超戦後俳句史を読む 序説――『新撰』世代の時代⑩   筑紫磐井

エネルギーこそ

この序説の最終回に当たって述べておきたいことは、『新撰』『超新撰』『俳コレ』のあとにもこの流れは止まりようがなく続くと言うことである。実際、『超新撰』の座談会で高山は入るべくして入らなかった作者といい、「週刊俳句」が行った『新撰』『超新撰』『俳コレ』総括座談会でも、上田が『俳コレ』に入れなかった不明をわびていた第3回芝不器男賞受賞作家御中虫は、後続する最大の作家の一人であろう。今この隣のページで好き勝手に『俳コレ』を論評し何故あたしが入らなかったのだろうと素直に疑問を呈している(今回は予想外に寡黙であるが)。邑書林はもうこうした新鋭セレクションは出さないらしいから、それであればこのおいしい御中虫の100句はどこでまみえることができるか。その答えは、「赤い新撰」本編の予告で答えることにして話題を転じよう。

一言で言えば、若い作家がいることだけが現代俳句にとって希望なのではない。その止まることを知らないエネルギーが魅力なのである。我々戦後世代作家でそれを示してくれたのはおそらく夏石番矢と西川徹郎であった。それを遡れば、戦後派世代にあっては金子兜太、戦前では中村草田男であったあろうか。彼らの作品そのものは、私の趣味に合っているわけではないし、いささかしつっこすぎると感じる時もある。しかし彼らのエネルギーには率直に賛嘆するしかない。どんなに小川軽舟が『現代俳句の海図』で無視しようと、あの時代は、矢張り夏石・西川の時代であったのだ。今、御中虫を金子兜太や中村草田男に比較してもそれ程おかしくはないというのはそうした意味である。

私は『新撰』のライバルは『超新撰』だといってきたが、『新撰』『超新撰』の最大のライバルは御中虫であるかも知れない。それはオセロゲームのように、盤面のたった一手で、すべての駒の白が黒に変わってしまうような、痛快な逆転を期待するからである。もちろん我々大人の世界はそんなに甘くはないし、そうした例はほとんど見たことがないと彼らに言っておくべきだ(唯一の例は、前衛派が歌壇の主流になった中世の藤原定家の時代ぐらいなものであろう)。しかし、それでもそうした夢だけは残しておきたい気がするのである。

まとめ

結社にも属さず1年にわたってブログをつづけ、さらには新句集『光まみれの蜂』を上梓した神野紗希、田中裕明賞を受賞した被災者関悦史、そんな関をモデルにした震災句集を上梓した御中虫、かれらがこの1年間をそうぞうしくしてくれたのは間違いない。大の大人が右往左往した記念すべき年として記憶してよいことだ。そしてまた、地道な努力も大事だが、実力さえあればいろいろな禁じ手もあるのだと言うことを現在の新撰世代は納得したのではなかろうか。

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執筆者紹介

  • 筑紫磐井(つくし・ばんせい)

1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。

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One Response to “超戦後俳句史を読む 序説――『新撰』世代の時代⑩   筑紫磐井”


  1. 2012年5月31日 : spica - 俳句ウェブマガジン -
    on 5月 31st, 2012
    @

    […] 『新撰』世代の時代」最終回やら「赤い新撰(本編)の予告」やら。 http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-05-11-8588.html http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-05-11-8591.html 「スピカ」の「5月 […]

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