自由詩時評 第37回 野村喜和夫

詩の散文化に抗して

「現代詩手帖」1月号が届く。毎年同誌は1月号に「現代日本詩集」と題して作品特集を組む。今年もベテランから新鋭まで、ひとまずは悦ばしき賑わいだ。ざっと目を通して、しかしなんとなく言葉の層が薄くなっている印象をもった。言い換えると、散文化という傾向が時代の空気として全体に浸透しているような、そんな気がしたのである。私も作品「渦巻きカフェあるいは地獄の一時間」(美術家北川健次氏とのコラボレーション)を寄せているが、そうした薄い層のなかにあって、結果的にメタファー的な詩法の目立つページになってしまっている。「傷痕を張り/めぐらした檻」「おののきの羽根」「無数の顔の雫たち」、エトセトラ、エトセトラ。

 そこで、今回のテーマは、詩の散文化に抗して。近年、散文化とリンクするように、メタファーへの風当たりもつよくなっているようだ。いわく、戦後現代詩的なメタファーの時代は終わった。それはその通りであろうし、私自身そういう言説に荷担したことさえあるが、しかし、言語そのものが本質的に隠喩的であり、そのことがもっともきわだつのが詩なのだという事実は変わりようがない。その論拠として私の実作例だけではあまりにも脆弱であろうから、昨年のノーベル文学賞受賞者で、「メタファーの巨匠」とされるスウェーデンの詩人T・トランストロンメルを引き合いに出そう。おりしも、その詩集『悲しみのゴンドラ』の増補版(エイコ・デユーク訳、思潮社)が刊行されたばかりである。

 たとえば詩集冒頭に置かれた「4月と沈黙」。紙数の関係で全行引用はできないが、第1連、春はよろこびの季節のはずなのに、「溝」の水は「ビロードの昏さを秘め」「映像ひとつ見せぬ」と語り出される。ただでさえ北欧の春は暗く寒々しいであろうが、そこにおそらく、重い脳卒中に倒れた詩人の内景が重ねられているのである。第2連では、やや神秘の雰囲気とともに、「黄色い花叢」がそこだけ光のあたっている場所として浮かび上がる。

 こうして、暗と明、死と生のコントラストが描き出されたあとで、第3連、ようやく作中主体「わたし」に焦点は結ばれるのだが、それはまず、軽い換喩的な視点の相対性をともなっている。なぜなら、ふつうは人が自分の影を運んでゆくのに、ここでの「わたし」は逆転して「みずからの影に運ばれる」のであるから。

 ときあたかも第一の隠喩が書き記され、「わたしは」「黒いケースにおさまった/ヴァイオリンそのもの」だとされる。自身を楽器にたとえるのは、詩の音楽性に長け、みずからもピアノを演奏するこの詩人ならではであろうが、しかしそれは「黒いケース」に収まっていて、外から見られることもなければ演奏に供されることもないのである。ここにはあきらかに柩への暗示があり、つまり第二の隠喩が書かれることなく示されている。

 最終連はふたたび光のパートだ。詩はここでコーダにふさわしく一挙に深さとひろがりと謎とを獲得する。「わたしのいいたいこと」、それはふつうなら「わたし」の内部にあり、発話行為として外在化されるわけだが、ここでは驚くべきことに、「手の届かぬ距離で微光を放」っているというのだ。第三の隠喩である。そこには、脳卒中の後遺症で言語障害を負ったという詩人の苦悩が読み取れるが、それだけではない。「わたしのいいたいこと」は、「微光」というメタファーによって、つねにすでに「わたし」に先立って、むしろ世界の深みから──沈黙そのものとして──浮かび上がってきたかのようにあることが明かされるのである。詩人はそれを、より具体的に、かつ、ややアイロニーをこめて、質屋に置かれた「銀器」のイメージへとさらに移し変えてゆく。

 このように読んでくると、溝、花叢、黒いケース、柩、微光、銀器、沈黙──それら現実には異質にあるいはばらばらにしか存在しない事物や事象たちが、主体を介した微妙な明暗の移りゆきのうちに喚起されつつ、神秘で緊密な言葉のネットワークを織りなしてゆくさまがみてとれよう。これがメタファーの詩学だ。メタファーの組織は世界を別様なあり方のほうへとずらし、あるいはそのふたつをいわばパランプセスト化して、われわれをある種の眩暈の体験へと導く。もはや内界もなく外界もなく、生と死のへだたりもなく、あるのはただ、それらの境域から漏れ出る暗い陶酔の幾瞬間だけだ、というふうに。

 繰り返そう。詩における隠喩の組織とは言語のパランプセストである。隠喩=パランプセストによって世界は二重化され、ゆたかになる。だとすれば、どうして詩がメタファーを手放すことなどありえようか。

 ところで、パランプセストといえば吉増剛造だ。その映像作品は二重写しの手法を活かしたものだが、その詩作品もまた、吉増語ともいうべき無比のエクリチュールを日本語システムにかぶせるパランプセストではあるまいか。去年秋に刊行された『裸のメモ』(書肆山田)は、一部に震災後に書かれたテクストも含むが、じっさいに被災地を訪れたりしながら、しかしその体験を語り得ないこととして語る。その誠実さ。もともと、危機的な状況下では詩のために用意された特別な場所などありはしない。場所の全体を詩とするほかないのである。「裸のメモ」とは、日本語を日本語以前/以後の音韻の微粒子に解体しつくすその過程を、修正をくわえずそのまま綴ったというほどの意味だが、そうしたむきだしの「詩の地面」が、地上のカタストロフに向き合い、あるいはかぶせられて、かぎりない悲しみや優しさを響かせるさまは、まさに場所の全体としての詩のありかを示している。



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