俳コレコレ   杉本徹

『俳コレ』を携えて、セタガヤの野川のほとりを二子玉川まで歩いた。多摩川をつたおうかとも思ったが、ふと、野川。多摩川べりは見通しがきいて、それはそれで視野という野原の裾がひろくせせらいで、思いは西陽から東の町へ、影踏むように、とつ、とつ、放たれてゆく――それはそれで、私は大好きなのだが、ふと、野川。

……野川からすこし道を逸れると、東名高速がはるか西へ西へ彎曲してゆく美しいカーヴを、眼下にのぞむ橋があって、あまり人も通らないその場所、そこからの眺めが、私は好きである。冬ならば雲ひとつなく、どこまでも誘いこむ硬質で透明な空が、刻々と暮色に染まってゆく。

その広大な空に向けてつぎつぎ、ライトを灯しはじめた車たちが等間隔に流れ、流れ、時間の、無音の、息の輪郭をなぞるように遠ざかってゆく。ああ、金星だ、その先は。

冬の金星をあんなに美しく見た場所も、ほかにない(だろうな)。

記憶の金星のこの薄光りに照らされ、そしていま五月の野川の、草木たちのみどりのささやきにも指染められて、『俳コレ』を携え、開き、道すがら私は順に三句ずつ、抜き出していった。帰途には二子玉川のバス停の、夜のベンチに腰かけて。

たしかにこれらの句たちと私は、その日、声のない声で言葉交わしたよ。……いま、感謝とともに。

野口る理

初夢の途中で眠くなりにけり

春雨に光る襖の模様かな

ふらここを乗り捨て今日の暮らしかな

(梅園を歩けば女中欲しきかな)

(曖昧に踊り始める梅見かな)

福田若之

うららかという竪琴に似た響き

焼き芋を月を分け合うように割る

心まで菊人形として香る

小野あらた

灯火親し緑茶の底のぼんやりと

鷹去つて双眼鏡のがらんどう

コロッケの中の冷たきクリスマス

松本てふこ

地下鉄によく乗る日なり一の酉

ひらがなの名のひととゆく花野かな

寝冷して花瓶のやうな身体なり

矢口晃

蛍籠振るや刃物の匂せり

就職をするかしばらく蟇でゐるか

五人目のをんなは秋を連れて来し

南十二国

叶ふなら話してみたし蓑虫と

なにゆゑに朝はさみし葦の月

冬星や盗み得ぬもの美しき

林雅樹

花柄の浴衣干しあり闇の中

多摩川の日暮れてきたる麦酒かな

遠足のひとりは老いて帰りけり

太田うさぎ

目で交はすくちづけよけれ秋扇

だまし絵のやうに猫ゐる年の暮

もう来ない町の鯛焼買ひにけり

山田露結

対岸は花火の裏を見てゐたる

対岸をきのふと思ふ冬ざくら

手袋を手紙のごとく受け取りぬ

雪我狂流

巣箱より高きところに住んでをり

押入れを覗いて閉めし月の客

風船を持つ手は少し高く上げ

齋藤朝比古

水の秋もとのかたちに地図畳む

スイッチのぱちんと星の流れけり

イエスゐるやうにラグビーボール置く

岡野泰輔

鳥帰る機械のなかに小さな人

滝の上に探偵が来て落ちにけり

あったかもしれぬ未来に柚子をのせ

山下つばさ

洋館を出で蟻の巣に戻りけり

壁紙の剝がれしところより銀河

風邪心地黒鍵ばかり押してゐる

岡村知昭

うっとりと風死んでいる幼稚園

ほんものの雪を見ている麦酒瓶

折鶴のところどころの砂漠かな

小林千史

秋の蝶さらさらと影ついてゆく

遠くまで行く道のやう膝掛けは

月を見るためには一度倒れねば

渋川京子

メロン切る振子大きな時計の下

月光に聡き兄から消されけり

バランスが大事と芒持たさるる

阪西敦子

ひんやりと手鞠に待たれをりにけり

満月の前とて電話かけて来し

闇鍋の底まで落ちてゆけるもの

津久井健之

隕石の落ちてにぎはふ春野かな

うすき虹ひびかせてゐる音叉かな

粉雪の河口の町に目覚めけり

望月周

一番小さき時計を信じ秋澄めり

宵闇やはぐれし人を探さずに

雪をんな幾夜も花嫁となりぬ

谷口智行

秋冷や畳をはこぶ渡し舟

色町の寒灯ぐづりながら点く

蜘蛛の巣のやうな吹雪を往診す

津川絵理子

雛納め雛よりしらぬ闇のあり

緑陰に楽器のやうなオートバイ

閉ざされて月の扉となりにけり

依光陽子

音と見やれば夕立の中に町

天井に風船あるを知りて眠る

南風やゆびさきに貝当たるとき

俳コレ
俳コレ

週刊俳句編
web shop 邑書林で買う

タグ:

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress