「切実さ」から抜け落ちるもの
今年度の短歌研究新人賞と角川短歌賞は、それぞれ、馬場めぐみと立花開という若い女性が受賞したが、その受賞作や選考過程について論じている時評やコラムを読んでいて、ある共通した指摘があるのに気付いた。
- 里見佳保の時評「切実さ」(「りとむ」2012年1月号)
- なみの亜子のコラム「歌を残すために」(砂小屋書房ホームページ 2012年1月11日付)
- 柳澤美晴の時評「新しいリアリズム」(「歌壇」2012年2月号)
この三つの文章はどれも、上記二つの新人賞の選評での、「切実さ」や「必死さ」「痛々しさ」といったキーワードに着目し、そこに震災の影響を読み取っている。
震災後という状況の中で「切実さ」や「必死さ」といった評価軸が現れたことについて、里見佳保は「戦争や災害などあまりにも大きな喪失の事実の後には作る時も読む時も心と言葉とが引き合う力のバランスが変わるのかもしれない」と言い、なみの亜子は「読む側の「切実さ」や「ぎりぎりの希望」、「痛々しさ」というものを見出したいという願望」を指摘している。柳澤美晴は、「深く傷つきながらも前を向く姿、そこに宿る揺るぎない意志が震災後の新しいリアリズムの一つとして認められたのではないか」と述べている。それぞれ論旨は異なるが、ほぼ同時期に執筆されたと思われる三つの文章が、「切実さ」や「必死さ」というキーワードに反応しているのは興味深かった。執筆者はそれぞれ、震災後の空気のようなものを、新人賞の選考過程の中に感じ取ったのだろう。
「歌壇」2012年2月号では、今年度の歌壇賞が発表されており、平岡直子の「光と、ひかりの届く先」が受賞した。
海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した
あかるくて冷たい月の裏側よ冷蔵庫でも苺は腐る
神様を呼ぶ声がする真夜中の金子金物店のシャッター
焼却炉のなか日めくりの木曜がかがやきながら燃えつきにけり
海沿いでの花火や、冷蔵庫の苺や、金物店のシャッターなど、日常的なモノやコトを手かがりに、日常を超えた世界を描き出そうとしているところに魅力を感じる一連だった。冷蔵庫から月の裏側へ、シャッターの閉じる音から神を呼ぶ声へ。えいっと跳んで、うまく着地している。飛躍力で読ませる短歌というのは、ただ遠くに跳べばいいというものではなく、きれいに着地をすることのほうが重要で、それが難しい。平岡の作品で着地がうまくいっているのは、冷蔵庫と月の裏側には〈冷たさ〉という共通項があるし、シャッターの閉じる音と神を呼ぶ声も〈音〉である点で繋がっている。だからこそ読者にも無理なく伝わる表現になっているのだと思うし、そこに作者の力量を感じる。あえて欠点を言えば、「おそれつつひらけないのはきみなのかヘッドライトが顔を照らして」など、意味が取りにくい作品があったことだろうか。平岡の今後の活躍に期待したい。
少し話が戻る。
この歌壇賞の選評を読むと、なんとここでも、「切実さ」「必死さ」がキーワードになっていた。
「月は遠くにあってしかも「裏側」なので、絶対に自分では触ることができない、けれど私たちはその月を見上げることにょって、その冷たさをなぜかかなり切実に身近なものとして誰もが感じていて、その誰も知らないであろう冷たさを何か体の奥で感じ取っている。」(東直子。引用歌二首目について。)
「全体を通してここに戻ってくると、かなり必死なところがあって、微熱だけど、それをどうにかして言葉にしたいということを感じます。」(内藤明。引用歌一首目について。)
「未完成だけど、必死に今を自分に引き寄せようとしている。」(道浦母都子)
今年度の新人賞の三賞の受賞作が、いずれも十代、二十代の若い女性の作品であり、選評において同じようなキーワードで語られていることに驚く。それと同時に、やや不安になってくる。それぞれの受賞者や選考委員は、真剣に作歌や選考に当たっているはずで、彼らを批判するつもりは全くないのだが、歌壇の空気が、なんとなく同じ方向に向かって流れていってしまっているように感じるのだ。
「切実さ」は震災後の短歌を論じるためのキーワードとなり、ジャーナリスティックな注目を集めるかもしれない。短歌の総合誌で「短歌にとって切実さとは何か」という特集が組まれることになるかもしれない。そんなことを考えると、少し憂鬱な気持ちになってくる。「切実さ」というキャッチフレーズの陰で、しっかりと見据えておくべき大切な何かが、ごそりと抜け落ちてしまうようなことになりはしないか。そんな危惧を抱いている。
前掲の文章で、里見佳保は「そんな時間をくぐりぬけ、生きていることの息づかいや手探りをどう伝え残すのか、そしてそれがなぜ短歌という形でなくてはならないのか」と問い、なみの亜子は「短歌が短歌ならではの表現をこつこつと積み上げていこうとすることまで、挫折させてはならないのだと思う」と言う。柳澤美晴は、歌集『一匙の海』の作者らしく、修辞と一体となった「新しいリアリズム」を求めている。
これらの執筆者の短歌観が滲み出ているような文章に、励まされるような思いがした。そうなのだ、浮き足立ってはならないのだ。歌壇の空気に流されることなく、それぞれの信じる短歌について、問い続けていくことが重要なのだろう。例え小さくても確かな駒を一つずつ進める。そんな一年でありたいと思う。
作者紹介
- 田村 元(たむら はじめ)
1977年 群馬県新里村(現・桐生市)生まれ
1999年 「りとむ」入会
2000年 「太郎と花子」創刊に参加
2002年 第13回歌壇賞受賞
2012年 第一歌集『北二十二条西七丁目』刊