登場しています。英語も読みやすいので、『ハイク・ガイ』を読んで気に入っていただけた方は、こちらもご賞味していただければ、と。