自由詩時評 第84回 岡野絵里子

受苦と受苦のあいだ

 「吉原幸子全詩 Ⅰ Ⅱ Ⅲ」(思潮社)が刊行された。昭和56年に出版された「吉原幸子全詩 Ⅰ Ⅱ」(思潮社)に、以降の詩集と単行詩集未収録の詩篇を収めた「全詩 Ⅲ」を揃えたものだ。「花のもとにて 春」「新編 花のもとにて 春」「ブラックバードを見た日」「樹たち・猫たち・こどもたち」「発光」からの作品が並んでいる。

 この全詩集独自の魅力の一つは、巻末に「自作の背景」がついていることだ。昭和56年当時の編集者八木忠栄氏の依頼によって、作品の背景にある作者の人生上の葛藤を吉原幸子氏が書いたものである。単なる自作解説を越えて、鮮やかに赤裸々に心身のドラマを吐露した詩人も只者ではないが、依頼した編集者も偉い。

 最後の詩集「発光」(思潮社1995年)の表題作「発光」は、宿命のように人が負ってしまう「傷」を聖化し、星座の位置に掲げている、詩作の元となった新聞記事の切り抜きを見ると、詩人の琴線に触れたものがわかるような気がする。『 』は吉原氏が赤ペンで傍線を引いた部分である。

  傷口は光る——新技術事業団が解明 
 生体から微弱な光が出ていることはこれまでにも知られているが、『動物の傷口からは特に強い光が放出されている』ことを科学技術庁が全額出資している特殊法人・新技術事業団の「生物フォトン(光子)プロジェクト」総括責任者である稲場文男東北大教授と田口喜雄同大助教授らのグループが発見し、その検出に成功。(中略)実験では、ハツカネズミに麻酔をかけ、背中の皮膚を六ミリ四方切り取り、傷とその周辺から光が出る様子を時間を追って記録した。傷をつけた直後は、明瞭な画像は得られなかったが、『四十八時間後になると輪郭が傷の形と一致する微弱発光像がはっきりと捕らえられた』。光の弱さは傷をつけてから五日目がピークで、一秒間に平均約三十個の光子が検出された。これは一平方センチあたり「十のマイナス十七乗ワット」という明るさで、肉眼で捕らえられる最も弱い光のさらに千分の一から十万分の一程度だという。『死んだネズミで同じ測定を試してみても、光は検出されなかった』。また傷が治るにつれて光は弱まり、八日目には周辺とほとんど見分けがつかなくなった。同グループは、この光が傷の治癒過程の何らかの生理状態を反映したもの、と言える以外は、発光原因や役割も不明という。医療への応用では「恢復段階の傷の程度や治療の状態など、これまでになかった新しい情報をこの光が示してくれる可能性があるのではないか」(稲場教授)と期待を寄せている。 

朝日新聞 1990年5月11日

      発光 
 
                     吉原幸子 
 
<傷口は光る——新技術事業団が解明> 
そんな見出しが こともなげに 
二段抜きの小さな記事につけられてゐる 
<五日後、一秒間に三十個の光子を検出・・・・> 
肉眼にはみえないが 光るのだといふ 
 
あのなまぬるい赤い液体にばかり気をとられてゐたが 
さうか 傷口は光るのか! 
 
六ミリ四方の皮膚を切りとられたハツカネズミの 
聖なる背中が わたしの中で増殖する 
 
実験用ウサギのつぶされた目も 
あの女(ひと)の法衣の下の乳癌の手術あとも 
“車椅子の母”の帝王切開も 
聖(サン)セバスチャンの脇腹も 折れた象牙も 
今もアラブで行われるといふ女子割礼の傷口も 
シーラカンスの傷もシイラの傷もシマリスの怪我も 
 
ホタルのやうに 夜光虫のやうに 
ヘッドライトに浮かぶ野良ネコの瞳(め)の燐のやうに 
この地球(ほし)のなつかしい闇にただよって 
 
あんなにキリキリといたんだわたしたちの生(いのち)も 
ほら やっと静かにまたたいてゐるよ 
あそこに 
ハツカネズミのとなりに

 傷つけられるとは即ち流れる血のことであり、傷口はその蛇口にすぎなかったが、この記事により、傷と傷痕に思いは巡らされていく。羅列されるのは聖女聖人、弱者に動物たちである。吉原氏はすでに病気療養中であった。振り返って見る人生がキリキリと痛いものであり、やすらぎは星になるまで訪れないのだとは痛ましい気がする。「よだかの星」をつい連想してしまうが、傍らで星になっているのは、実験動物として痛み苦しみを担って死んだハツカネズミなのである。みじめな者、犠牲になった者が、天では最も神のそばの場所を与えられるというキリスト教的世界観に通じるものが感じられる。

 2003年の「偲ぶ会」でも、2012年の全詩出版記念の会でも、捧げられた言葉の多くは、吉原氏の魅力的な生についてであった。私は吉原氏について語る資格を持たないが、生きることを強く求めていた詩人のことを思った。

 没後十年を経て、その詩行を読むと、現在の私たちが別の国に移住を終えて久しい人間のように遠く感じてしまう。「純粋」や「愛」や「傷」を故国に置き、私たちは頬を冷たくして未知の国を歩いているから。だが私たちが新しいと思っているこの風も、もしかすると故国を通って吹いてきた風なのかもしれない。

 2011年の大震災以降、傷ついて未だ恢復していない人々のことを思う。

 季村敏夫「災厄と身体」(書肆山田)では、繰り返される災禍の狭間でかろうじて生きている人間の姿に気づかされる。作者自身も阪神淡路大震災で、経営する会社の社屋が全壊した経験を持つ。頁を満たす詩的な文体に魅了されるが、その言葉は繊細な感受性を全開にして被災に対峙した詩人の傷と痛みから生まれたことを忘れてはならないだろう。

 瀬尾育生「純粋言語論」(五柳書院)は震災から1ヶ月半後に行われた講演に加筆されたもの。人間の社会システムが危険にさらされる時、自然の存在たちが一斉に語りだす。ハイデガーは「存在の語り出し」に自覚的に身を委ねよと言ったが、今私たちが立ち会っているのは、事物や植物や動物の「純粋言語の語り出し」の場面なのだという。「人間の言語」のなかでは思考不可能な事物の語り出しに向かって心を開くことが必要だとも。ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」における純粋言語、人間の言語の向こうから呼びかけてくるものたちへの示唆に富む文章に感服させられた。

 「光芒」70号では川島洋「ロマーン・ヤコブソンと読む現代詩——言語の詩的機能をめぐって」が興味深かった。詩人たちの会で講演されたものだが、詩作と言語学に渡された貴重な架け橋の一つと思う。

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