俳句時評 第74回 湊圭史

筑紫磐井『伝統の探求〈題詠文学論〉――俳句で季語はなぜ必要か』

俳句について読んでいると、「写生」や「季題・季語」についての議論や主張にあちこちで出くわす。そこでは何ごとかが語られていて、場合によっては俳句の「本質」といったものに触れているのではと思わされることもあるが、たいていの場合、どこか議論の焦点が合っていない。読み終えた後に、さて、と考えてみて、つかみどころのない印象だけが残っていることに気付く。その原因はじつははっきりしていて、「写生」や「季題・季語」といった言葉や概念がどのように成立し、また、その内実を変化させてきたのかについての視点が欠けているからなのだ。他の用語、例えば、「客観-主観」、「花鳥諷詠」等々についても、その成り立ちを掘り起こすような考古学的まなざしが向けられるべきなのだが、実作者による論が多いためもあるだろうが、創作論に引きつけすぎた自己主張、自己の派閥の主張から出た分析は少ない。筑紫磐井氏の著作が刺激的なのは、この考古学的まなざしが徹底されているからである。

『伝統の探求〈題詠文学論〉――俳句で季語はなぜ必要か』(ウェッブ)では、そうした磐井氏の態度が「あとがき」で自身述べられているように、「俳句固有の問題に限ってみることにしたので、多少読みやすく」見てとれる。「俳句固有の問題に限って」いるといっても、しかし、とりあげられる対象は子規、虚子・碧梧桐(新傾向俳句)、新興俳句、人間探求派、前衛俳句と幅広い。乱暴にまとめると、俳句は前代から引き継いだ「題詠文学」の要素を句会というシステムを考案することにより温存したジャンルであって、ただし、そのジャンルの展開にはこの「題詠文学」的要素を否定しようとする「近代」的思考とのせめぎあいが欠かせなかった、というところになろうか。このようにまとめてしまうと、筑紫氏自身も述べるように、「実に単純な事実」に過ぎない。伝統が反伝統を織り込んで進んでゆくものであることは、モダニズム以降の西洋文学においても広く認知されている既成事実である。一言すれば、この既成事実を常に意識せざるをえないところが、明治以降に成立した俳句にも共通の近代以降の文学の前提であるとはいえる。

しかし、『伝統の探求〈題詠文学論〉』を読んでいて、興奮を覚えるのは、もう少し細かなところ、対象となる俳人たちによる/関する文を逍遥して、最初に述べたような俳句に関する言説における常套句の表れをじっくりと辿り、そこに含まれる思考の「揺れ」を目に見えるかたちにしている部分である。例えば、〈「客観写生」を唱えた虚子〉対〈「主観」を重視し定型を越えてしまった碧梧桐〉という通俗的とも言える見方に対して、子規がふたりに大きく光を当てながら明治の新俳句を打ち出した一文「明治二十九年の俳句界」において、碧梧桐の作風を「印象明瞭」(=絵画的、客観的)、虚子のそれを「時間的」(=物語的)と捉えていたことを紹介し、以降の二人の展開においても、碧梧桐は子規の写生論で重視された「配合」を、虚子は子規への反発も含めて「調べ」を追求したと指摘している。ここでは、「配合」対「調べ」という「客観‐主観」の軸と一面重なりながらも、少なからずずれている対立軸がとりあげられることで、事後的に見られた虚子/碧梧桐の対立ではなく、反発しあいながらもそれぞれの特性において発展していった二人の創作・俳句観の流れが、活き活きと感じられる。

「写生」については、「写実(主義);リアリズム」(「「写実」とは、新興市民の近代的な意識の発現として、西洋的な精神に導かれ人生の姿を客観的に直視しようとする態度である」)との対比で論じられている部分が興味深い。「俳句では、写生という原理はホトトギスの系譜を通じて伝承的に再生産されたのに対して、写実は特殊な表れ方をしたようである」とあるが、多くの場合、「写生」も「写実」もいっしょくたの論議がなされていて、またさらに、その混同から議論の熱を得ているのではないかと思う。反伝統派としては、「題詠文学」的要素の強い俳句に、表現的要素を持ち込みつつ、理論的著作においては、意識的・無意識的に「写生」/「写実」の境界をぼかして、思考と創作のための発条にしていたのではないかと思えてくる。

その他も開くたびに発見がある一冊だが、私としては、現代の「反伝統派」に(存在するとして、だが)、この〈俳句=題詠文学論〉を読み込んだうえで、「非題詠文学」としての俳句を語ってくれないだろうか、と夢想するのである。

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