8月18日(土)~19日(日)に愛媛県松山で開かれた第15回俳句甲子園全国大会に出席した。既に報道されているとおり、愛媛の松山東高校と東京の開成高校が決勝を戦い、松山東が11年ぶりで2回目の優勝を果たした。久しぶりの松山勢の優勝で地元は大いに沸いていた。高校生が5人1組で作品を発表し、相互に批評し合い、それを審判が判定するという試合の方式もかなり知られるようになり、今年は31都道府県109チームが参加して、地方予選から参加して、この時期に決勝戦が行われるのである。
大会の印象はそれぞれが異なるだろうが、それは観戦したチームによって微妙な差が生じるからだ。準決勝、決勝は松山市総合コミュニティセンターという大きな会場でたくさんの聴衆に見守られて行われるが、予選リーグは大街道の中のたくさん(12)のブロックに分かれて立ち上がり勝ち残ってゆくから、見た試合によって俳句甲子園の印象は少しずつ異なる可能性がある。
私は幸運にもというべきか、たまたま選ばれたブロックの第一試合に松山東が入っていたから、予選リーグ、決勝トーナメント、準々決勝、準決勝、決勝と松山東のすべての試合を見ることができた。さすがにこれらすべてを見ていたのは、松山東の生徒と関係者ぐらいしかいないだろう、しかし生徒の側は完全に燃えてしまっていたから、冷静な目で見られたのは私ぐらいかと思う。率直に言って、これはほかのチームにも共通することだが、試合を重ねてゆくことで松山東が成長して行く過程が見られたのだ。
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予選リーグ(L)は、松山東高校と愛知の幸田高校、秋田の秋田西高校で戦った。松山東は昨年準決勝で敗れた3位、幸田は昨年決勝で開成に敗れた準優勝校であるし、両チームとも昨年の出場者が出ているから、予選リーグとはいえほとんど決勝・準決勝に匹敵する試合であった。もうひとつの秋田西は初出場校であり横綱の胸を借りる態であった。もちろん、幕内下位が金星を上げることがないわけではない。
結果は、両校に勝った松山東が決勝トーナメントに進んだが、松山東に負けた段階で(すでに幸田は秋田西に勝ち、松山東は秋田西との試合を残していたが)幸田が涙を流して敗者復活で頑張ると言っていたのは意外だった。それくらいこの一戦を重く見ていたのだろう。つられて司会者も、敗者復活で頑張ってくださいと言って席を立たせてしまった。
こんな句が試合で出ている。
キャベツ二個放り込まれて河馬の口 松山東 森田佳穂
古代魚の鱗涼しき並びかな 松山東 武井望
蒼天やキャベツの芯を食らう犬 幸田 桑子北斗
河馬の句は即物的な描写が効果的である、後で個人の優秀賞にも選ばれていた。古代魚の句は「鱗涼しき」が心象的にも見えるが、実は生物は普通色素や着色された色を持つが、古代の生物は貝殻の被膜のような干渉光で固有の色を持つことが知られている。水族館で見た透き通ったような色の魚のそんな写生が生きている。蒼天の句は、野良犬(野良犬に近いホームレスも想像してしまう)の風景がよく出ている。
松山東は、その後、決勝トーナメントを北海道の旭川東、準々決勝を熊本信愛と戦って、第1日目の準決勝進出3チームに残ることができた。ディベートの質が上がったのは、幸田の中野天音さん、熊本信愛の福永郁美さんがそれぞれ審査員賞を取ったのでもよくわかるであろう。
第2日目は場所をコミュニティセンターに移して、準決勝を同じく愛媛の済美平成、決勝を開成と戦った。ルールから明らかなように、(準備の都合もあり)予め出場校からは作品が提出されその発表の順番も決まっているから、審査員に取ってみると敗者復活の作品以外は、全く新しい作品が目に触れるわけではない。新鮮なのはディベートということになるだろうが、それでも生き生きしたディベートの中で作品を見ると、それが乗り移って作品自体新鮮に見えてくる。
ディベート巧者の開成であったが少し攻撃的な部分があり、それに比較して女性の多い松山東が抱擁するような対応をする(黒一点の武井君がまたほのぼのとした独特の個性を発揮しているのも興味深かった)点を長谷川櫂から指摘されると、開成はただちに臨機応変に対応を変える等、選手と審査員の駆け引きも見ごたえがあった。
決勝は「日」の題で、2―1で迎えた副将戦で松山東が「背景のなき向日葵や爆心地 東影喜子
」を提出した。この句の批判は難しいところがあり、ディベートの中で開成に少し焦りが感じられたようで、審査員の多数の支持を得て松山東が勝利した。準決勝では「月」の題で、今大会屈指の作品をたくさん並べた開成であったが、「日」の題では本領を発揮できなかった。兼題の難しさが痛感されたのではなかろうか。
松山の優勝が決まった瞬間、開成チームが号泣した。リーダーの宇野究人君が一番激しかった。昨年開成が優勝した時、準優勝となった幸田は女生徒ばかりで全員泣いていたが、今年は、男子生徒ばかりの開成が泣いていた。後から、男が泣くのかね、と冷静に言っていた審査委員もいたが、私としては男の子が泣くのもなかなか美しいと思った。
裸子の臍定まってゆくかたち 松山東 伊藤聡美
満月をそのまま使う野外劇 開成 平井皆人
人日のただぶらさげている両手 松山東 武井望
裸子の句は、臍(ほぞ)と読みたい、如何にも俳諧的な詠み方であり開成も舌を巻く巧者ぶりではなかろうか。野外劇の句はまるで舞台をこしらえたような構成が見事である。人日の句は、ディベートでも審査員評でもあまり出てこなかったが、単純に旧暦1月7日というだけではない、中国の暦で、元旦から、鶏、犬、豚、羊、牛、馬と続く最後の日が人日であり、こうした畜生の日の最後に位置する人の日ということだけに両手をぶら下げている怠惰な姿がアイロニカルである。
最後に一つ。2日目の朝、敗者復活戦の句が決勝会場で各校から披露された。最終的には三重県の高田東が準決勝枠に進んだが、たった一日で詠まれた句は必ずしも準決勝に進まないチームの句でも見ごたえがあった。記憶に残ったのは次の句。
立ち止まる雌鹿忘れられた傘 洛南
作者名が上げられていないので、合作であるかもしれないが、ギャップの大きさが魅力であり詩の表現法に近いかもしれない。意欲的なだけに惜しいことであった。
終ってみると順当な大会であったように思うが、地元の新聞やテレビが松山東を一貫して追っていたようで、気が付くと私のいた予選リーグからすでにそれが始まっていたようだ。地元ではそれだけ期待もされていたのかもしれない。そういうプレッシャーを押しのけるのだから生徒も立派なものだ。
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俳句甲子園の満遍ない紹介をしなかったのはそういうことは誰かがするであろうという予想のもとに私しか書けない感想を書いてみようと思ったのと、今回の俳句甲子園の作品の質を批判しているブログを見てそれに少し異見を述べたいと思ったからだ。13人も審査員がいたら皆が共通評価になるはずがない。それを強いて共通評価で語る場合はこの種の批判の落とし穴に陥りやすい。自分が選んだそのままの基準で語ることが最も説得力があるだろう。少なくとも、責任を果たしたことになる。例えば、松山東の「母の日の水に渦巻く粉薬 森田佳穂
」が粉薬の飲み方(オブラートに包んで飲むか、喉にあけて水で流し込む)も知らないと批判を受けていたが、粉薬はもともと水に溶いて飲むものであり、その時溶かすために使っていた指が薬指であったのだから何ら支障はない、むしろ古風な母親の姿が浮かび上がる。私の母も頓服をよく薬指で溶いていた。本質はそんなところではないのである。私がここにあげた句はすべてこうした劣悪な批判をはねのける句だと信じている。
審査員をともにした星野高士と帰りの飛行機が一緒となり、松山空港に行ったら何組かの開成のお母さんたちと出あった。そういえば去年も全く同様に、星野高士と空港の食堂でビールを飲んでいたら隣に優勝した山口萌人君が御両親と一緒に来たのでいろいろと話をしたのだった。今年も、飛行機に乗る直前に出会ったのはリーダーの宇野究人君のお母さんたち。子供たちはフェアウエルパーティーに残って自分たちは一足先に帰るのだという。飛行機が羽田に着き別れの挨拶をしたら、席の後ろにはお父さんと宇野君そっくりの弟が座っていた。何年か後には彼が松山に来ているかも知れない。如何にも開成らしい。学生たちは松山にいるのだが、親たちの俳句甲子園はこれでおしまいとなった。
小池康生
on 9月 24th, 2012
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筑紫磐井様
観戦記、拝読しました。
洛南の外部コーチ、小池康生(銀化)です。
立ち止まる雌鹿忘れられた傘
の作者は、洛南高校一年生の女子、下楠絵里です。
合作ではなく、彼女一人の創作で誰の手も入っていません。
ディベート点は同率一位で、作品点で2点差負けていたようです。
南海放送のリポートを務めたいた佐藤文香さんも、この句に注目してくれていたようで、敗者復活戦結果発表の時、会場上段にいた洛南の席でマイクを構えスタンバイしてくれていました。作品を取り上げていただき、部員たちの今後の励みになると思います。ありがとうございました。