赤い新撰(本編) の予告

詩歌梁山泊の代表である森川氏により「詩客」で『俳コレ』の書評をしたいという企画を受け、御中虫へ持ち込んだところ、本人から全く異なる企画として逆提案を受けた。いわゆる、「虫の逆襲」である。そして御中虫のための新撰シリーズを、という結論が早々にまとまったのである。すなわち、『俳コレ』100句を御中虫が10回にわたり批評し、そのクライマックスとして(『俳コレ』風に御中虫が選んだ人選方式で御中虫自身を選んだということで)御中虫100句選と作家小論を外部作家に執筆させるという企画である。前者が御中虫の好き放題な批評であるとすれば、後者は選者による好き放題な選と批評に御中虫はじっと耐えて貰うという落差のある、マゾヒスティックなセレクションである。これが「赤い新撰」の基本コンセプトである。いまごろ、隣のページで「このあたしをさしおいた100句」は有終の美を迎えているはずであるから、私はここでその第2部である御中虫100句選と小論の予告をしておくこととしたい。次号から「戦後俳句を読む」のコーナーで新装開店を始める。もはや『俳コレ』書評とはいえないからである。むしろ『俳コレ』は商売敵となるだろう。

次回掲載となるその第1回は、「このあたしをさしおいた100句」の第一回の原稿が届く頃にはすでにできあがっていた。御中虫の『俳コレ』評に「赤い新撰」という共通題目を考えたのはこうなることが『俳コレ』書評の開始前から分かっていたからである。あとがきでそれを爆弾に譬えたのだが、それが功を奏してか、生駒大祐氏のUストリーム放送でその爆弾が何であるのかが一時期話題になったのは愉快であった。上田信治やさいばら天気の予想が当たったかどうかはお楽しみとしたい。

もともと『新撰21』『超新撰21』のあとは『超々新撰21』となるべきだが、この時点でそんな作家が21人もいるはずがないし、とりあえず御中虫に最もふさわしい赤を付して「赤い新撰」と限定し(本人が赤がふさわしいと思っているかどうかは知らない、私の勝手な主観である)、人数は「たつた1」であるので数字は省いた。赤の先に、緑や青が続くかは将来の状況次第である。7色の新撰、12色の新撰が出てくれればそれはそれで俳句の世界はますます面白くなるであろうが。小川軽舟は、『新撰21』から『超新撰21』へのながれを「ぎらぎらしている」と評したが、「赤い新撰」は一層目がくらむようだ。

ところが、この企画の最中に、御中虫は自らのブログに「関揺れる」125句を書き下ろし(2月24日)、ただちにこれが邑書林から刊行されることになった(2月28日決定、3月19日刊行)。まことに、電脳時代にふさわしい素早さだ。ただ、この125句については100句選から除いてもらうこととした。現在、ただいま、俳壇に物議を醸している最中なので、過去の御中虫俳句の100句選に入れるのは時期尚早かもしれないからである。

御中虫の行方そのものはどこへ漂流するのかはわからない。こうしたブログにできるのは、過去でもなく、未来でもなく、現在を見つめることだけであると思っている。そうした「現在史」を読者にも参加して楽しんでもらいたいと思っている。

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執筆者紹介

  • 筑紫磐井(つくし・ばんせい)

1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。

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